閉校を前にして
前ページにつづき、時を遡ります。私が中学校を卒業して働いた工場は江東区の工場群の一角にありました。かつての工場はどうなっているでしょうか。最近、このあたりを歩きました。すると、工場群の跡地はマンションや高層ビルに変わっていました。かつて、工場からは鉄や製品などの独特のにおいがしました。近くにある化学工場の煙突からは鼻を刺すような刺激臭がでていました。今ではそれらの痕跡もなく綺麗な町並みに変わっていました。その変わりようには驚いてしまうくらいです。
私が働いていた工場もかなり以前に姿を消してしまいました。その跡地に立ってみました。かなり以前に、たしかにここにあった工場で働きました。工場内には起重機がひっきりなしに動き、機械の音が間断なく響き、建物の内部には粉塵が舞っていました。そこでは大勢の人が働いていました。作業はかなり大変で骨の折れるものでした。電力料金の節約のために日曜日も働きました。一日の仕事が終わると疲労で身体がぐったりしてしまいました。その工場の作業が頭に浮かぶときにとても苦い思い出があります。
私が、電動のワイヤーで製品をのせた台車を引っ張っていたときに、注意が不足していて他の製品を傷つけてしまったことがありました。
「ああ、なんということをしてしまったのか」と悔やみました。大失敗でした。そのときは上司からあまり怒られずにすみました。大目玉をくらっても仕方がないことだったのです。大きな損害をだしてしまったのですから。また、作業にはかなりの危険がともなっていました。ベテランの作業員でも大きな怪我にあう人もいました。私が大きな怪我にあわずにすんだのは幸いでした。
また、工場の人に誘われてメーデーにも参加しました。そこで「晴れた5月の・・・」というメーデーの歌を教わりました。私の毎日は家と工場の往復だけでした。帰りの電車に乗る頃は疲れきっていました。社会生活をする上でさしたる知識もなく、いつも漠然とした不安に背中を押されているように感じました。
そのころ、「静かなドン」という本を読みました。とてもよい本だと思いました。
そこでは、ロシア革命がテーマになっていて、政府赤軍とドンコサック反乱軍(白軍)との抗争(赤白戦争)
が描かれていました。革命にまい進するボリシェビキ兵士ブンチュークと彼を支える女性同志アンナ、さらに反乱軍の首領グリゴーリとその家族たちの怒りや苦悩が描かれていました。戦いは熾烈を極め家族さえも敵と味方に引き裂かれて戦うことを余儀なくされました。
彼らの喜びや苦しみ、家族への愛情、不安と絶望、戦場での叫び声や呻きなどがない交ぜとなって伝わってきました。なかでも、戦場でボリシェビキやコサックの兵士が傷つき倒れる場面には胸が痛みました。緒戦こそ優勢だった反乱軍も組織力に勝る赤軍に次第に追い詰められ、やがては滅亡に向かいます。そんな場面には哀れを誘われました。
この本を読んだ後も、通勤電車の中などで勝手に物語を構想してしまいました。ドン川に夜明けがやってきて川面がきらきらと輝くさまや、雪原を馬で疾駆するコサックたちの姿が自然と目に浮かんできました。また、夕闇がやってきて、村の家々に灯火がともり、食卓に集うコサックの人たちの姿などが浮かんできました。
この物語に登場するコサックやボリシェビキ兵士たちは私にとって忘れられない存在になりました。
もし、できることなら友になりたいとさえ思ってしまいました。このようにして、多くの人びとの流血や怒り、苦悩の上に打ちたれられたボリシェビキ政府(ソビエト)ですが、その後はどうなっているでしょうか。
今では滅亡してしまってほとんどその痕跡をとどめません。大河ドンの流域で、数年にわたり繰りひろげられた悲惨な抗争とその上につくられたボリシェビキ革命政府は今では忘れられてしまっています。この本に接するたびに歴史の不思議さを思わずにはいられません。
その頃の日本は、未だ経済発展を迎える以前のことで社会全体が貧しいなかにありました。その後、経済が発展するにともなって、産業構造が変化し工場は地方や海外に移転するようになりました。また、時代の変化についていけない企業は閉鎖を余儀なくされていきました。現在の日本は、その後、格段に技術革新が進みエレクトロニクス関連の先端技術産業が主役になってきたようです。これらの経済や産業の発展は私たちに大きな豊かさをもたらしました。
そのことがなされたのは、多くの人たちがたゆみない努力を続けたからだと思います。いろいろな困難があっても、強い意思をもち研究と改善を積み重ねた結果だと思います。現在の発展はこのような努力に依存していると思います。
その町を歩きながら考えました。現在の経済的な困難もさほど遠くない時点で必ず改善に向かうのではないかということを。・・・(2009.1.30)
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