閉校
この三月をむかえて、学校の門は閉ざされました。私たちの学び舎が突然になくなったのです。閉校はそこで学んだ生徒にとっては辛いものです。
でも、あまり贅沢は言えないと思います。
小学校から高校までさまざまな学校が閉校しているからです。
つまり、学校の統廃合や再編は身の周りでもよく起こっていることだからです。
「私が学んだ小学校はすでにありません。考えると寂しいものです」
「私のでた高校もすでに閉校してしまいました」
このような話はよく耳にします。
また、母校の閉校をあまり気にかけていない人たちも大勢います。
「そんなことを気にかけてはいられないし、おおごとには思えません」
「生徒が少なくなれば閉校するのは当たりまえのことでしょう」
「私の高校はかなり前になくなったけれど、あれこれいうことではありません」
「そんなことよりも、これからのことの方がよっぽど大事でしょう」
こんなふうに思っています。
これらの人たちはかつて学んだことよりも、現在や将来に重きをおいて考えているのでしょう。こういう現実的な考えの人が多いのです。
けっきょくは、やむをえないことなのです。
あまり、こだわって閉校反対を叫ぶことはどうでしょう。
そうです。このような声はあります。私にも聞こえてきました。
心情的には共感します。
でも、私は受け入れがたく思います。現在、直面している教育の困難性をどのようにとらえて、どのように解決をはかるかが問われています。閉校に反対を叫んでも問題は解決されないでしょう。
むしろ、それは時計の針を逆に回すことのように思えます。
それが、かつて、よいものであっても、いまは事情が違ってしまっていると思います。過去に回帰する試みは進歩に反すると思います。
いまは、さまざまな事情に配慮した手厚い教育施策や、学校の専門性が求められると思います。
残念ながら、閉校は避けられないことであって、やむをえないことだと思います。
学校の改革は避けることができません。
時代や社会は変わっていくのですから。
何時までも不変なことなどありえないのですから。・・・
・・・(2009.3.30)
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