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両国高校定時制

都立両国高校定時制

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 桂友会だより1号(昭和44年2月1日発行)から
 入江善吉 桂友会会長(同窓会)の挨拶 (昭和10年卒業)当時、江東区議会議長
「さて、生涯の中でも大きく成長変化し精神的にも最も多感なときの学舎であった母校両国高校は、
いろいろ多くの想い出のある私共の心のふるさとでますが、私はこの際、心のふるさとの母校の姿を
顧みずにはいられません。私達の両国高校はあの関東大震災直後、現在の場所の当時の東京府立三中
の中に私立東京三中夜学校の校名のもとに創立されたものでありますが、以来四十数年、この間あの
太平洋戦争を挟んで校舎の全焼、思想世相の混乱時代を経過し、校名も府立三中夜間中学、府立桂友
中学校、都立三高、都立両国高校と幾変更し、学校の内容も中学から高校と・・・・・・・・・・・
また、母校の校庭校舎共戦災を被り校舎は全焼して一時は廃墟の様であったが数年前大改修が施され
、現在の姿は殆んど創立当時の姿其の儘であることは洵に感慨深い。・・・・・・」

 入江会長は入学式や卒業式の折には必ず来校されました。主事先生につづいて、体育館に整然と並
んだ生徒を前に挨拶されました。いつも、私たち生徒を力強く激励してくれたことを覚えています。
話を聞きながら、私は入江会長は学校のことを詳しく知っている人だなと思いました。また、話が上手でエネルギーにあふれた温かい人だなと思いました。その話しぶりからは、私たち生徒に対する愛情が感じられました。在学中の私は、桂友会のことをあまり知りませんでした。入江会長が両国高校定時制の卒業生であり、学校や私たち生徒のためにご尽力くださったことが分かったのは卒業して何年も経ってからのことでした。ここに、入江会長が桂友会だよりに寄せた挨拶を抜粋して掲載させていただきました。なお、掲載写真は桂友会だよりから複写させていただきました。
2007.10.6)

私たちが在学していたころの校舎 
この校舎で学びました