廬山会議(ろざんかいぎ)
                   2012年3月 Minade Mamoru Nowa

廬山は江西省にある中国共産党幹部の避暑地。廬山会議とは、毛沢東の大躍進政策の
失敗が明らかとなった1959年7月〜8月に開催された中国共産党中央政治局拡大会議
及び中国共産党第8期8中全会を.指す。

この前年、毛沢東は大躍進政策が失敗した責任をとる形で国家主席を辞任していた。
翌59年の第2期全人代で劉少奇が新国家主席に選出された。
毛沢東の権威は失墜しつつあった。

廬山会議は大躍進政策の失敗を討論する場となった。1959年7月14日、
国防部長だった彭徳懐は毛沢東に私信を送り、その中で総路線は正しかったとしつつも、
「1958年の基本建設は一部でいささか急ぎすぎ、目標達成が遅れた」と進言した。

彭徳懐この批判はまっとうなものであったが、失墜しつつある自身の権威をさらに
落としかねないと考えた毛沢東はこの私信のコピーを配布し『彭徳懐同志の意見書』
として会議で討論することに決定した。

廬山会議で彭徳懐の意見に黄克誠(国防部副部長)、周小舟(湖南省党委書記)、
張聞天(外交部副部長)などが支持を表明した。
劉少奇、朱徳らも、穏やかな表現で大躍進政策批判を加えた。

この動きを自身の最高権力に対する脅威と捉えた毛沢東は、23日の大会演説で
彭徳懐のこの私信を「ブルジョワジーの動揺性」であり、中国共産党に対する攻撃、
右傾機会主義の綱領であると激しく批判した。

中国共産党に対する攻撃と毛沢東に言われてしまった出席者たちは、
彭徳懐支持から一転して、「彭徳懐は毛沢東主席に辞任を迫った」
「彭徳懐は資産階級民主主義者」「彭徳懐は党内の投機分子」などと
彭徳懐にきびしい批判を加えた。

さらには、毛沢東の大躍進政策に誤りなど全くないとの発言が続いた。

8月2日から始まった8中全会では、彭徳懐ら4人を「彭徳懐反党集団」と決めつけ、
『彭徳懐を中心とする反党集団の誤りに関する決議』、『中国共産党の総路線を守り、
右傾機会主義に反対し闘争する』議案を採択した。

彭徳懐、黄克誠、周小舟、張聞天の4人は解任された。国防部長と
中央軍事委員会副主席のポストには林彪が就任した。

盧山会議で大躍進政策の誤りを正す方法が絶たれてしまったため、
中国の経済は悪化していった。劉少奇は郷里である湖南省を視察して大躍進政策は
誤りとあったと悟り、「天災三分、人災七分」と結論付けるに至った。大躍進政策に
問題は無く、失敗の原因は天災にあるとする毛沢東とは考えが大きく離れていった。

以上