part2

(発言者の明記が無いものは齋藤重信先生の言葉)

2000年〜

盛岡商業監督に復帰


「父と同じユニホームを着てプレーしたい」
(中村翔/盛商入学)

「岩手県の子どもたちだけで勝ちたい」

「ブラジル人がいなくても岩手の子供たちだけでできることを証明したい」
(青森山田や羽黒など、同じ東北の強豪に対して)

「名将が率いる強豪校には県外からの入学志願者もいるが、
特別な事情以外は断ってきた。」

(スポーツ報知)

「岩手の子だけで十分なのに、迷惑な奴だ(笑)」
(それでも横浜から齋藤先生の下に来た佐々木徹君に対しての冗談)


第83回(2004年度)全国高校サッカー選手権大会

「この試合、どうなるのでしょうか!?」
(実況/国立を賭けた準々決勝。この試合まで無失点だった
前年度優勝校・王者国見高校に、前半で3失点も後半2点を返して
/国見の2失点は5年ぶり)

「フ、フラッシュパス!!!」
(全国のサッカーマニア/ダイレクトパスだけで国見のゴールに迫った盛商のプレーに感嘆)

盛岡商業 
前半
3 国  見
後半

「気持ちのいい試合を見せてくれた」
(福士選手の父)

「このチームを、ここで止めるのが非常に残念・・・」
(大会得点王・福士を擁し、岩手史上最強とも呼ばれたチームをもってしても国立進出を果たせず)



第84回(2005年度)全国高校サッカー選手権大会、県予選決勝

盛岡商業 
前半
2 遠  野
後半
延長

「出て負けた奴より、出ないで負けた奴の方が悔しいんだ」
(途中投入されながら流れを変えられず悔やむ大山徹選手に対して)


遠野高校四強入り、国立へ。
「希望が生まれた。自分たちも手が届くと思えるようになった」
(藤村健友選手)


現チーム始動

「サッカーに対する情熱がない。おれが辞めるか、おまえらが辞めるか選べ」
(2005年11月の県新人戦準決勝。現チーム初の大会で、盛岡市立に0−1で敗退。)

「自分たちのサッカーができていれば、勝てない相手ではなかった」
(成田大樹選手/夏の全国高校総体40年ぶりの8強も、初芝橋本に
シュート18本を浴びて0−5で大敗)

「そんなにやらなくてもいい、というくらい自主的に練習していた」
(2006年9月、全日本ユース選手権で星稜に1−8で大敗し、1週間ボール使用を
禁止された。約20キロのロードなどで倒れそうになる選手も出た。)

「今年の生徒たちはよく食べるし、何より残さず食べてくれるのが嬉しいんだ」
(熊谷寛さん/選手に食事を提供している「とんかつ熊さん」店主)


「誰に聞いても、僕が一番怒られたと言うと思います」
(藤村健友主将)

「手を抜くな。福士ならここで流さなかったぞ」
(2006年9月、走り込みを終えた藤村主将に)

「このチームにリーダーはいない」
(齋藤先生の、色んな意味に取れる言葉)

「福士さんのように、どんな時も下を向かないで先頭に立とう。
チームメートに声をかけ続けよう」

(藤村主将)


第85回(2006年度)全国高校サッカー選手権、岩手県大会

「チームワークの良さが今年のチームの特徴。
チャレンジ精神を忘れず、一戦必勝で戦っていきたい。」

(大会を前に/パンフレットより)

「帰れ」
(練習中、断髪令に従わない選手に)

「課題も多く浮き彫りになった。全国大会までにバランスよく仕上げ、
一つ一つ勝ち上がり頂点を目指したい」

( 全国切符を手にして/2006年11月 5日/盛岡南公園球技場)

「髪を切ったからには決めないと」
(岩手県大会決勝でハットトリックを決めた林勇介選手)

盛岡商業 
前半
2 遠  野
後半


「出馬の意思はない。打診されても100%受けないと思う」
(国見高校・小嶺総監督 12/16)


「全国大会に間に合わせる」
(主治医/冠動脈血栓。8時間に及ぶ大手術)

「看護師に教え子がいっぱいいたのは照れくさかったけどね(笑)」

「医者はOKしてくれた。岩手医大は心臓では名医で有名らしいよ(笑)」
(昨年12月20日に退院し、25日に関東遠征中のチームに合流した際に)

「体を犠牲にして、熱心に教えてくれる。自分たちにとって、大切な監督ですから」
(藤村主将)

「心臓の毛をそったから優しくなったよ(笑)」
(小笠原満男に)

「言っても聞かない人。心配だけど、どうしようもない」
(妻)

「昨年体調が悪かった分、運気が上昇する(笑)」


「全国制覇」
(成田選手のスパイクに書かれた言葉)