「バカの壁」

養老孟司著
新潮新書
2003年4月

ベストセラー本だが、おくればせながら読む。表題の人をバカというのなら少し失礼。「アホ」「ボケ」と連想しかねない。

ソクラテスの無知の知ということか、人は、わからないことを、分かったつもりでいる。進化論もその一つ。

人はその人そのもので変化しない。しかし情報は日々変化する。実はそれは逆である。人は実にいい加減で、昨日と今日で別人であることも。しかし一度発せられた情報は、変わらない。

日本人は身体を忘れてしまった。知識だけで身体を使わない。右脳と左脳、意識と無意識、自己と共同体のバランスが壊れてしまっている。

天才はほぼ社会的不適応な人。神経のシナプスが省略されていて、ある意味で能力が欠けている。

人間の欲は物との関わりから、間接的になると抑止が働かなくなる。原爆、ミサイル。インターネットでは何億という金が動く。

経済の基準は江戸時代では米だった。今はエネルギーで、環境の破壊をしている。 八っつあんとくまさんの樽の話は、明瞭。やりとりは変わらなくても樽の酒は減っていく。

都会のホームレスは、昔の人の理想だった。

一元論でなく、二元論。意識と無意識、脳と身体、都市と田舎の統合。一元論には限界があり、バカの壁は一元論に起因する。

さらに宗教の一神教と多神教、汎神論に広がる。確かに対立は事実であるが、これは少し乱暴な論理に思える。('06,10,9)


「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」
コリント人への手紙 第一 8章2節