「路上のおとぎ話」
吉岡忍著
朝日新聞社
1998年8月
路上はあくまで現実であるが、おとぎ話のようでもある。無意味、無為、無目的、遠回り、寄り道、回り道にも意味がある。
自身の成人期までの体験。川に転落したことや友人の死を経験する。冬眠状態で本をむさぼり読む。教育者の父親からおざなりでない教育を受ける。脱走兵支援で、むやみに正義を振りかざさず、あえて告発はしなかったこと。25歳ではじめて成人の自覚をもったという。
世界の街角にはいまも、強烈な孤独、失業、空腹、無気力をみる。ビニールの袋を乞う子どもがいる。軍事政権下でゲリラとアヘン、昼の資本主義がある。ベトナム戦争時のジャングルにこもった兵士や、六カ国語を話す脱走兵がいる。
広大な中国には、出稼ぎ、涙、悲みの歌がある。アジヤの街角は、車のクラクション、歩行者、荷車、自転車、バイク、自動車の騒音がうずまいている。一方で、砂漠に交通標識あったり、車で四時間走っても変化しない風景がある。
ゲルでは電池があれば音楽も楽しめ、快適で優雅な生活ができる。クナシリに壊されていく自然を見、与論島で杯を飲み交わす習慣が残り、人魂がいまも存在している。事件の悲惨な死、覚悟のエイズ患者の死があり、太古からの受けいれられてきた、自然の中の死が息づいている。
コックピットに同乗、パイロットの動きに安心感をおぼえる。御巣鷹墜落事故の取材から、生存のスチュワーデスの恐怖を知る。
金属バットの検索で、暴力沙汰の多さがわかる。伊勢湾台風の援助で、セーラー服が送られてきた。新生都市の誕生で、地蔵さんをどこに置くかが問題になる。いまは東大などの入学者数ではかられる教育レベルである。カナリヤは小説家、オウム事件で活躍する。
酒鬼薔薇少年と南の島について。神戸の震災でニュータウンから、57名の死者を出している。事件の関心は加害者に向けられる。マスコミは犯人の極悪非道を強調し、その両親を非難する。
閑静な住宅街、豊かで快適、清潔な町にちがう世界がある。彼は現実を拒否し、窮屈で生きにくい、あいまいでにくにくしい、現実の死角、影の部分、コインの裏側を見ている。
人間がどこまで壊れやすいか、無関係でない、加害者になる道筋を知る必要もある。('06.11.4)
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」
伝道者の書3章11節