壊れた脳 生存する知
山田規畝子
講談社
2004年2月
事故で脳に障害を負いながらも、以前の映像制作に取り組む人がいる。認知症が進行をするなか、自己の体験の講演活動を続ける人もいる。これは脳障害を受けながら、著作に取り組んだ人の貴重な手記といえる。
外科医師として院長も務めたが、高次脳機能障害、通称モヤモヤ病と診断される。脳卒中をくり返し、34歳であとは余生といわれた。
客観的に観察できない脳の世界を記録できるのかどうか。途中脳卒中で中断、4年がかりで書かれている。
画用紙に絵を描くとき、机との境が分からない。遠近感や立体感がなく、色や形もはっきりしない。すべてが平面の世界に見える。階段の上りと下りの区別がつかない。トイレに足をつっこんだりする。
時計が正確に読めず、4時が8時になったりする。時間のタイミングがとれない。信号を渡るのに、どれ位かかるか計算ができない。自ら、自分の異常さを客観的に振り返るところが妙だという。
本や新聞が読めない。いつまでもしゃべり続ける。なんでも自分勝手に都合いいように解釈する。数分、数秒しか記憶が続かない。普通だと落ち込んだり、引きこもるが彼女はあきらめない。
症状には必ず理由がある。障害を客観的にとらえて、原因を知り、その正体を突きとめたいと、きわめて前向きに考える。いろんな工夫もする。視覚より触覚に頼る。漢字も考えるよりまず書いてみる。
もう一人の私を発見し、「前子」ちゃんと呼ぶ。彼女がいろいろアドバイスをしてくれるという。少しづつ、失敗も少なくなる。記憶は古いものは残るが、新しいものはすぐに消える。
メモをとり、ものは一つの所に決める。自動車の運転にも挑戦する。
ついに2年半で医師に復帰する。しかしそれもつかの間、またもや4度目の脳出血が起きる。巨大血腫を除去し、助かっても植物人間といわれる。でもあきらめない。
今までの前頂葉に加えて後頭葉にも損傷を受ける。左半身が麻痺、さらに障害が広がる。
しかし、リハビリによって再度、職場復帰を果たす。
痴呆症との違いは、自分がだれか知っているかのことだけ。長い横断道路、でこぼこ道路の今の社会はバリアだらけ。周囲の冷たい目がある。脳の障害のハンディキャップは、他の人には分かってもらえない。
ろれつの回らない話し方、のろのろ動作で、回りからは叱られたり、きついことを言われる。しっかりとか、がんばれとかはプレッシャーになるだけ。逆に大事にされすぎることも、引きこもったりすることになる。
壊れた脳もまた、リハビリによって新しい組織ができて、機能を果たすようになる。記憶は海馬というところで機能する。
絵を描いたり、音楽でリラックスする。速読で一日一冊本を読んだり、4倍速の速聴もする。百ます計算など自分流のリハビリを重ねる。犯罪以外は、何にでも挑戦する。
半死半生、限界状態をくぐり、脳障害という深刻な疾病にありながらも、内容が暗くなく、お涙ちょうだいがない。著者の文章と障害の症状にいくらか乖離を感じるのは当然だろう。解説で不死鳥のごとく立ち上がった、一人の女性(外科医師)の闘病記録とたたえている。('06.11.11)
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
コリント人への手紙第一 12章22節