今ひとつだった77年春のセノハチ「巡礼」のリベンジを果たしたく
78年も押し詰まった師走の30日に「再巡礼」しました。

前回と違い今回は,夜行「ながさき」号で門司まで行き,下関から
普通で広島まで行くスケジュールでした。


 セノハチ 78

高校生の分際で...,とは思いましたが,早岐に入線してくる「ながさき」号の
長崎編成を見てたら,衝動的にオハネ12に乗ってしまいました。寝台料金は
痛かったけれど,手書きの寝台券と「普通列車の寝台車」の乗り心地を味わ
えたのは思い出になりました。

起きたら北九州を走っており,門司〜下関は421系,そして下関で153系に
乗り換えました。車中では下りの夜行寝台とすれちがい,まさにブルトレの
黄金時代でした。

画像はすべて,1978年12月30日。 
右上はオハネ12車内,右下は下関。



さすがに防府を過ぎる頃には暖房と寝不足で眠りこけていました。

瀬野からはバスに乗り,念願の瀬野西トンネルに見参!しました。最初はEF66と58の荷物が通るなど順調だったのですが,補機付きの貨物がきません。焦っていると,同年代の鉄人がトンネルに上がって来て,雑談する中,「やっぱり,今日はウヤが多いね」と関西なまりで話します。これで年末は貨物はウヤが多いことに気がつき,愕然としながらも,瀬野機関区に向かうことにしました。


この頃は,急行から格落ちした153系が80系を追いやっていましたが,さらにこの153系を追いやろうと,115系が配置され始めていました。小型シールドビームの前照灯とクーラーは新性能電車の象徴でした。