高校に入学して以来,コツコツと蓄財し,足りない分は何とか工面して東京に行くことに
なりました。実は,こっち方面に祖父母がいるので,今の内に高校入学の報告を,という
事もあったので,スムーズに工面交渉は進みました。
それに,東京に行くなら飯田線にも寄れる...。
夕方の「さざなみ」までは,時間があるので,まずは上野の大跨線橋へ向かう。
冷房の車両から出てきたので,,都会の暑さがこたえる。冷水器に口をつけて
みるが,消毒臭くて飲めない。
ジュースばかり口にしながら,車両を眺めたり撮影したりする。
お目当ての181系「とき」がやって来る。10月の改正では動きがあるのか
元クロ車両は入っているのだろうかなどと思いながらシャッターを切る。
夕方に上野をたつ「はつかり」583系が引き揚げ線で準備している。「はつかり」は
やはり583系だと妙な実感を持つ。
しかしながら,さすがは大東京の上野駅である。次々に特急や急行車両が出入りし
ホームはいつも混雑している。これが新幹線がない本線系統の様子なんだと
納得する。そんな中でも,地上ホームに「仙台行」の旧客普レがのんびりと停車していて
いつの間にか,おっとりと発車して行った。
各線筋の特急が次々出入りするが,485系や183系が主で,取り立てておもしろみは
ないので,上野公園で小休止する。夜行と暑さでやや疲れ気味である。
公園の水道で行水しているおじさんなどに驚きつつ,一息ついたので,次は品川へ
向かう。車中の電車では宇宙博覧会に行く家族連れ多く見かける。そう言えば,
品川の海沿いで,モーターボートの胴元が主催しているらしい事を思い出す。
品川へ着く。そろそろ夕方でもあり,ブルトレの留置線あたりが忙しそうである。
お目当ての貨物列車へ向かう。EF58の貨物であるが,鉄道雑誌によれば,重連で
2機ともパンタを上げるのは珍しく,また,品川の出発線は架線が高いのでパンタの
上がり具合が「美しい」というので,撮影に来たわけである。
なるほど,確かに4丁パンタである。それに,つい先日ブルトレ仕業をお役御免となった
EF65の500番台まで並んでいる。さすがに人気列車だけに,数人のファンがカメラを
構えていた。
品川客車区のなどを遠くから眺めるなどして,東京地下合ホームへ戻る。
2年前に品川〜東京が地下で結ばれたのに「スか線」車両は直通せずに,総武線系統が
品川まで乗り入れて,品川乗り換えという不思議な運行形態である。
充実した長い24時間であったが,さすがに疲れを覚え,「さざなみ」車中は熟睡であった。
遠征旅行 1978
1978 8.8 日宇
8.9 左:佐世保 右:三河内〜有田
1978年8月9日に出発でした。以下は当時の自分で書いてみます。
久しぶりの「さくら」乗車である。鉄道写真を撮影するようになってから乗る機会がなくな
ったのは皮肉なことである。回4002レの入線を見ようと,発車時間の50分前に駅に着く。
指定された号車と座席に荷物を起き,まずは記念撮影する。秋の「あかつき」2段寝台化を
控え,「さくら」もそうなるだろうから,3段時代の記録を撮っておくことにする。
奥に見える客車は,17時台の大村線諫早行である。今頃はこの「さくら」の回送の後部穂機
であるDD51の機回しが行われていることであろう。
発車する。この2年間沿線で見送るだけであったので,久しぶりの乗車は感無量である。
空いている車掌室を確認して,有田手前のカーブで走行写真を撮影する。秋にはここも
信号所が開設され,佐世保線の様子も少し変わることであろう。
鳥栖の停車が短く,DL→EL機関車交換の時間がなくなった事に気付き,変なところで
佐世保線電化の実感に気付く。
福岡を出てからの寝台セットに合わせて,食堂車に行く,西鉄宮地岳線の電車を左手に
見ながらの夕食は格別である。車窓から見るだけでは福岡の水不足はわからない。
いろいろ楽しんだり,知らず知らず気を遣ったりしたので,広島直前に眠ってしまった。
翌朝は名古屋で目覚め,豊橋直前の寝台解体にあわせて,食堂車で朝食を取る。
いろいろなお馴染みの風景を眺めつつ,下りの「さくら」が佐世保に着くのと同じ頃に
東京に着く。2年ぶりの東京である。