さようなら 九州特急 ブルートレイン

いつかは来るとは思っていましたが,東海道・山陽本線から夜行寝台特急が消える日が来ました。
60年代に生まれ育った者にとっては特別な思いのある列車です。

今回は「むかしスペシャル」として,往時の夜行寝台特急の思い出や記憶を残してみます。
思い違いや記憶違いもあるかと思いますが,寛大にお願いします。

幼い私に強烈な印象を残し,鉄道に興味を持つきっかけを作ってくれた「さくら」について
佐世保から東京までの記憶を記してみます。私の思い出の中では,1969年の冬と
夏1971年の春の乗車を基に,復刻版の1970年8月の時刻表でたどっていきます。

〜プロローグ〜
「さくらで東京まで上る」。佐世保の鉄道好き小学生にとっては,この上ないハレの日でした。
我が家の場合,長期の滞在になるのでチッキで荷物を送っていました。おおよそ,お昼前後に
駅に持っていくことが多く,時間的に「さくら」の到着と重なり,ますます気分は高まりました。
当日は,近所へのあいさつ回りをしたり,入浴したり,昼すぎから夕方まであっという間の
経過でした。
駅には,15時半に着くことが多く,入線してくる「さくら」を見て,車体の色や行き先表示から
さらに気分は高まるのでした。

「1番線の列車は〜,16時15分発,特別急行さくら号東京行きです。この列車には乗車券の
他に特急券と寝台券が必要です。」
16時15分の発車時刻と「特別急行」のアナウンスは記憶に残っています。必要な切符が
3種類もあることも気分を盛り上げてくれました。

ドアが開いてナロネ21に乗り込みます。家庭用クーラーなど贅沢な時代なので,室内の
空気が印象に残っています。見送り人の出入りや立ち話などがあっていると,発車です。
「東京行き,特別急行さくら号,発車します,次の停車駅は早岐,早岐です」
ベルの音が止み,ちょっとした静寂,ドアの閉まる音,汽笛,発車です。

〜早岐停車と儀式その1〜
山と海にはさまれた佐世保の街並みを2つのトンネルで抜けると,早岐に到着します。
早岐での方向転換は佐世保線の宿命ですが,佐世保から出るときも帰るときも,この
駅で一呼吸おいて,気持ちを新たにするようで,風情があります。
機関車が付け替えのために車窓をかすめます。連結を外すときはわからなくても,再び
つなげるときは衝撃でわかります。
そして,逆方向に出発です。この逆方向の発車は,幼心に不安で間違って佐世保方向に
行くのではないかと心配していました。早岐区のSLや客車郡が通り過ぎると,佐世保方の
線路が左手に消え,心なしか機関車も快調に加速していくように感じました。

〜肥前山口まで〜
佐世保発車からの緊張感からか,この区間の記憶は曖昧です。有田や武雄よりも三間坂や
北方の駅構内が何となく印象にあるくらいで,単調に佐賀県西部を走っていきます。
大町は駅側の家電工場の退勤時間と通過時間が重なっていました。ここを通過する時に
1日の終わりを感じていると,車内に肥前山口到着のアナウンスが流れます。
肥前山口では長崎からの編成を佐世保編成の後ろにつなぐこと,その作業で停車しても
ホームへは降りられないこと,連結が完了してからドアが開くことなどを抑揚をつけた言い
回しで放送します。放送が終わる頃に,車窓右手から長崎本線の線路が寄り添ってくると
列車のスピードが遅くなり,肥前山口到着です。

〜肥前山口停車と儀式その2〜
肥前山口の到着時間は,佐世保編成が17:18,長崎編成は17:25です。佐世保編成は
長崎編成が到着するまでに,簡易電源車マヤ20を外さなければなりません。
駅に着くとナロネ21の室内扉の向こうに人が集まり,作業の呼称が聞こえます。親には
絶対に見に行くなと言われているのですが,そう言われると見に行きたくなります。目を盗んで
行ってみると作業員の方がいて,「ボクは席に座っていようね〜」と,優しい声と厳しい目で
追い払われます。席に戻ると,突然,室内の灯りが非常灯に変わり,エアコンも止まります。
西九州でも8月のこの時間帯では,室内が暗くなり不安を覚えます。しばらくすると,右車窓に
サ〜ッ,という感じで長崎編成が滑り込んできます。食堂車の灯りがまぶしく感じます。長崎
編成の機関車を外す時間が長く感じ,エアコンの切れた室内が次第に熱く感じ始める頃に,
軽い衝撃で佐世保編成が動き出します。さっきのマヤ20方向の室内扉が明るくなっています。
いろいろな動きがあって,無事に連結し,作業員の呼称の後,室内灯がつき,エアコンの作動を
冷気で感じ,幼心にもホッとします。この頃は,アポロ宇宙船の全盛期だったので,宇宙船同士の
ドッキングとこの連結作業が重なった印象として記憶しています。
「ドッキング」した後は,堂々と車外に出て良いので,室内スリッパのまま肥前山口のホームに
降り立ちます。マヤ20がいた方向にズラリと同じ色の車体が並んでおり,先ほどの作業を実感
します。ウロウロしていると,車掌さんに促されて室内に戻り,ウロつくなと説教されていると,
ベルが鳴り始め,発車です。今までの発車とは違い,出足の遅さにフル編成を実感するのでした。

〜鳥栖停車と儀式3〜
トロい出足だったフル「さくら」も快調に佐賀平野を走ります。カーブで後ろを見ると,長崎編成が
「付いて」おり,嬉しい気分になります。肥前山口から鳥栖までの間に,長崎行き,佐世保行きの
2本の「かもめ」とすれ違うはずなのですが,印象にありません。佐世保「かもめ」との離合は,下り
「さくら」と上り「かもめ」の三間坂での事が強く印象に残っています。
佐賀駅を着発する頃には陽もある程度は暮れており,発車直後の踏切で退勤者と佐賀県の地場の
メーカーが製造することで有名な,某アイス菓子の巨大横長看板が印象的でした。その先で佐賀線と
分かれていました。佐賀から離れるのに「佐賀」線とは不思議だと思っていたので記憶しています。
鳥栖に着きます。子どもでも架線があれば電化していることはわかるので,機関車の付け替えだと
思っていると,その旨の放送があるので自画自賛気分でした。付け替えを見に行きたいのですが,
絶対にお許しは出ないので,DD51が離れることを汽笛で,ED73がつながることを,中線を移動する
姿で確認します。DD51よりも甲高い汽笛で鳥栖を離れます。これから東京までずっと架線の下です。