さようなら 九州特急 ブルートレイン
〜鹿児島本線上りの儀式〜
鳥栖を出て快調に走ります。下りの山陽からの優等列車群とすれ違っているのでしょうが,記憶に
あるのは,サーモンピンクの近郊形421系です。すれ違いざまの迫力は長崎本線系統とは違い,
さすがに電車の迫力でした。
後年の14系「さくら」では,博多を出た後に寝台のセットを始めていましたが,この頃の記憶では
博多駅の到着前には寝台がセットされていたように思います。博多駅の到着は寝台の窓から見た
記憶があるからです。A・B寝台による違いなのか,それとも車掌補廃止による業者への委託が原因
なのか,おそらく後者だと推察しています。
鳥栖〜博多で車掌補さんの鮮やかな寝台セットも儀式のひとつでした。やや青みがかったグレイの
上っ張りを着ていた印象です。

それにしても,寝台がセットされた車内は雰囲気が一変し,列車の中にセットされた寝台があり,それが
高速で走っている,という実感は言いようのない不思議さでした。私の鉄道への興味や愛着の原点
です。ナロネ21は同じプルマンでも昇降装置のあるオロネ14や24と違い,広々とした感じで,
マイネ41の伝統を受け継いでいました。セット作業を見ているのに,寝室内に入ると,どうしたら
この空間ができるのか不思議でした。今,思えば,ナロネ21の寝台座面と窓枠の下の部分や
テーブルの位置が絶妙で,幼児や小学校中低学年の子どもには正座してこれらに腕を組んで
寄りかかると,楽な姿勢が取れ,夜の車窓を見るのに適していました。後年,アルバイト代を貯めて
オロネ14に乗りましたが,子どもの時のようにはうまくいきませんでした。(モハネ581なども試して
みましたが,論外でした!)

博多を出たら寝台内で弁当を開くのも儀式でした。子どもの頃に夕食を食堂車で取らなかったのは
待ち時間の長さや「居酒屋」状態であるのを親が敬遠したからでしょう。
博多を出てから,車内の灯りが目立つ西鉄宮地岳線と並走するのは,佐世保「さくら」廃止まで
変わりませんでした。西鉄宮地岳線が終わると,暗闇を走ります。現在は福岡や北九州からの
住宅圏が広がっている区間ですが,当時は香椎あたりを過ぎると,折尾まで田園地帯だったように
記憶しています。弁当を食べたり,ジュース(プルトップではない缶切りの着いたモノ)を飲んだり
していると,工業地帯が見えだし,北九州の複々線区間に入ります。下りの「さくら」では朝食を取り
ながら見る風景でしたが,夜は,暗闇で所々にSLが止まっていました。キャブ内のから洩れる白熱灯
や火の粉の混じった煙など,夜のSLは子供心には,少し怖かったです。

〜そして,関門儀式へ〜
小倉を出ると幾本もの線路が広がり,「さくら」の走りもより快調になります。いろんな車輌が止まって
おり,ただならぬ区間であることがわかります。EF30の銀色コルゲートが操車場の光を反射したりして
関門が近いことを教えてくれます。門司でも,機関車交代を見に行くことは叶わず,音や衝撃,汽笛で
確認するだけです。親の話で,海の下を通っていることを知るのみで,実感のわかないままトンネルを
出ます。
出てしばらくすると,下関機関区が左車窓に見えます。直流機を見て,子どもながらこの線路が東京に
つながっていることを実感します。茶色や青,青白の機関車が見え,気分も盛り上がります。ホームに
着くと,「湘南」電車が停まっており,さらに,「東京」へ向かっていることを自覚します。

当時の私は,湘南電車を室内が蛍光灯と白熱灯の2タイプに分けて捉えていて,今思えば,蛍光灯の
153系が好みでした。旧型客車でも,茶色より青色が好みで,これは単純にブルトレの仲間だと誤解
していたからです。
再び,車内に軽い衝撃があり,今度は低くかすれた感じの汽笛で下関を出発します。山陽本線に
入ると電車よりも貨物列車とのすれ違いの記憶が強いです。時間帯からみて,正しいとは思いますが,
まだ,新幹線接続の特急も下っているはずですが,記憶にありません。宇部か小郡か徳山で,
向かいホームに181系が到着するのを見た記憶があります。時刻表を見ると,小郡〜徳山ですれ
違うダイヤなので,おそらく遅れの「しおじ」を見たのでしょう。下りの「さくら」での,上りの「しおじ」との
すれ違いは記憶にありますが,はっきりとクロハを見た記憶はこの時だけでした。大きい窓のクロハは
子ども心にも違う存在に見え,高級感は感じず,怖かったことを憶えています。

下関を出ると,車販のサンド「ウィツチ」を夜食にして眠りにつくのがパターンでした。ふだん食べない
ピクルスの味が寝台列車の記憶と混じり合っています。

学生時代などは,セノハチのEF59を見て眠りについていましたが,この頃はさすがにそうもいかず
多分,減灯を告げる車内放送で寝入っていたのでしょう。EF65の汽笛やすれ違う貨物の汽笛などが
子守歌だったのでしょう。神戸で東海道に入り,大阪,京都を過ぎても白河夜「鉄」で駆け抜けます。