二人孔明−中編−
 

「兄上は私たちを捨てたのだ。この乱世を生き残るには自分の力のみで生きるしかない」
兄の諸葛瑾が継母と共に南に行ってしまった時、亮はそう言った。
もともと洛陽で勉強していた諸葛瑾は袁術の人となりをきらって南へと職を求めて行ったのだ。
諸葛亮たちの父・諸葛珪は早くに亡くなり、袁術に仕える叔父・諸葛玄に引き取られることになった。
諸葛玄には若く美しい妻がいたが、子供がいなかった。
諸葛亮たちの継母はこの諸葛玄の妻との折り合いが悪かったため、兄とともにこの地を去ったのである。
叔父は豫章郡太守をしており、家庭は裕福であった。
亮と均はそれぞれ塾に通い勉学に励んだ。
そのころから兄の亮は抜きんでて、叔父を大いに満足させた。

その後太守の職を追われ、叔父と共に荊州の劉表をたよって移動した。
兄は常に口癖のように言っていた。
今の朝廷には力はない。いつ倒されてもおかしくはないのだ。
そして春秋時代の斉国の名宰相管仲と自分を比較していた。
いつか時代の覇者を自分が作り上げるのだ、と。

諸葛均はその兄を嫌いではなかった。
あのことがあるまでは。

ある時、同じ塾に通う者が諸葛亮に論戦を挑んできた。
諸葛亮とその者は互いに伯仲し昼も夜も論戦を繰り返した。
それが徐庶、字を元直という若者であった。
諸葛均は兄に負けじと徐庶に論戦を挑んだ。
しかし難なく均はそれにしてやられてしまった。
兄は均を慰めたが、同じ口でその相手に言った。
「小者を相手に勝って満足するようでは到底田彊、古冶子にはなれぬ。あなたはもっと高い意識を持った方がよい」
田彊と古冶子というのは斉国の勇士の名である。
諸葛亮が好んでよく使う名であった。
均はこれを聞いて憤慨した。
自分を小者と称されて、怒らないはずはない。
兄が自分をどう思っているのか、このとき初めて知ったのだった。

そう思ってみれば、言葉や態度の端々に自分を卑下する兄を感じてしまう。

兄が語るように楽毅(戦国時代の燕国の名将)を語っていると必ず兄に揶揄された。
身の程もわきまえずに大きな事を語るのは慎むべきだ、という。

叔父にしてもそうだった。
亮、という言葉の後には必ず褒め言葉が続き、そこで均の顔を見て終わる。
それでもひねくれずに育ったのは均の真面目な性格のおかげだったかもしれない。

そういう思いをもう何年も抱いてきた。
 
 
 

船のなかで諸葛均は、目の前の白い横顔にしばらく見とれていた。
そうこうしているうちに船は夏口につき、諸葛均は周瑜を運び込もうとした。
「某がお連れします、軍師どのは先にお戻りになってください。ご主君がお待ちでしょうから」
趙雲が先に周瑜を抱き上げて運び出す。
諸葛均は仕方なく趙雲の言うことを聞き、城へと向かった。
兄は先に戻っているはずであった。
 

部屋に戻ってきた孔明は、世話係の月瑛を下がらせ、諸葛均と再会した。
「よくやった。誰にも見られなかったか?」
「一隻追ってきた船がありましたが趙子龍どのが矢を射かけてくれたおかげで逃げることができました」
「・・・・だれの船だったか?」
「さて、そこまでは」
「・・・そうか。まあ、いい。ご苦労だった。もう下がって休むがよい」
「・・・あの人をどうするのです?」
「・・・おまえが知る必要はないよ。これからおまえにはまだやってもらわねばならないことがある。今のうちに休んでおくように」
拒絶されたようで、諸葛均は不愉快になった。
「・・・わかりました」
その態度に違和感を覚えた孔明は諸葛均を下がらせる際、
「おまえ、まさか周公瑾に手を出したりはしていないだろうね?」と訊いた。
諸葛均はそれへ顔を真っ赤にして応答した。
「兄上は私をそのような者だとお思いなのですか!?」
「いやすまない・・・・そんなつもりではないのだよ。ただあの人は誰の目にも美しい人だから、ね」
孔明は苦笑しつつ弟に謝った。
「兄上こそ、どうかしている・・・たかが女一人に何を焦っておられるのか、私にはわかりません」
心にも無いことを言った、と思ったが、兄に対してはこう言わざるを得ない。
 
諸葛均は決めた。
周公瑾を奪ってみせる。
兄には渡さない。

兄に対抗するだけではなく本心からそう思った。

その夜、諸葛均は兄が酒宴にでていることを確認すると、周瑜の寝所に密かに入り込んだ。
自分を兄だと思っている周瑜の口からは、甘い言葉など聞けるはずはない。
それなのになぜか無性にこの人を抱きたい、と思った。
口づけしようと唇を寄せると、その唇を噛まれた。
諸葛均の唇から、つぅ、と紅い筋が顎に向かって流れを作った。
それを手の甲で拭う。
「前にも言ったが私はあなたが嫌いだ」
拒絶の言葉を受け取っても、胸の灯火を消すことはできなかった。
「それでもいい。私のものになれば少しは考えも変わるでしょう」
そういって、周瑜を押し倒した。
愛撫の手を休めず抱こうとしたとき、周瑜の眦に涙が伝うのを見た。

諸葛均はそのとき、やっと我に返った。

「泣いているのですか」
声をかけても、周瑜は向こうをむいて顔を見せない。
「・・・・・公瑾どの」
白い乳房が剥き出しになり、震えていた。

ふれてはいけないものに触れてしまった、と思った。
このまま抱いてしまえばいい、と思う気持ちとが戦っている。
だがそうするとこの人は未来永劫自分のものにならないような気がした。

「・・・私を憎みますか?」
「・・・当然でしょう」周瑜は横を向いたまま答えた。
「あなたはとても魅力的です。私はその誘惑と今戦っています」
「・・・・・」
諸葛均は結局、この時周瑜を抱くことを諦めた。
周瑜はなぜ、と問うた。
諸葛均は自分の帯を締め直しながら体を起こして答えた。
「これ以上あなたに嫌われたくないからですよ」
 

周瑜のいる部屋から出ていく時、諸葛均はちょうど向こうからやってきた孔明に出くわしてしまった。

「・・・・・ここで何をしている?」
兄は厳しい口調で均を問いつめた。
「別になにも」
「こんな時間にこの部屋に出入りして、何もということはないだろう・・・」
孔明が何を言いたいのかわかった。
均は緊張した。
兄は怒ると無口になる。そして行動にでるのだ。
「明後日、趙子龍とともに江陵へ発て。そこで陣を張り、南郡と孫軍の動きを見張るのだ」
「・・・・兄上はどうなされるのです?」
「私は関雲長と共に襄陽へ向かう」
「・・・・本当のねらいは襄陽ですか」
「江陵など孫軍にくれてやるさ。だがその真意をまだ見破られるわけにはいかぬのでね」
「・・・・・公瑾どのは?」
「・・・・公瑾どの、だと?」
孔明はこの時、弟が周瑜に対し、自分と偽って接していることに気づいた。
諸葛均は兄が怒っていることに気づいていたがそのまま黙って歩み去った。

孔明は弟を見送ると、周瑜の部屋をそっと覗き込んだ。
そしてぎょっとした。
白い肩と胸を剥き出したまま横たわっていたからだ。
「均・・・・・!」
孔明は拳を握って震わせた。
「許さない」
 
 

 
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