祖茂の言葉に周瑜は衝撃を受けた。
「な、何を・・・」
「鎧も着ず、あれだけ身体を寄せ合っていればうすうすは気が付くさ」
祖茂はふっ、と笑いながら言った。
「だけど、さっき接吻するまでは自信がなかったんだがな」
「・・・・」
周瑜は最初、かたくなに唇を噛みしめていたが、やがて気の抜けたような表情になって、祖茂の頭ちかくに手をついた。
「・・・・やっぱり、無理があるのでしょうか。男として、やっていくには」
その言葉を聞いて、祖茂は少し微笑んだ。
「・・・・いいや、そんなことはないさ。君はよくやっていると思うよ。・・・ただ、俺にしたように、あまり無防備にならない方がいいね」
「・・・知らず知らずのうちに、あなたを頼っていたのかもしれません」
祖茂の横顔を見下ろしながら周瑜はぽつり、と言った。
「俺の嫁になるかい?」
「えっ」
周瑜は目を丸くして驚いた。
その様子を見て、祖茂はまた笑った。
「・・・冗談だよ。だけど、君はおとなしく家の奥にいるタチではなさそうだね。それに第一勿体ない」
周瑜はそれへは返事ができなかった。
こんなことを言われたのは生まれて初めてだった。
「そんなこと・・・初めてです、言われたのは」
「そうか。君が普通に女の子として生活していれば君を巡って諍いがあちこちでおきそうだね。そうならなくてもしかしたら良かったのかもしれないね」と言ってからかうように笑った。
そんな軽口にも応じず、周瑜は黙り込んだままだった。
「・・・悪かったよ。そんなに考え込まないでくれ」
祖茂はそう言うと片手を伸ばして周瑜の手に触れた。
「・・・・私はたぶん、男としても女としても、未熟なんだと思います」
「そうかい?結構イイ線いってると思うけどな。なんたってこの俺が惚れたくらいなんだから」
「大栄・・・・」
「でもね、君には若君の方がお似合いだよ。・・・けど君は男として若君の傍にいたいんだろう?」
「・・・お役に立ちたいと、思っていますから・・・」
周瑜はうつむいた。
「君はきっと苦しむだろうね。だけど、自分で選んだ道なんだから後悔なんかしちゃいけないよ」
「・・・・・」
そのとき、祖茂の目が大きく見開かれた。
「公瑾!」
「えっ・・・?!」
祖茂は片手で周瑜を後ろへ突き飛ばした。
周瑜の目の前に剥き出しの刀の刃が振り下ろされた。
刀の切っ先はわずかに祖茂の腕をかすめた。
「な・・・!?」
目の前に抜刀した男が立っていた。
「あ・・・あなたは!」
「へ・・へえ、覚えててくれたんだねえ、可愛い子ちゃん」
その男は、いつか長江のほとりで周瑜を襲い、またこの砦で祖茂を包囲した裏切り者の兵士であった。
「へへ・・あんたらの口を塞いで、俺は何食わぬ顔で孫軍に戻るのさ」
「そんなこと・・・!」
周瑜は祖茂の脇に置いてあった剣を取った。
「公瑾、気をつけろよ!」
周瑜は立ちあがって剣を抜いた。
「大丈夫です。このような卑怯な男になんか負けません」
「へええ。可愛い子ちゃん、剣なんか扱えんのかあ?へっへへ」
「・・・・・」
周瑜は1歩踏み出したかと思うと、下段から斜め上に男に向かって斬り上げた。
「うぎゃああっ!!」
周瑜の太刀筋の後を紅い筋が追っていくようにしぶきをあげる。
男の体が周瑜の振り上げた剣のむこうに倒れて行く。
「見事だ・・・・・」
祖茂は横たわりながらそう言った。
その表情に苦痛の表情が交じっているのを周瑜は見逃さなかった。
「大栄・・・?」
剣を置いて、慌てて祖茂のそばに駆け寄る。
祖茂の腕に小さな細い紅い筋が見えた。
「まさか・・・・!」
周瑜は倒れている男の持っていた剣を見る。
「毒が、ぬってあったのか・・・!」
ともかく、毒を少しでも吸い出さないと。
周瑜は祖茂の腕の傷を吸って、吐き出した。
「どうした!?今の声は!?」
部屋に入ってきたのは呉景と孫策だった。
「早く医師を!お願いします・・!刺客が毒を!」
周瑜の声は悲鳴に近かった。
「刺客だと!?」
孫策は倒れている男を一瞥した。「くそっ!」
「まってろ、すぐに医師を呼んでくるからな!」
そして踵を返して部屋を出ていった。
呉景は祖茂の傍に寄り、手を握った。
「おい、しっかりしろ、大栄!」
「う・・・っ・・・」
「お水を持ってきます」
周瑜は席を立った。
周瑜が水を持って来たときには孫策が医師を連れてきており、すでに治療に入っていた。
孫策は周瑜を見つめ、手招きした。
祖茂のすぐ横には医師と呉景がついている。
孫策は周瑜をつれて部屋を出た。
入れ替わりに兵士が入ってきて、死んでいる男を運び出した。
孫策はその男の方を顎で指し、
「あれ、おまえがやったのか?」と訊いた。
「・・・・ええ。不意打ちを食らいましたので・・・しかしそのときに大栄は私を助けて、あんなことに」
「そうか」
孫策はうつむく周瑜の肩を抱き寄せた。
「少なくとも、おまえが無事で良かった・・・」
周瑜は孫策の顔を見た。
「・・・・伯符さま・・私は・・・・」
こらえようと思った。
こらえられると思っていた。
だけど、悔しくてどうしようもなかった。
自分はいつも誰かに甘えている。
さっきまでは祖茂に、そして今は自分の身を案じてくれている目の前の少年に。
自分の未熟さが憎かった。
孫策が見ている前で、周瑜の切れ長の目から透明な滴が零れ落ちる。
孫策はあっ、と声を出しそうになった。
見てはいけない物を見てしまったようで、孫策は周瑜の顔を自分の胸に押しつけた。
周瑜は孫策にすがりつくようにして忍び泣いた。
孫策にとってはこんな風に周瑜が泣くなんて意外だった。
「公瑾・・・」
孫策は周瑜の顔を見せないように自分の袖で隠すように抱き込んだ。
その涙を誰にも見せたくなかった。
(13)へ続く