「伯符・・・話があるのです」
「なんだ?あらたまって」
周瑜は孫策の部屋を尋ねたのは祖茂が使いとしてきた次の日だった。
「伯符さま」
唐突にそう呼ばれた。
「な・・なんだよ、それ。気持ち悪いな、そんな風に呼ぶなよ」
「いいえ。私は孫将軍の部下として仕えるのですから当たり前です。本当は若君、とお呼びするべきなのでしょうが・・・」
「馬鹿!やめろ」
「こういうけじめをつけなければ従軍できません」
「公瑾、俺はおまえをそんなふうに思っていない。俺とおまえは断金の誓をした義兄弟じゃないか!」
孫策は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「伯符さま・・・」
「よせって、言ってるだろう!父上が何をいってこようが関係ない。俺が許すんだからそれでいいじゃないか!」
そう言って、孫策は部屋を出ようとした。
そこで祖茂と会った。
「失礼いたします、若君」
「な・・なんだ、おまえか」
「今のお話、通りすがりに聞こえてしまいました。若、公瑾の言うことをお聞き入れください」
孫策は周瑜を字で呼んだことに気が付き、自分より背の高い祖茂を見上げた。
「な、なんだよ、おまえまで」
「若は将軍の嫡子なのですから皆が敬意を払うのは当然です。公瑾が若のことを字で呼び捨てになどしていたら、孫軍の中で孤立してしまいます」
「孤立・・・?」
孫策は部屋の周瑜を振り返った。
少し、哀しそうな顔に見えた。
「・・・・わかった。だが、絶対俺を若とか殿なんて呼ぶな」
少し怒った口調のまま、孫策は祖茂の脇をすりぬけて行ってしまった。
それを見送って、祖茂は部屋から出てきた周瑜に目をやった。
「良く言ったね。立派だったよ。なに、すぐに慣れるさ」
周瑜は少し微笑んで祖茂にうなづいた。
「ありがとう・・・あなたが口添えしてくれなかったら喧嘩になっていたところです」
「大丈夫だよ、若君だってわかっているさ。ただ・・・素直になれないんだろうね。それだけ君が好きってことかな」
祖茂はぽん、と周瑜の肩を叩いた。
孫策は足早に歩いていった。
表に出ると、駐屯していた兵達に迎えられて、少し驚いた。
口々に彼らは孫堅を、そして孫策を褒めたたえ、出立がいつになるのかを聞きたがった。
孫策は彼らに、準備が整い次第だ、と言い、いつでも発てるように万全の準備をしておくように、と言って、また屋敷に戻っていった。
祖茂のつれてきた50名とは全然ちがう、寄せ集めの連中だ。
あの連中をまとめて訓練しなければならないだろう、と思った。
周瑜がああいったのも一理ある、とは思っている。
こういう連中に指揮官を侮らせてはいけない。
しかしそれが周瑜に対しては、妙に他人行儀だという気がして、気に入らなかったのだ。
(おれはあいつを他の連中と同じとは思っていない。それをあいつはわかっていない)
そう思うから、腹が立った。
廊下で、周瑜と祖茂が立ったまま話をしているところへ出くわした。
「あとは糧食を積み込むだけですが、荷を運ぶだけの馬の数が少し足りないようです」
「そうだな・・・では兵に各自もてるだけの食糧をもたせようか。そうすれば荷は少しは軽くなるだろう?」
「では、その指示はあなたに任せてもよいですか?」
「ああ、いいとも。じゃあ公瑾、あとで」
「ええ」
「おい」
祖茂を見送った周瑜の背に孫策が声をかける。
「伯・・・符さま」
周瑜は少し驚いたように振り向いた。
孫策は少しふくれっつらをしていたがかまわず周瑜は話した。
「明日には出立できそうですよ」
「おまえ、あいつと仲がよさそうだな」
「あいつって・・・大栄のことですか?」
「・・・・」
こいつも、字で呼んだ、と思った。
「おまえ、大栄って呼んでんのか」
「ええ、そうしてほしいとおっしゃったものですから・・・・それが何か?」
「いや、別に」孫策はそういって目を逸らせた。
その様子をみて周瑜は
「伯符さま、もしかして妬いてるのですか?」と言った。
「ば、馬鹿、そんなんじゃない。なんで俺が・・・」
あきらかに狼狽えた様子の孫策を見て周瑜は微笑した。
「そんなことより、明日出発だな!母上に挨拶にいってくる。おまえも来い」
「いいか、権。母上や弟たちのこと、頼んだぞ」
「はい、兄上」
まだ8つの弟、権に後事を頼み、孫策は馬上の人となった。
孫策の率いる一隊はその数を200まで増やしていた。
「なるべく早くに父上と合流したい。このまままっすぐに北上する」
「おまちください、このまままっすぐ北上すれば淮水を渡らねばなりません。比較的河幅が狭くなっている浅瀬があります。そちらに迂回されたほうが良いでしょう」
祖茂が馬を孫策の隣に寄せ、そう言った。
「よし、わかった。では河を渡ったところで野営だ」
100名は騎馬、のこりは歩兵であった。
この時代、馬は貴重な機動力であり、北の草原の野生の馬を捕まえては商売をしている商人が大勢いるのだ。
また、逆に南には象を駆る民族もいるという。
戦のときには水戦以外はそのほとんどが歩兵であり、大行軍の時ほど動きは遅くなる。
周瑜はできれば先を急ぐ孫策の為にできるだけ騎馬を用意したかった。
孫策の部隊は進路を大きく西へと移動した。
「伯符さま、ここから先、袁術の支配下です。敵対しているわけではありませんが、先日の糧食問題以来孫軍とは緊張状態にあります。念のため先見隊を出されてはいかがでしょう」
周瑜が言うのは、江東の寿春一帯の領主である名門袁家の袁術、字を公路という男のことであった。
反董卓連合に加盟した袁術は、食糧などの管理を任されていたのだが、先日の呂布との戦の折り、戦場で蓄えが底をつき食糧を依頼した孫堅軍の要請を無視して送らなかったため、孫堅軍は敗退の憂き目をみたのである。
この一件に孫堅は怒り、連合の盟主である袁紹を通じて事の真偽を糾した。
袁術はこの一件の責任をすべて自分の部下に押しつけて、殺してしまった。
怒りのやり場のなかった孫堅だったが、うわべだけとはいえ袁術からの陳謝と、袁紹がとりなしたこともあって事を諫めるほかなかった。
周瑜はこの一件から袁術が孫堅を恐れているといことを改めて認識したのであった。
恐れている、ということは裏をかえせばいつ命をねらわれるか、わからない、ということである。
孫堅の息子と知って、待ち伏せして捕らえれば孫堅の動きを封じる事もできる。
しかし周瑜はそれを、孫策の武勇を知らないものの考え方だ、と思い、笑いとばせる自信があった。
袁術はまだしらないのだ。本当に恐いのは孫策の方であるということを。
淮水を越えれば予州である。
「そうだな、それがいいだろう」
孫策がそう言うと周瑜と祖茂は頷き、お互いの顔をみやった。
「私と大栄が参ります」
「何?おまえが?」
「ちょっとこの先の地形を見ておきたいのです」
周瑜がそういうと、孫策は反対しなかった。
周瑜はいつも言っていた、策を練るときにはその地の利を知ることが絶対条件だ、と。
少し心配そうではあったが。
「若、私がついて行きますから心配なさらないでください」
(だから、余計に心配なんじゃないか)
と孫策はこっそり思った。
(3)へ続く