(6)

陽人を少し出たところに董卓軍が陣を張っていた。

「おのれ、俺を洛陽に近づけぬつもりか」
孫堅は少し厳しい顔をした。
ここを突破して、梁での屈辱を注がねば気がすまない、という顔だった。

「殿としては、華雄の軍にどうしても一糸報いたいのであろう。あのとき、袁術の糧食さえ滞らなければ・・・」
祖茂は広間で部下たちと酒を飲む孫堅を見てつぶやいた。
「もしそれなら、大栄の脚もそのようなことにはならなかったのに・・・」
周瑜もそれにうなづいた。
祖茂はそれへ、苦笑したが何も言わなかった。

過日、栄陽で董卓軍と戦った曹操が敗走した。
敵将は孫堅が梁で破れた相手、華雄であった。

呂布、華雄は董卓軍の猛将である。
 
 

広間には主な武将があつまって膝をつきあわせていた。

「まずはこの包囲網をいかにして突破するか、だな。だれぞ、良い案があるか」
孫堅はそう言って、周りにいる武将たちを見渡した。
すると程普が口を開いた。
「殿、布陣している敵に少数気鋭で夜襲をかけるのはいかがか」
「夜襲か。ふむ」孫堅は顎に手をあてて考え込んだ。
そして、じっと孫堅をみていた周瑜と目が合った。
「どうだ、瑜。おまえはなにかあるか?」
いきなり話をふられて驚いた周瑜だったが、
「・・・ではおそれながら・・・。徳謀どのの案も一理ありますが・・・兵力はこちらが上です。正面突破をしても勝てると思います」と言った。
それを聞いて、
「はっ、子供の考えそうなことだ」と程普は笑い飛ばした。
しかし孫堅はそれには同調せず、真面目な面もちで聞いていた。
「・・・・・兵力をわけるな、ということか」
「はい。こちらは丘陵に位置し、敵は風下にあります。ですから敵も迂闊に打って来れないのでしょう。囮をだしてもおそらく誘いにはのってこないと思います」
「ふむ」
そこへ祖茂が口をだす。
「殿、火攻めはいかがでしょう」
「うむ。俺もそれを考えておった」

「じゃあ、父上。両方の意見を採り入れるってのはどうですか?」
言ったのは孫策だった。
孫策は自分の隣にいる周瑜が発言したことで、程普と対立してしまったことに気がついていた。
程普がじろり、と周瑜をにらみつけるのをみて、このままではまずい、と思ったのだった。

息子の顔をまじまじと見て、孫堅は意外そうな顔をした。
「・・・・策よ、なかなか良いことを言うな」
孫堅の目はそういって息子を見て笑った。
「では、まず少数の騎兵で攻め入り、火矢をかける。敵陣に火の手が上がったら全軍でもってこれを叩く。これで良いな」
「御意!」
「火攻めの役目は是非私に!」
そう申し出たのは、孫堅の義弟・呉景であった。
呉景、字を伯昭という、まだ20代のこの青年は孫策の母呉栄の弟である。
呉景は、孫堅が江賊退治を生業にしていたころから付き従っている。
「俺も行く!」
孫策が名乗りをあげる。
「よし、策。景に従って奇襲部隊に加われ」
 

軍議が終わって、解散になった後、孫策と周瑜は同じ部屋に戻った。
「伯符さま、さっきはありがとうございます」
周瑜が突然礼を言うので孫策はびっくりしてその面を見た。
「な、なんだよ。急に・・」
「・・・・・でも、折角とりなしていただいても、私、徳謀どのに嫌われてしまったようです」
「気にすんなよ。俺、おまえの言ってることも徳謀の言ってることも正しいって思っただけなんだから」
「そういうところが・・・・伯符さまはすごいです。私なんかとても」
孫策は周瑜の肩に手を置いてその耳元に囁いた。
「俺、おまえってやっぱすごいと思うぜ。徳謀を相手にあんなに堂々と戦略を語れるヤツなんてそうはいないもんな」
周瑜は孫策に褒められて赤面した。
 

「大栄」
回廊を歩む祖茂を呼び止めたのは呉景だった。
「伯昭か。何か?」
「殿に暇を申し出たとか」
「ああ」
「やはりあのときの怪我が元で・・・か?」
呉景という青年は祖茂とは年齢も近く、気が合う者同士よく語り合っていた。
「まあ、そんなところだ」
「・・・・・勝手に決めるなよ、そんなこと」
赤みがかった茶色の目が、怒りをたたえて祖茂を見つめていた。
「・・・だが、殿には却下された」
「当たり前だ!おまえはまだ働ける。大丈夫だ。・・だから俺の先発隊に加わってくれ」
「・・・俺がいてはおまえの邪魔になる。俺はそれがつらい」
「・・・大栄。どうしても、ダメか」
「・・俺の仕事は孫軍のお役に立つことであって邪魔をすることではない」
祖茂はもう呉景を見てはいなかった。
呉景は唇を噛みしめ、「ぱん!」と音のするほど強く祖茂の頬を叩いた。
「情けないやつめ!己の命を課して戦おうという気力も怪我と共に無くしたか!」
祖茂はつらそうな呉景の顔をみるのが忍びなかった。
呉景はそのまま、祖茂の顔を見ることもなくその場を立ち去った。

祖茂は叩かれた頬に触れた。
「くそ、思いっきりひっぱたきやがって・・・あいつ」
 
 

「風は昼間にずっと吹いています。ですが夜には止んでいます」
周瑜はそう言った。
「だったら昼間に奇襲をかけるってことになるのか?」
周瑜と孫策は二人に与えられた室で向かい合って話しをしていた。
「いいえ。奇襲は夜の方が効果的です」
「だって風が止んでるんだろ?」
「そこが敵の虚をつくことになるんです。逆風が吹いているわけではありませんからね。それに風が止んでいる方が弓を引きやすいでしょう?」
「まあな。そうか、わかったぞ。おまえの考えていることが」
「さすが伯符さま」
そう言って周瑜はくすくすと笑う。
「けど、なんでそれを父上や景兄に言わなかったんだ?」
「私がいうまでもないことだと思いますから。伯符さまのお父上はやはりすごいお方です」
「・・・・おまえも、来い」
「えっ?」
突然の申し出に、周瑜は驚きを隠せなかった。
「一緒に行こう」
「でも私は弓は得意ではありませんよ」
「何言ってる。おまえの腕なら並のヤツより上だって」
「・・・・わかりました」
「よし!決まりだな」
 

祖茂は回廊を通って部屋に戻ろうとした。
途中、孫策と周瑜に会った。
奇襲部隊に二人して志願するのだという。
「それはそれは。活躍を期待しているよ」
と、祖茂が言うと周瑜は祖茂の顔を見上げて
「大栄は後詰めなのですか?」と訊く。
「ああ、俺は後から殿たちと共に行くよ」
「そうですか・・」
周瑜は少し残念そうな顔をした。
「おい、行くぞ公瑾」
孫策に促され、周瑜は祖茂と別れた。
祖茂はその周瑜を見送りながら先日、自分の袖をひっぱって「傍にいて欲しい」とねだられたことを思い出して苦笑した。
 
 
 
 

奇襲部隊は100人を率いて夜の闇にまぎれて出発した。
黒い衣装を纏い、頭や顔までも漆黒で覆い尽くす。
暗闇の中、味方ですら一見して誰だかはわからない。
100人を乗、と呼ぶ。
その乗を25人づつに分けたものを両と呼び、孫策はその部隊の一つを任される両長となっていた。
「風はやんでいるな。おまえの言ったとおりだ」
孫策は今更ながら周瑜の知謀に感嘆した。
乗長である呉景は声をあげた。
「良いか!我々の目的は敵陣に火をつけ、敵を攪乱することにある。決して敵を深追いするな!」
「おう!」
 
 

ひゅん・・・・!

1発目の火矢が敵陣上空に舞った。

続いて2発目、3発目と次々と射掛けられる。

敵陣内が慌てるのが手に取るようにわかる。

「敵襲だー!」
叫び声と共に、太鼓が打ちならされる。
敵の分隊が陣から出てくるのを見て、呉景は合図を送る。
火矢を掛け終わると、そのまま分隊との交戦に突入した。

「公瑾!このまま駆け抜けるぞ!」
「伯符さまっ!?」

黒装束の孫策は敵陣のまっただ中を突っ走っていく。
「何という無謀!くそ、皆、続け!駆け抜けろ!」
周瑜は部下にそう命じ、孫策の後に続いた。
前方を行く孫策は敵からうばったのであろう矛をいつの間にか手にしていた。
(これではあのときと同じではないか・・!)

敵陣内には火の手が上がっている。
「ああっ!」
火で焼かれた櫓が周瑜の頭上に倒れかかってきた。
すんでのところで馬を止め、櫓を回避したが、止まったおかげで敵に追いつかれてしまった。
おまけに先に駆けていった孫策を追おうとしても火に包まれた櫓が横転しているため先に進むこともできない。
「くっ・・・戻るしかないか」
周瑜が覚悟を決めて馬首を翻すと、後方から追い掛けてくる一騎が目に入った。
馬に乗ったまま、片手に剣を持って血路を切り開いている。

「公瑾!」

馬上の男は祖茂だった。

「大栄・・・!」
祖茂は周瑜の傍までくると馬を寄せて無事を確認した。
「大丈夫かい?」
「ええ、ありがとう・・私は大丈夫です。それより伯符様がこの先を突っ切って行ってしまいました」
「一人で?」
「いえ、半数名は付き従っています」
「そうか・・・とりあえず戻ろう。どのみちここから先には行けない」
「それより・・・どうしてここに?」
「俺と伯海どのは小隊を率いて殿の本隊の脇を固めていたんだ。そうしたら君たちが本陣に突っ込むのが見えて、急いで追ってきた。まったく無茶をするね、若君も」
「・・・すみません」
「謝るのは後だ。出口を伯海どのが固めている。とにかくそこまで戻ろう」
 
 
 

「あの馬鹿はどこ行った?!」
祖茂と周瑜だけが帰還したのを見て、愈河は孫策の行方を訊いた。

「・・・どうやら心配はないようだ」
祖茂はそう言って右後方を指さした。

呉景のあとに孫策の部隊が続いて走ってきた。

周瑜はほっと胸をなで下ろした。
孫策は周瑜の姿をみとめると傍に寄ってきた。
「すまん、公瑾!走りすぎた・・・!後ろを振り返ったら火の海でもうおまえの姿も見えなくてそのまま駆けきった」
さすがにまずかった、と思っているらしく孫策は頭を下げた。
だが、周瑜は孫策から顔を背けた。
(少しくらい、私の心配を気づかってくれてもいいのに)
「なんだよ、そんなに怒るなよ・・」
「喧嘩はあとでやれ!さ、行くぞ!」
呉景はそう言って二人を促し、本隊に合流する。
 
 

「一気に押しつぶすぞ!」
孫堅の怒号とともに、一斉に本隊が前進していった。

敵の主将の首は孫堅自らが取った。

孫堅軍はそのままの勢いを駆って谷付近に布陣する董卓軍をもしりぞけ、虎牢関めざして駆けていった。
 
 
 

(7)へ続く