(1)

 
15になって、従軍を決めた孫策だったが、一緒に、と誘った親友は意外な秘密をうち明けた。

あいつが、女だったなんて・・・・。

夢にも思っていなかった。
こんなこと、父にも絶対言えない。

江賊討伐の功で長沙太守に任命された父。
その父の力になりたくて従軍を許してもらった。
父の初陣は17だったという。15の自分ではまだ早い、と言われたが、実力で押しきった。

舒にいるころ周瑜の家に間借りさせてもらっていたから、周瑜の母親には良く会っていた。
美しい人だった。
周瑜を連れて行くことを、せめて自分の口から母親には言っておこうと思った孫策は、ちょうど部屋から出てきたところを呼び止めた。

「そうですか、あの子が孫文台どのの軍に・・・」

孫策は、もしかしたら反対されるかも、という覚悟もしていた。

「伯符どの、あの子を頼みますね。あの子は少し身体が弱いところがありますが決してお邪魔になるようなことはありません」
意外な言葉に、孫策は思わずその真意を問いただしたくなった。
「はい・・・ですが、あの・・すみません、俺、きっと反対されると思っていました」
「あの子は将来孝廉に推され、いづれは中央に赴くことになるでしょう。そのためには様々な功績と名声が必要です。こたびの孫文台どのの挙兵は帝のご意志に沿うものと承ります。あの子の才が必要とあれば何条持ってそれを反対できましょうか」
「し、しかし・・・公瑾は・・・女・・」
周瑜の母親は、きっ、と孫策を睨みつけた。
「あの子は私の息子、周家の跡取りです」

それ以上、孫策は何も言えなかった。
おそろしいまでに厳格に、周瑜の母親は周瑜を息子として教育してきたのだ。

あの母親に育てられたのなら、周瑜がああなってしまうのも仕方がない。

「・・・・けど、いっぺんあいつの艶やかな姿も見てみたい気がするな・・・」
孫策はひとりごちた。

「伯符?」

「わ!びっくりした・・・なんだよ、急に後ろから声かけんなよ」
「ごめん・・・どうしたの?こんなところで」
こんなところで、というのも無理はない。
孫策が立っているのは周瑜の家の門の前だった。

「おまえの母上に挨拶をしにいったんだ」
「…母上に?・…何か言っていた?」
「いや、よろしく頼むってさ」
「そう・…」
周瑜はその長い睫毛を伏せた。
「おまえ、さ・・・・」
「なに?」
「ずっと、隠してくつもりなのか?」
「……ずっとかどうかは、今はわかりません」
「そっか・…」
孫策が何を言いたいのか、周瑜にはわからなかった。
「どうしてそんなことを聞くんです?」
「…おまえの母上はおまえをまるきり男と思っているんだな」
「……ええ」
「なんでだ?」
「亡くなった兄の代わりに・…母上はもうとうの昔に心を病んだままなのです」
「おまえの兄上って、孝廉に推挙されて都へ出仕していたんだろ」
「ええ。それで宮廷内の宦官たちの争いに巻き込まれて暗殺されたのです」
「……暗殺?」
「夜盗に襲われたように見せかけて殺されたのです。兄はまだ20才でした。子供もまだ幼いのに・…」
「そっか、おまえの母上はショックだったんだろうな」
「しばらく気を失って正気ではありませんでした。もともと体の弱い人でしたから」
周瑜はうつむいて唇を噛んだ。
孫策は知っていた。
何か、心にわだかまりや悩みががあるときの周瑜の癖だ。
「……おまえは、それでいいのか?男として、生きていくってことに」
孫策の問いに、周瑜はそっとつぶやいた。
「…私は男ですよ、伯符だってずっと気が付かなかったじゃありませんか」
孫策はまじまじと周瑜の顔を見た。
「わるかったな、どうせ気が付かなかったよ」
周瑜はくすっと笑って孫策の肩をぽん、と叩いた。
「なら、いいじゃないですか」


「董卓め、ついにやったか」
孫堅は自室で韓当や程普ら部下たちと酒を飲んでいた。
「都の洛陽は火の海だそうです。多くは遷都の際逃げ延びたようですが、董卓の横暴を嫌って逃げのびる者も多いとか」
「ふん」
先日、挙兵したばかりの孫堅の陣に袁紹を頭とする反董卓軍からの激が届いたのである。
このころ、孫堅は都より長沙太守に任じられ、烏程侯となっていた。
「こうしてはおれんな。すぐさま洛陽へ向かうぞ!」
洛陽から長安に遷都したとはいえ、董卓の大部隊はまだ洛陽にあり、これを討つつもりであった。



白鹿谷に駐屯する孫堅からこの知らせはすぐに舒へ届き、孫策を喜ばせた。
「聞いたか、公瑾、父上の元に董卓からの使者が来たそうだ。和睦を申し入れたいということらしいぞ」
「・・・・位階でも用意してきたのでしょうね。使者が何という方でしたか?」
「えっと、たしか李カク、とかいう奴だったな」
「・・・大物ですね。郭シ、樊稠とともに董卓の腹心の将軍の一人ですよ。董卓はよほど伯符のお父上を恐れているのですね」
「当たり前じゃないか!」
孫策は嬉しそうに言った。
先日、孫堅は董卓の命を受けた呂布と激突し、これを破ったばかりであった。
その破竹の勢いにのった孫堅を董卓は一番恐れているのだろう、と周瑜は思うのだ。

「それで、俺達を軍に呼び寄せたいってさ!公瑾、すぐにでも行こうぜ!」
「山陽で合流するのですか。少し遠いですが、許昌を少数で通るわけにも参りませんし、寿春を通って駆け抜けましょう」
「迎えをよこすってさ」
「淮水を渡らねばなりませんが・・・迎えはだれが?」
「祖茂をよこすって。50騎ほどでくるらしいぞ」
「祖茂・・大栄・・・どのでしたね。傷は大丈夫なのでしょうか」
祖茂は先日董卓軍との闘いで孫堅を逃がすために重傷を負った忠臣である。
孫堅は彼が死んだものと思って涙を流したが2日後に血まみれで戻ってきた。
それで養生のために戦線を離れていたのである。
まだ、二十代後半の若い武将であった。

周瑜は祖茂に一度だけ、会った事があった。
孫堅が長沙太守に任命されて、挙兵するために一度舒に顔を出した事があった。
そのとき一緒についてきた部下のなかに彼はいた。
大勢の部下が行来きするなか、少し離れたところで孫堅を見守る姿が印象的だった。

二日後、祖茂が隊を率いてやってきた。
まず、孫策の母に挨拶をし、その後周瑜の母に挨拶に出向いた。
「若君、お久しゅうございます。すっかり若武者になられましたな」
そして祖茂は孫策の元へやってきた。
「祖茂か、ごくろうだったな。長旅で疲れただろう」
祖茂は父の部下であるから、孫策は彼をそのまま名で呼ぶ。
祖茂はふと、孫策の隣に目をやった。

(・・・・これはこれは)

以前会ったのは10歳くらいのときだったろうか。
あれから5年、これほどまでに美しく成長するとは。
孫策の隣には周瑜がいた。
祖茂の目は周瑜に釘づけになった。
それに周瑜は気づき、祖茂の目をしっかりと見返した。
はっとしたように、祖茂は目をあわてて孫策に戻す。
「・・・で、殿は洛陽を目指されるおつもりです。ぎりぎりまで若たちの到着を待たれるおつもりですが、戦況によっては、洛陽ちかくのどこかで合流することになるやもしれません」
「そうか、わかった。実はこちらでも董卓討伐の義勇軍が集まってきているんだ。もう100名ほどになる。」
「ほう、さすが若」
「公瑾が兵糧と武具を用意してくれてるんだ。いつでも発てるぞ」
「これはたのもしいことですな。とりあえず今夜は兵たちを休ませ、明日以降に計画を立てましょう」
そういって、祖茂は横目でちらり、と周瑜を見た。




「大栄どの」
声をかけたのは周瑜であった。
「兵には屋敷の外で駐屯してもらっています。何かあれば声をかけてください」
「ああ・・・すまないね。君には感謝しているよ」
「いいえ。あなたには部屋を用意しました。案内しますよ」
周瑜はそういって自分の屋敷の奥に祖茂を案内した。
祖茂は自分の前をあるく周瑜に、
「君は、周家の若様だろう?本当にいいの?もしかしたら戦で死ぬかもしれないんだよ?」と声をかけた。
周瑜はくるりと振り向いてにこっと笑った。
「戦でなくとも人は命数というものが尽きれば死にますよ」
「・…君は変わってるね。俺のことは大栄、と呼び捨ててくれ。俺もそうするから」
そういうと周瑜の表情が少しやわらいだ。
「大栄・…」周瑜は口に出して言ってみた。
「なんだい?公瑾」祖茂はおかしそうに返答した。
しかし周瑜は眉をひそめ、固い口調で言った。
「その脚は・・・先日の戦で痛められたのですか」
「やっぱり気づいていたのか」
祖茂は苦笑した。
「左脚の腱をやられたらしくてね、普通に歩く分には支障はないんだが」
「それでは戦の時に困るでしょう。医者にはかかっておられるのですか」
「いや。これはもう治らないらしい。若を送ったら、殿にお暇を戴こうかと思っていたんだ」
「……」
「そんな顔をしないでくれ。脚の一本くらいどうってことはない」
「将軍の身代わりになったこと、あなたの勇気を私は尊敬します」
祖茂は真面目な面持ちで言う周瑜を前にして、頭を掻きながら「まいったな」と言った。
「それにしても君は綺麗だね。女の子が放って置かないだろう?」
その問いに周瑜はただ苦笑して首を横に振っただけだった。
「この俺でもどきどきするくらいだものな。きっと君はこれからもっと綺麗になるんだろうな」
そういって笑う顔が周瑜には眩しかった。
祖茂はこれまで周瑜が聞いた事のない言葉を次々と放つのだった。
そしてそれは決して不快ではなかった。



(2)へ続く