(15)戦端


 
 

周瑜は馬を走らせ、江陵近くまできたとき、横合いの道から一騎の馬が駆けてくるのに出会い頭に会った。

「・・・・・!」
「これは・・!」

二人とも驚いてお互いに馬を引いて止めた。

白馬に銀の鎧。
手には長槍。

「あなたは・・・・あのときの」
相手は周瑜を見知っているようであったが周瑜には覚えがない。
「・・・どなたでしょうか・・・?」

「失礼。某は劉皇叔に仕える常山の趙子龍と申す者」
「・・・・・!」
当然ながら周瑜は趙雲の名を知っていた。
(なぜこのようなところに劉軍配下の者が・・・)

「あなたは我が軍師の元にいらっしゃられた・・・・どうしてこのようなところに」
周瑜は趙雲の口から孔明のことが出たことで、思い出したくないことを思い出してしまい、不機嫌になった。
「あなたには関係のないことです」
「ですが・・ここはあまりにも戦場に近い。お一人では危険です」
趙雲は事情を知らないので、良かれと思って言ったのだったが、周瑜にとってみればうっとおしいことこの上ない。
「私は孫軍に急いで戻らねばならないのです」
趙雲は孔明が船の中で周瑜を見せたとき、呉で知り合った、と言っていたのを思い出した。
周瑜は少し冷静になり、なぜここに趙雲がいるのか考えていた。
「・・・・・あなたは江陵への先乗りで偵察に来られたのですか?」
「そうです。孫軍が手を焼いておられるようでしたので、手をお貸ししようかと軍師どのがおっしゃったので様子を見に参ったのです」
「・・・・・!」
孔明の世話にだけは絶対になりたくはなかった。
「江陵の孫軍は南郡の城に奇襲をかけたようですが、かなりの損害をだしたらしく今は膠着状態のようです。今孫軍に戻られるのはよろしくないのではありませんか」
「・・・・・・・」
「実は軍師どのからあなたを見つけたら保護して連れ帰るように言われているのです」
「・・・・私は孔明どのの元には参りません。そうお伝えください」
「どうしても、あなたをお連れします」
趙雲は長槍の先を周瑜に向けた。
それには動じず、周瑜は槍の鋩を避けるように手綱を引きながら言った。
「趙子龍どの。あなたは私の名を知っていますか?」
「いいえ。伺ってはおりません」
「では周瑜公瑾の名をご存じですか?」
「おお、それはもちろん」
「よろしい。それではその周公瑾からの伝言です。あなたの軍師どのにお伝えいただきたい。受けた屈辱は決して忘れない、と」
そう言って周瑜は趙雲のすぐ脇をかすめて馬を走らせた。
「・・・・!」
趙雲は驚きを隠せないままそれを追いかけずに見送った。
「周瑜・・・まさかあれが・・・」
 

こんなところにまで劉軍が入り込んでいるとは迂闊だった。
周瑜は馬を走らせながらしきりに自分の甘さを後悔した。
このままでは夷陵にかかりきりになっている間に江陵を劉備軍に取られてしまいかねない。
(しかし、甘寧を見殺しにはできない・・くそ、孔明め・・・)

「とまれ!」
孫軍の旗が見えた。
兵が周瑜の馬を止める。
「何者だ!?」
「これは呂子明の隊か!?」
「そうだ・・・・あっ・・・もしやあなたは・・!」
兵は急いで呂蒙を呼びに行った。
慌てて呂蒙が出迎える。
「都督!!・・・・よくぞご無事で・・・!!」
呂蒙が嬉しさを体全体で表していたのに対し、周瑜は冷静に握手を交わす程度にとどめた。
周瑜は呂蒙の陣舎に行き、夷陵城が包囲されていることを告げた。
「あいつめ、急ぎやがって・・・」呂蒙は舌打ちした。
「とにかく、甘興覇を見殺しにはできぬ。すぐに本陣に使いを出して、全軍でもって夷陵を落とす。江陵には五千のみ残す」
「しかし、南郡に後背をつかれませんか」
「そのために全軍で行動するのだ。南郡からの増援に備えて途中に埋伏の計を用いる」
「はい」
「それより気になるのは・・・・劉軍の動きだ」
「子敬どのに出向いていただきましょうか」
「・・・・・いや、いい。それよりも今は甘興覇を助ける事の方が先決だ」
呂蒙は頷いた。
「都督。・・・そのお姿ではまずいでしょう。都督の戦衣と鎧甲を持って参りました。どうぞお着替えを」
周瑜はにっこりと笑った。
「おまえは気が利くね。女物の衣装にはうんざりしていたところだ」
それはそれで綺麗でいいのだがな、と呂蒙はひそかに思ったが黙っていた。
 
 

夷陵城で籠城していた甘寧は少しも慌ててはいなかった。
ただひとつの気がかりだったのは、周瑜が無事に脱出できただろうかということであった。
「あれは!」
物見にでていた兵が急いで報告にきた。
「周都督の帥旗です!」
「孫軍が助けにきてくれたんだ!」
都督自らが助けに来た、と聞いて城内の兵たちは俄然奮い立った。
「よし、我らも出るぞ!包囲している曹軍を挟撃する!」
危惧が晴れて、甘寧はこれで思い存分戦える、となり曹軍にとってそれはひとつの嵐となった。

周瑜の帥旗を押し立てた孫軍は数でも曹洪たちを圧倒した。
本隊から水軍を出して周瑜と合流し、江陵からの曹仁の援軍よりも先にたどり着いたのであった。
「子廉どの、ここは一旦引き、江陵にて再び決戦致すことにしましょう」
牛金のその言葉に従い、曹洪は生き残った兵たちを率い、江陵へと敗走していった。

堂々と正門から周瑜軍は入城し、甘寧の隊と合流した。
甘寧は入城してきた周瑜の前に歩み寄り、膝をついた。
「都督。ご無事でなによりです。助かりました」
「何を言う甘興覇。そなたのおかげで私こそ助かったのだ。よくぞ包囲に耐え抜いてくれた」
周瑜はひざまずいた甘寧の手をとり、立たせた。
「いいえ。自分の失策で篭城を余儀なくされたのです。助けていただいて感謝しております」
立ちあがると自分より頭ひとつ背の高い甘寧を見上げる周瑜の目が、潤んでいるように見えた。
「都督・・・・?」
「いや、何でも無い」
周瑜はそのまま顔を伏せた。
甘寧は周瑜の手を握ったまま離さなかった。
「甘興覇・・・」
「どうしたんです。いつものあなたらしくない」
傍にいた呂蒙や徐盛も心配そうに周瑜を見ていた。
「そなたを失わなくて、良かった。間に合って良かったと、そう思ったのだ」
周瑜のその言葉を聞いて甘寧は周瑜の手を握ったまま、ぐっときて思わず声を詰まらせた。
甘寧は周瑜の手を離し、すぐさま再びひざまずいた。
「この甘寧、ご恩は終生わすれません。必ずやあなたのお役に立つことをお約束します」
周瑜はただ微笑してそれに答えた。


一方、敗走した曹洪はその数五千の兵を率いて南下していた。
「そこを通るは負け犬のごとき曹軍であるか!」
怒声をあげて現れたのは韓当率いる伏兵の隊五百であった。
掛け声と共に、細い道の両脇から軍馬が殺到する。
数では圧倒していたはずだが、なにしろ虚をつかれたのと、敗走途中であるという士気の低さから、曹軍はあっという間に蹴散らされて行った。
「くそっくそっくそっ・・・!おのれ、周瑜め!」
曹洪はうらみつらみを口にしつつ、牛金に庇われなんとか窮地を脱した。
しかし、ここで曹洪は三千の兵を失った。
途中、南郡から出発してきた援軍と合流し、江陵に戻っていった。


夷陵に兵を数千残し、周瑜は本隊二万を持って江陵に残してきた本陣を護る隊と合流した。
ここを護っていたのは凌統公績である。
甘寧とは相変わらず犬猿の仲であるが、表立っては平然を装うくらいのことはできた。
ここで周瑜は改めて論功行賞を行い、さらに凌統らをねぎらった。
程普はじめ、魯粛らは周瑜の帰還を喜んだ。
「ちっ。一時は見捨てようとしてたくせによ」
「まあ、そう怒るなよ。いいじゃないか、都督も無事だったんだし」
周瑜がどんなに危険を冒して帰還したか、知っているだけに甘寧はお気楽な将軍たちに対し苛立つのであった。
「そうだけどよ・・・・くそ。俺、都督にいいとこ見せたかったのにな・・・」
甘寧は自分で助けに行くと言って夷陵にいったものの、結局周瑜自身に助けられた無様さを悔やんでもいた。
「それより俺が気になったのは・・・・都督の顔色が悪いことだ」呂蒙は陣の一角で乾燥食料を食べながら甘寧に言った。
「疲れているんだろう」
「そう・・そうだ。少し休んでいただかなくては」
「無理だと思うぜ。江陵に逃げ帰った曹洪らを追って南郡城に攻めこむつもりだろう」
「・・・・嫌な予感がするんだ。なんでかな・・・・都督にはここで充分休養してもらいたいんだがな」

・・・・だが呂蒙の予感は数日後、現実のものとなって彼を苛ませることになるのであった。



(16)へ続く