(18)孔明


 
 
 

孔明は周瑜を腕に軽く抱き上げると、更に奥の部屋に入っていった。
「放せ!」
周瑜は腕の中でもがいたがすぐに牀台に降ろされた。
「何を・・・・」
「誤解しないでください。治療するだけですよ。だからおとなしくしてください」
孔明はそう言って懐から薬を取り出した。
周瑜は顔を背けた。
「・・・・・治療など、必要ない」
「そうはいきませんよ。あの薬は効いたでしょう?それだけ強い薬だということは逆に毒でもあるのです。そのままにしておくともっとつらい目に遭いますよ」
「そんなことを話すためにここへきたわけじゃない」
「さ、これをお飲みなさい」
孔明は枕元に置いてあった水のはいった器を取ってその中に粉薬を入れて渡した。
「大丈夫、毒ではありませんから」
周瑜は一瞬躊躇したが、それをそのまま呷った。
あまりの苦さに、周瑜はその秀麗な顔を歪ませた。
「その薬が効いてくるまでしばらく安静にしていてください」
「そうはいかない。我が軍に内密でなぜこのような行動を起こしたのだ」
「この城をうばったことですか?でもそれで曹仁軍は北へ敗走していったのですよ」
「それは結果論だ。私が言っているのは・・・・」
孔明はふふ、と笑った。
「何がおかしい!」
周瑜は身を乗り出して怒りをあらわにした。
「怒ったあなたも美しいですね」
孔明のその態度に、周瑜はかっとなって牀台から立ち上がろうとした。
が、それはできなかった。逆に後ろに倒れるように牀に背中を落とすことになった。
体に力が入らないのだ。
「だから安静に、といっているのに」
「・・・・・・」

「孔明どの。もし、私が曹操と手を組んだらどうする?」と、真剣な眼差しで訊いた。
「・・・・・・・そんなことにはならないでしょう。なんといってもあなたは数十万からの曹軍兵を負かした大都督なんですから」
「どうしてそう言い切れる?曹操はあれでなかなか臨機応変に人材を使い分ける天才だというぞ」
「あなたが女だからですよ。あなたは曹操などには降らない、あなたにあの男は似合いません」
「・・・・・・」そんなことはない、と自分自身で思う周瑜であったが。
「・・・・・私に必要だったのは、強い意志を持った男だ。強引で我が儘で、私を引きずり回すような、そんな男が」
「それが、曹操だと?」
孔明は周瑜の顎を捉えた。
「その口から他の男の名前を呼んで欲しくありませんね」
そしてそっと口づけする。
「今日は噛みつかないんですか?」孔明はそう言って薄笑いを浮かべた。

なにか、違和感があった。
 

・・・わからない。
自分が本当はどうなのか。

けれど、自分の中の何かが警告している。

絡めとられてはいけない。
気を許すな。

混乱している。
ここはどこで、一体自分は何をしているのだろう・・・?

・・・・・殺せ。
目の前の男を殺せば、楽になる。
殺せ。

「うっ」
 

鈍い痛みが、走った。
その痛みがどこからくるのか、確かめようとした。

孔明は痛みの元である自分の胸を手のひらで押さえた。
赤い。
その赤い染みはどんどんどす黒く広がっていき、周瑜の頬にも飛び散った。

腕の中の周瑜の手に、いつの間にか懐剣が握られていた。
その剣の先が血で濡れていた。

「・・・・・・!」
「あ・・・・・」

孔明の体はそのまま血にまみれて床に臥した。

周瑜は握りしめていた短剣をその震える手から滑り落とした。

心の臓を突いたはずだった。
 

殺した。
諸葛亮孔明を・・・・・・?
 
 
 

倒れた孔明を前にして周瑜は牀台の上で呆然としていた。
そこへ趙雲が声をかけ、入ってきた。
呂蒙、徐盛も一緒だった。どうやらずいぶん遅いので心配になって趙雲をせかしてやってきたようだった。
しかも奥のこんな部屋にいたことが更に二人を不安にさせた。

「軍師どの!!?」

周瑜の前に臥す孔明を見て、趙雲はあわてて駆け寄る。
趙雲が助け起こすと、その顔にはすでに生気はなかった。
きっ、と周瑜の方をにらみ、大声で確かめた。
「あなたが・・・手にかけられたのか!?」
呂蒙、徐盛も呆然としている周瑜のそばに駆けつけた。
「都督、大丈夫ですか!?」
呂蒙を見上げる周瑜の目の焦点が合っていない。
「どうなされたのか・・・これは」

趙雲は腰に帯びていた剣を周瑜に向けた。
「わが軍師どのの仇をとらせていただく」
「むっ」
呂蒙は周瑜の前に庇うように立ち、趙雲の闘気を受けとめる。
「これはしたり、おぬしの軍師がこのようなところへ都督をお運びしてなにをしようとしていたのか、特と考えてみられよ。いうなれば都督はご自分の身を護ったにすぎぬ」
「理由はどうあれ、周都督が孔明どのを殺した事にかわりはない。この場にいてその仇をとらぬとあれば武人として生きるに及ばず」
趙雲は剣の先を周瑜の前に立つ呂蒙へと向けた。
「どうあっても譲らぬとあれば仕方がない」呂蒙も腰に帯びた剣を抜いた。
「子明どの・・・」徐盛が周瑜の傍に立って、二人を見比べていた。
「文嚮、都督を頼む」

部屋の中で二人の武将は互いの剣を受け止め合った。
鍔なりが聞こえるほど力と力が拮抗している。
お互いの得物が槍であることは知っていたが、剣の腕もなかなかのものであった。

徐盛は周瑜の肩を揺さぶったが反応がなかった。
意識はあるものの、虚空を見つめ、茫然自失している。
「都督・・・!これはなにか一服盛られたのでは・・・」 徐盛は嫌な予感がした。

 



「そこまでにされよ」
趙雲と呂蒙がすでに十数合打ち合ったところで声がした。
「・・・?」
二人はお互いに目を合わせ、そしてその声のする方向に目をやった。

「・・・・・・!!」
「これは・・・・」


打ち合いを中止させた声の主は、すらりと背が高く、手には白羽扇を持っていた。

「ぐ・・軍師どの!?」
趙雲が上ずった声を出した。

部屋の入り口に立って、二人を止めたのはまぎれもなく諸葛亮孔明、その人だった。


その部屋にいるものは皆凍りついたように動かず、戸口に立つ人物を凝視していた。

「どういうことだ!?」呂蒙も答えを欲していた。
「軍師どのが二人・・・?いやしかし、ここに倒れられているのはまぎれもなく軍師どの・・・」
二人の困惑をよそに、もう一人の孔明は床に臥している孔明に歩み寄っていった。

「なんという愚かな真似を・・・。そなたは天罰をうけたのだな」
血の中に沈んでいる孔明を、それと同じ顔を持つ男は見下ろした。

そしてやにわに趙雲と呂蒙の方を振り返った。

「これは・・・名を均、といってひとつちがいの私の弟なのです。昔から親ですら間違えるほど良く似ていました。皆が間違えるのも無理からぬことでしょう」
「・・・・・弟・・・?」
さきほどまで呆然としていた周瑜は、目の輝きを取り戻しつつあったのが、脇にひかえる徐盛にもわかった。
「公瑾どの。あなたには申し訳ないことをしました。・・・弟がこうなったのも自業自得です。どうかお気になさらぬよう」
孔明は周瑜の目の前に立った。
「弟はあなたに薬を使ったようですね・・・幻覚症状が表れたようだ」
身をかがめて孔明は周瑜の顔を覗き込んだ。
周瑜は震える手を伸ばして孔明の頬に触れた。
「・・・・本当に・・・?孔明・・どのか・・? 」
「ええ、私です。公瑾どの。あなたが殺したのは私ではありませんよ。ご安心ください」
「・・・・・・・」
孔明は周瑜の顔をじっとみつめ、それから徐盛に目を移した。
「・・・・公瑾どのの体は毒に侵されているようです。この毒は体にたまっていって、中毒性があります。そのために幻覚を見たりするようです。・・・・なんとか毒を抜かないと」
「なんだと!?それは本当か!?」呂蒙が剣を携えたまま大声で怒鳴った。
「ええ。・・・・私が治療用に使っていた薬を持ち出したようです。・・申し訳ありません」

「しかし、軍師どの、あなたにそっくりな弟御がおられたとは存じませんでしたが・・」
趙雲は剣を引きながら孔明に言った。
孔明は周瑜の前に背をただし、趙雲の方に向き直った。
「私が劉皇叔さまに出仕して以来南陽にとどまっていましたので、皇叔さま以外はご存知ないでしょう。
私になにか用があったようで、突然夏口に来たようなのです。そこで周公瑾どのに会って、どうやら心を奪われたらしく、私のふりをして取り入ったようです。月瑛の話を聞いて、やっとわかりました」
 




(19)へ続く