(23) 陸遜


 
 

南郡まであと少しというところで呉都からの報せが届いた。
甘露寺での劉備暗殺の計は失敗に終わったという。
それで見事に仁姫を嫁に取られたらしい。
これを聞いて周瑜は苦笑いをした。
「そうか、呉国太君を味方につけるとは・・さすが孔明。それにしてもよほど主人の人柄に自信があると見える」
要するに劉備は仁の母親に気に入られたということなのだ。
別れ際の仁姫の顔がふと思い起こされた。
あの気の強い姫君がどこまで運命に流されずにいられるのだろう。
「私が迎えに行かねばならぬようなことにならねばよいが・・・」


「お帰りなさい!都督!」
呂蒙は明るく出迎えてくれた。
そのうしろに徐盛も控えていた。
「変わりはなかったか」
「最近ここいら一帯を荒らしまくってる山賊がいるくらいでしょうか」
「山賊?」
「はい。首領が赤い旗を目印にしているので赤衡といわれております。あちこちに出没していて、なかなか捕らえられないのです」
「・・・そうか。討伐隊を組織した方がよいな」
「実は都督にその人選のことで上申したい人物がおります」
呂蒙は改まって言った。
「陸家の息子で、名を遜、字を伯言という者がおります。子衡どののところで野党の類を討伐し、手柄をたてて騎都尉に任命された男です」
「陸遜・・・そういえば聞いたことのある名だな」
「実は都督にお目通り願おうと思い呼んでおります」
「ほう、それは手回しがよいな。さっそくここへ」

呂蒙に連れてこられた男は、小柄で色白の、おそらくその年齢よりは若く見えた。
緊張しているらしく、固い表情で周瑜の前に跪いた。
「お、お初にお目にかかります。陸伯言と申します。・・しゅ、周都督・・」
あまりの緊張ぶりに呂蒙は笑いながら陸遜の肩をぽん、と叩いた。
「おいおい、そんなに緊張するな。都督が変に思うだろう?」
「す、すみません・・・」
「構わないよ。楽になさい」
周瑜は目を細めて陸遜を見つめた。
陸遜はそのままぽーっとなって固まってしまった。
「都督、この陸遜は烏林の水戦にも参加しておりました」と呂蒙が言うと、周瑜はその細い顎に手をやり、陸遜を見つめた。
「ああ、そうか。カン沢どのの指揮下にあって、敵の間者を捕まえたと報告にきていたね。そうかおまえか・・・」
陸遜は周瑜が自分のことを覚えてくれていたということで、その顔をほころばせた。

周瑜は呂蒙、陸遜、徐盛を呼んで軽く軍議をしながら酒を酌み交わした。
陸遜は最初こそ緊張してあまり話さなかったがそのうち酒が回り出すと饒舌になってきた。
「私はず〜っと、周都督に憧れていたんです・・・う、噂のとおりキレイなんでびっくりしました・・・」
そういうと陸遜は周瑜をじっと見つめた。
周瑜はただ黙ってそれを見返す。
呂蒙はその陸遜を横からこづいた。
「馬鹿、都督に正面きって何を言い出すんだお前は」
「すみません・・」
陸遜はまた謝った。
「ま、いいから飲め飲め」
呂蒙に勧められるだけ酒を勧め、二人ともかなり酔っ払ってきたようだ。
周瑜はその様子を見て微笑んだ。
「仲が良いですね、二人とも」
徐盛は飲みながらもじっとその様子を見ていた。
陸遜は呂律もまわらなくなってきたが、
「都督〜私がぁ荊州をか・な・ら・ず取り戻してみせますよ〜!ねっ!呂子明どのぉ〜」語りだしたらとまらない。
そのうち陸遜は周瑜の肩にしなだれかかりだした。
徐盛と呂蒙は慌てて陸遜を引き離したが、周瑜は笑っていた。
「ではお手並み拝見といこうか、伯言」


「都督、少しよろしいでしょうか」
「文嚮か・・・。入れ」
徐盛が周瑜の室に来たのは夜半近くになってからだった。
「ご無事のご帰還、なによりでございました」
「おまえには心配をかけたね」
椅子を勧められて徐盛は周瑜の前に座った。
「・・・何かありましたので?」
「うん?」
「こちらにいらっしゃった時とお戻りになった今とでは何か雰囲気が違うように感じましたので」
周瑜は徐盛を見て微笑んだ。
「おまえは本当によく私のことをみているね」
「いえ」
「おまえの言うとおりだよ。ここへ戻る途中にある人物と会ってね。ここ最近ないくらい楽しい気分になった」
「そうですか・・・それはよろしゅうございました」
「それが誰かは訊かないのかい?」
「・・・・都督がお話したければ」
周瑜は立ち上がって徐盛の肩に手を置いた。
「文嚮・・おまえは私をどう思っている?」
「・・・・私が命をかけてお仕えし、お守りするお方です」
「そうか」
周瑜はその肩に置いた手をひっこめた。
「おまえは欲がないね。それとも私に魅力がないのかな」
「・・・都督は少し酔っていらっしゃるようでござる」
徐盛のそっけない応えに周瑜は鼻を鳴らした。
「・・少し思い出しただけだ。自分が女であることを」
徐盛は周瑜を仰ぎ見て、
「私は都督のおそばにいられるだけで幸せです。それ以上は何も望みません」と言った。
周瑜はくすり、と笑う。
「・・・・すまん、冗談だよ。それより明日、ちょっと出かけてくる。子明には内緒にしてくれ」
 

次の日。
「なあ、文嚮。都督を知らないか?今朝からお姿が見えないんだ」
「・・・・知っていますがお教えできません」
「・・なんだと?」
「子明どのは城の守りについていてくれとおっしゃっておりましたので」
「・・・都督は外にでかけられたんだな?」
「・・・・お答えできません」
「馬鹿か!おまえ、都督になにかあったらどうするんだ。あの人は体が弱ってるんだぞ」
呂蒙は徐盛の襟元を掴んだ。
「・・・・・・」
「おまえ、心配じゃないのか!?」
「何といわれましても」
ちっ、と舌打ちして呂蒙は手を離した。
「・・ったく、なんで・・・・黙っていってしまわれるんだ、あの人は!」

 

「本当によろしかったのですか?」
陸遜は隣で馬首を並べる周瑜に言った。
「子明どのに黙っていらして。心配していますよ、きっと」
周瑜はくす、と笑って
「言ったらついてくるというに決まっているだろう?そしたら城の警備が手薄になるじゃないか」と言った。
「・・・・まあ、そうですが」
陸遜は山賊討伐隊を組織し、麦城と当陽の間にある山へと行軍を進めていた。
今朝になって急に周瑜が一緒にくると言い出したので、陸遜は緊張しながら了承したのだった。
しかし、なかなか見事に軍をまとめている。
今朝陸遜から山賊討伐の計画を聞き、周瑜は感心したものだ。
 

山道をしばらくいくと、道の両端に赤い布で作られた幟のようなものがところどころ立ててあった。
「あれは山賊の頭、赤衡の印です。アジトが近いのでしょう。油断しないでください」
陸遜がそう言って緊張する。
しかし、それから歩を進めると意外な光景が目に飛び込んできた。


「なんだ・・・・これは」
陸遜が思わず声をあげたのも無理はない。
そこには累々と死体が転がっていたのだ。
兵が急いで死体を調べる。
「隊長!これはみな赤衡の手下の賊たちです」
「・・・なんだと?」
周瑜も馬を進める。
「都督、お気をつけください!まだなにがあるかわかりません」
陸遜の言葉を背に、周瑜は馬を進めながらあたりを見回した。
見渡す限り死体が転がっている。
「一体・・・何が起こったというのだ」
ふと、まだ動いている者が目に留まった。
周瑜は馬を下りてその男に近づいた。
「どうした。何があった?」
「・・・・・お・・・狼・・・が・・・」
「狼?」
その男はそういうと、こときれた。
そのとき、奥の方から音が聞こえた。
周瑜は腰の剣に手を伸ばし、音のする方に近づいていった。

林の奥の方でうごめく人影があった。
目を凝らすと、2,3人に囲まれている一人は槍を持っているようだった。
槍を持っている方が、一人の喉元を突き刺し絶命させた。
槍を回転させ、次々となぎ払う。
すさまじい戦いぶりだ。
周瑜は剣を抜き、そっとその人影に近づいた。

その物音に気づき、槍の武者は周瑜の方を振り返った。

「まだおったか!」
その人物が声を荒げる。
それに聞き覚えがあった。




(24)へ続く