「まさか・・・馬孟起どのか・・・・・?」
「なに?」
血塗れの槍を持つのはまぎれもなく馬超であった。
周瑜は腰に剣をしまいながら近づいた。
「私です。周公瑾です」
「まこと周公瑾どの・・・か?なぜこのようなところに?」
馬超も意外な顔をして驚いていた。
「こちらの科白ですよ・・・・」
馬超は槍についた血を振り払うと、周瑜の方に近づいてきた。
その馬超の姿をみて、周瑜は苦笑した。
「なるほど、狼、か」
馬超の鎧兜の形、である。
「なにか?」
「いえ、なんでも。それにしてもすごい。これを全部お一人で?」
「ふん。山賊ごときが何人束になって来ようが大したことはない」
「西涼に戻られたのではなかったのですか」
「ああ、それが戻る途中に世話になった村で山賊の夜襲にあったのだ。その時俺は馬を奪われてしまったのでこうして出向いて取
り返しに来たというわけだ」
「それはそれは。おかげでこちらは山賊を討伐していただけたというわけですか」
馬超はじろ、と周瑜を見た。
「たまたま、だ」
周瑜は口元をおさえてくす、と笑った。
そのとき、周瑜の背後から声がした。
「都督!危ない!」
振り向いた周瑜が見たものは弓をつがえた陸遜だった。
その矢端は馬超に向いている。
「伯言、ちがう!」
周瑜の叫びとともに矢は放たれた。
馬超めがけて飛ぶ。
がつっ!
陸遜の矢は、激しい音をたてて二つに折れ、力を失って地に叩き落とされた。
馬超が槍の先端で叩き落としたのだ。
陸遜も周瑜もその様子を意気を呑んで見ていた。
周瑜は呆気にとられていたがすぐに振り返り、陸遜に叫んだ。
「伯言!敵ではない!攻撃するな!」
「えっ・・・?!」
陸遜は驚きの声をあげた。
遠目に見て、自軍の兵ではないことは知れた。
第一このような派手な鎧兜を身につけているような武将は東呉にはいない。
周瑜の鎧は白銀だが、形はいたって普通だし、際だって目を惹くといえない。
それが、どうだ。
周瑜の横に立つ男は体つきは頑強そうで背も高い。
獣の形を彫り込んだ見事な鎧と兜を身につけ、威風堂々としている。
これはただ者ではない、と事情を知らない者でもわかりそうなものだ。
周瑜に呼ばれ、近くまで行くと、その顔をつぶさに見て取れた。
顔立ちは中原のものとは少し違うようだ。
周瑜には及ばないが、色白で彫りの深い顔立ち。
一体何者なのだろう。
陸遜は心の中でそう思っていた。
「孟起どの、失礼いたしました。これは私の配下の陸遜、陸伯言といって今回の山賊討伐の任にあたらせている者です」
周瑜に紹介された陸遜だったが、じっと馬超の顔を睨んでいた。
馬超はそれへ
「小僧!無礼であろう」
と一括した。
「伯言、下がりなさい。こちらは西涼の馬一門のお方で馬孟起どのだ」
周瑜が取りなしても、陸遜は馬超を見ることをやめない。
馬超はその挑むような目にかっとなって一歩前に出た。
そして陸遜の襟元を掴み、ぐい、と引き寄せた。
「・・・・その目が気にいらん」
陸遜は馬超に掴まれたまま、無言で睨み返した。
馬超はしばらくそうしていたが、「ふん」といって手を放した。
「伯言、どうしたというのだ」
周瑜が訊くと、陸遜は自分の襟を正しながら言った。
「いえ・・名のある武将であることはわかっておりました。それ故味方かどうか見極めたかったのです・・・・お許しください」
陸遜は軽く頭を下げた。
だがそれが形ばかりのものであることはわかった。
馬超はふい、と背中を向けた。
「俺は馬を取り戻しに来ただけだ。用がすめばすぐに出ていく」
「おまちください。ここであったのも何かの縁。是非我が南郡城にて疲れを癒されますよう」
陸遜は、周瑜が急に何を言い出すのか、と言いたげだった。
「馬にも休養が必要でしょうし、それでは西涼へ帰るにも糧食が足りぬでしょう」
馬超は立ち止まって背中で聞いていた。
「たしかに公瑾どのの言うとおりだが俺はそこの小僧が気にいらん」
「なに・・・!」
一歩踏み出そうとする陸遜を周瑜は片手で制した。
「私の頼みでも、聞いていただけませんか」
馬超は振り返って周瑜の顔を見た。
しばらく見つめ合って、馬超がふう、と溜息をつく。
「わかった。そんな目をされては逆らえん。少しの間だけ世話になるとしよう」
陸遜は不満だった。
なぜ周瑜ともあろう者がこのような味方でもない男に礼を尽くすのだろう。
それに馬超の横柄な態度も気に入らなかった。
南郡城にもどり、周瑜は馬超に客室を用意し、歓待した。
不満顔の陸遜はそのまま呂蒙のところへ行き、事情を説明した。
「都督にはひとこと言っておかなければならん。そのような輩を勝手に城に招いたりしては・・・」
呂蒙は周瑜が黙って出ていったこと、知らない男をつれてもどったことを怒っていた。
しかし、陸遜は怒ってばかりの呂蒙の前で、冷静にこう言った。
「都督のお考えは私などの及ぶところではございませんが、もしやあの者を捕らえるつもりなのではないでしょうか?」
「・・・・・・?あれは西涼の異民族の長の息子だろう?」
「そうです。漢中を支配していると聞き及びます。ですが曹操と対立しているとも聞きます」
「それがどうした」
「あの馬超という男はかなりの実力の持ち主です。おそらく一族にも絶大な信頼を持っているのでしょう。あの男を捕らえて味方に引き入れるか、それができなければ逆に首を取って曹操に恩を売るということもできます」
「・・・・伯言・・」
呂蒙は前々からそう思ってはいたが、今さらながら陸遜というこの男が底知れぬ鬼謀の持ち主だと感じた。
たった21の若さで、呉の山越という山賊を退治した時も、孫権をはじめ、その見事な手際に感嘆したものだった。
陸遜は呂蒙のみている前で腕を組み、しばらく何事かを考えていた。
「しかし問題はその説得材料が何か、ということです・・・都督は一体どうやってあの荒武者を説得なさるおつもりなのか・・・」
その夜、周瑜は馬超の部屋を訪ねた。
まず馬超はいろいろと用意してもらった礼を述べた。
「ところで公瑾どの。先日の同盟の話だが、おぬしは本当にこの俺を信用してくれるのだろうか」
「・・・あなたを送り出したらその脚で呉都へ向かい、主君に上奏するつもりです」
「だが、なにひとつ、約束できるものはない。おぬしが俺をここで捕らえて曹操に献じれば孫家は護られる」
「・・・・そんなに私が信用できませんか」
「信用せねばここへは来ぬさ。あの雨の夜、おぬしと呑んだ酒は旨かった」
馬超はとぼけたように言い、周瑜の持ってきた酒を器になみなみと注いで一気にあおった。
酒の滴が喉元をぬらす。
それを見つめながら、周瑜はおもむろに立ち上がった。
「孟起どの。私を信用していただくために、あなたに私の秘密を話しましょう。決して他人には明かしてはならぬ秘密です」
「秘密・・・?」
馬超は不思議そうに周瑜を見上げた。
ふいに周瑜が袷を開き、着ているものを脱ぎだした。
「お、おい、一体何を・・・」
明かり取りの灯が揺らめく。
衣ずれの音だけが支配するこの空間で、馬超は息を呑んだ。
「・・・・これが私です」
目の前には一糸まとわぬ姿で裸身をさらす女が立っていた。
馬超はそれから目が離せなかった。自分が一体何を見ているのか、その意味がわかるまで。
周瑜はそのままで馬超を見つめ、そして目をつむった。
「公瑾どの・・・・おぬし、女であったのか・・・!」
呆然としていた馬超がやっと口を開いた。
周瑜は無言でうなづいた。
そして立ち上がり、その顔を、姿を改めて見た。
足元に落とされた衣装を拾い、それを周瑜の裸の肩にかけてやった。
「すまぬ。恥をかかせた」
さきほどまでの荒武者らしい態度とは一変して、思いがけず優しい口調だった。
「・・いいえ」
掛けられた衣に袖を通す。
その様子はやけに女らしい、と馬超は思った。
ぐい、と自分の胸元に引き寄せて、結っていた髪を冠ごと取り去ると、長い黒髪がばさり、と周瑜の肩と背中を叩く。
馬超は周瑜の耳元で囁くように言った。
「俺に抱かれるのは嫌か・・・?」
馬超の腕の中で周瑜は首をわずかに横に振った。