「なあ、公瑾どの。そなたはなぜ男のふりをしてまで孫軍に身を置いているのだ?」
周瑜は馬超の腕を枕にして寄り添うように寝台に横たわっていた。
「さあ、どうしてでしょう。私にもわかりません」
「・・・・好いた男はおらぬのか」
「今は・・・・」
「・・・・そうか」
馬超は周瑜にしかれている腕とは反対の腕をのばしてその髪にふれた。
「・・・なぜ、俺などに秘密をしゃべった?俺はしゃべるかもしれんぞ。呉の都督が女であると」
「・・・・あなたには知っていて欲しかったのです」
「なんだ、俺に抱かれたかったのか」
馬超はずけずけと言った。
これには周瑜も苦笑せざるをえなかった。
「孟起どのは見目もご立派ですからさぞ女子の気を惹くことに長けておられるのでしょうが、そのように言うものではありません」
一瞬、周瑜の目がきつく馬超を見た。
その目に正面からあたってしまい、馬超は動揺した。
「・・・すまぬ。無礼なことを言った。そのような目でみないでくれ。・・・死にそうだ」
馬超が真面目な顔で言うので、周瑜はくすくすと笑った。
「俺はおぬしがいるかぎり、裏切ったりはせん。それだけは誓う」
「・・・・ええ」
馬超は周瑜の枕になっている腕を曲げてその肩を抱くようにして引き寄せた。
「俺は本気だぞ」
「・・・本気とは?」
「・・・褥でおぬしと問答をするつもりはない」
馬超は両手で周瑜を虜にすると、深く口づけた。
「いったい、あの男はいつまでここにいるつもりなんだ!」
呂蒙は激昂した。
馬超が城に滞在してもう6日になる。
何が彼を引き留めているのか、わかっているから余計に腹が立つのだ。
「まあ、落ち着いてください、子明どの」
陸遜が諫める。
しかし、呂蒙には我慢がならなかった。
陸遜の言った周瑜の説得とは、こういうことだったのだろうか。
(まさか本気で色仕掛けであの男を虜にするつもりじゃないだろうな・・・)
ふと頭によぎったことを、振り払おうと首を振る。
いつも軍議を開いている城の一室に3人は集まっていた。
「文嚮」
呂蒙は振り返り、そばに控えていた徐盛を呼びつけた。
「は」
「都督は・・・どうしておられる?」
「ご自分のお部屋にいらっしゃいます。考え事をしたいので一人にしてくれとおっしゃいまして」
「・・・・」
呂蒙はふう、と大きな溜息をついた。
「都督は一体何を考えておられるのだ・・・」
そこへ、当の周瑜がやってきた。
「皆、集まって何の話だ?」
「都督・・・!」
突然の周瑜の登場に呂蒙も陸遜も浮き足だった。
「先ほど、孫仲異将軍と話して決めたことだが、私は明日呉都へ出立する」
突然のことに皆驚きを隠せなかった。
「あ、明日・・ですか?それはまた随分と急な」
呂蒙はつまりながらそう言った。
「うん。急なことだが、子明、文嚮、おまえたちに一緒に来てほしい」
「は・・・はい!」
「城の警護は奮威将軍に任せる。伯言は将軍の指揮下に入ってくれ」
「はい」
突然のことに呂蒙はおろおろしていたが、これから何が始まるのか、知りたかった。
「都督、呉都へ参って何かされるのでしょうか」
おそるおそる訊くと、周瑜は呂蒙の方にちら、と目をやり、言った。
「荊州を取り返しに行く」
「えっ!?」
三人が異口同音に言う。
「その策をご主君に献じに参るのだ。兵をまとめねばならぬ故人手がいる」
さっきまでの鬱々とした表情から、呂蒙の顔がぱっ、と明るくなった。
「わ、わかりました!」
「では某はさっそく伝令を務めまする」そういって徐盛は下がった。
「都督、南郡からの兵はいくつ率いて参られますか?」
陸遜の問いに周瑜はうなづきながら答えた。
「私の旗本部隊5000だけだ」
「公瑾どの、ここにおられたのか」
部屋の入り口に立って周瑜に声をかけたのは馬超であった。
室にいた全員がそちらを向く。
「孟起どの」
馬超はつかつかと入ってきて周瑜の肩に手をまわした。
呂蒙はむっとして馬超を見ていた。
「俺は明日ここを出ていく。いろいろと世話になった」
「それはまた急な。しかしちょうどよいかもしれませんね。私も明日呉都へ戻ります」
「そうか。ならばちょうど良かった。おぬしのいないこんな城に留まっても意味がないからな」
(こんな城だと?!)
いちいち疳に障る奴だ・・・と呂蒙は思った。
呂蒙にしてみれば、周瑜がいなければとっくに叩き出しているはずの男なのである。
「では今宵は別れの宴を催すといたしましょう」
「まったく、気にいらん」
城の回廊をなにやら毒づきながら歩く呂蒙だった。
「お気持ちはわかりますが、少しおさえてください」
その彼のあとについて、陸遜はなんとかなだめようと試みている最中だった。
彼は今夜の酒宴で酔った勢いでなにか言い出さなければいいが、と心配だった。
「伯言、俺はな、別にあの男にやきもち妬いてるってわけじゃないんだ。ただ、気に入らないってだけなんだ」
「は?やきもち・・・ですか?子明どのが、馬孟起どのに?」
「馬鹿!あの野郎のことを字なんかで呼ぶな!」
言ってから、呂蒙ははっと気が付いた。
陸遜は当然だが周瑜が女であることを知らない。
男が男にやきもちを妬くことだってあるが、今のは絶対変に思われた。
「あっ・・いや伯言。その・・・やきもちってのはな・・・」
逆にとりなすことが変に思われるだろうことなど呂蒙は考えもしていなかった。
が、陸遜はころころと笑って言った。
「別に、変だなんて思いませんよ、子明どの。都督は魅力的なお方です。私だって憧れていますから」
「う、うん・・・そうだな」
その夜、大広間では酒宴が開かれ、夜半すぎには無礼講となった。
陸遜が心配したとおり、呂蒙は酔って馬超の傍にいきくだをまいたが、それ以上のことにはならなかった。
ただ、必要以上に馬超が周瑜にベタベタしていたので周瑜の部下たちの顰蹙を買っていたことだけは確かだった。
酔いつぶれてそのまま寝こんでしまう者や表に出てそのまま帰ってこないものたちが多くなり、宴はお開きとなった。
呂蒙は陸遜に肩を支えられて自分の部屋に戻った。
「では私も戻ります・・・・」
そういって立ちあがろうとした周瑜の足元がふらつく。
「都督!」
「公瑾どの」
左右同時に馬超と徐盛が手を差し出した。
二人はお互いに顔を見合わせた。
「俺が連れて行く」
「いえ、都督は某がお連れします」
「・・・・・」
お互いに1歩も引かぬ。
気まずい雰囲気が流れた。
そのとき、二人の真中にいた周瑜が二人の手を振り払い、自力で立ちあがった。
「・・・・大丈夫、です。少し酔いました・・・文嚮、肩を貸しておくれ。部屋に戻る」
「は」
徐盛は周瑜の腕を自分の肩にまわし、腋を支えるようにして歩き出した。
馬超はふん、と鼻を鳴らしてそれを見送った。
周瑜の室まではまだ少し回廊を歩かねばならないが、途中で周瑜が歩けない、と言い出した。
徐盛は仕方なく、周瑜を背負うことにした。
徐盛の首に周瑜の両腕が回される。
酒の匂いに交じって、微かに周瑜の香の薫りがする。
「・・・・・・都督・・・?」
いらえはなかった。 眠ってしまったのか。
「はく・・・・ふ、さま。迎えにきてくださったのか・・・?嬉しい・・・」
「・・・・・」
寝言だ。
徐盛はそう確信した。だが、なんという哀しい寝言なのだろう。
「行かな・・で・・・、もう・・・」
そう聞こえた。
そして徐盛の首にしがみつく腕が強くなった。
眠っているのだ。
そのはずだ。
徐盛は自分の背中が誰に似ていると言われたかを思い出した。
そしてその想いは徐盛を追い詰めて行った。
(俺は)
(この人を愛している)
(だから護るのだ)
(・・・・たとえこの人が誰を愛そうと)
徐盛は眠っているはずの背中の重みが小刻みに震えるのを感じ取っていた。
(26)へ続く