(五)白肌


諸葛亮は、周瑜に狼藉をはたらいたとして、収監された。
その場で斬られても文句の言いようがなかった状況だったが、その後すぐに劉備が駐屯地へやってくる、という知らせがあったため、一時保留とされた。
ともかく、ここで勝手に動き回られては困る、と呂蒙は判断し幕舎へ軟禁した。

軟禁された部屋で諸葛亮は、主人に手紙をしたためていた。

そこへ、周瑜が呂蒙を伴って入ってきた。
周瑜は椅子に腰掛けていた諸葛亮が立ち上がるのを手をあげて制した。
諸葛亮はちら、と呂蒙に目をやって、椅子に腰掛けたまま彼らを迎えた。
「何のご用でしょうか?この罪人に」
皮肉たっぷりに言う。
周瑜は相手にせず、諸葛亮の前で立ったまま話を始めた。
「あなたの策を伺いに参りました」
「ほう……何の策を必要とされておられるのでしょうか」
「開戦を主張するからにはそれなりに勝算があるのでしょう?」
周瑜の言葉に、諸葛亮は何か含みを感じ、その美しい双眸を見て言った。
「曹操から何か言ってきましたか」
「殿あてに書簡が届きました。曹軍百万が江を南下してくるそうです」
「百万……」諸葛亮は目をしばたいた。
「あなたはどう思います?」
「百万ははったりでしょうね。荊州の水軍を併せたとしても三十万がいいところです」
「……私もそう思います。ですが孫軍を震え上がらせるには十分なはったりだったようです」
「やはり、体勢は降伏に傾いているのですか」
「そうですね。仮に三十万だったとしてもまともに考えたら勝ち目はないですから」
諸葛亮は周瑜を見つめた。
「あなたもそう考えておられるのですか?」
周瑜は口の端で少し笑った。
「さて……私が主公なら降伏しますがね」
諸葛亮は首を左右に振ってあきれ顔になって言った。
「ずるい方だ。では申しましょう。南船北馬と言う言葉はご存知でしょう」
「ええ」
「私の見たところ、呉の水軍は強い。曹操の軍は陸戦にこそ強いが水戦は苦手です。騎馬の使えない水戦に持ち込み、一気に勝負をかければ勝機はあると思います」
「そうですね。長期戦では数で圧されてしまいますから」
諸葛亮は周瑜の綺麗な唇が動くのをうっとりと見つめていた。
「曹操はおそらく陸口を目指してくるでしょう。あそこの津(渡し場)を取ったら騎馬を出して一気に柴桑に攻め上るつもりでしょうから。私が曹操ならばそうします」
周瑜はそう言って、諸葛亮を穏やかに見た。
目が合うと、諸葛亮はニコリと微笑んだ。
「……わかっていらっしゃるのなら、話は早い。あなたも開戦派に与していただけるのでしょう?」
周瑜は答えずじっと軟禁された使者の顔を見つめた。
理屈っぽいが侮れない男だ、と思う。

答えをくれない周瑜に多少苛立った諸葛亮は、口元を歪めて続けた。
「……それに、もし孫軍が降伏したとしたら、真っ先にあなたは曹操に召し出されるでしょうね」
「……」
「曹操は無類の美女好きだと言いますから」
「なんだと!おのれ、中護軍殿を愚弄するか……!」
爆発したように言葉を発したのは周瑜の後ろにいた呂蒙だった。
周瑜は、呂蒙がつい身を乗り出してくってかかろうとするのを手で制した。
「その手には乗りませんよ。私が激昂しやすい性格だとでもどなたからかお聞きになったのですか?」
「いいえ。事実を言ったまでですよ。私が曹操でもあなたを気に入って傍に置くでしょう。もしそうなったら誰もあなたを助けてあげられませんからね」
周瑜は身をかがめて、諸葛亮の傍に寄り、顔を近づけた。
「光栄ですね。私の身を案じてくださるとおっしゃる」
間近で周瑜を見て諸葛亮は目をパチパチと瞬かせた後、目を閉じ、また首を振った。
「そんな蠱惑的な目で誘ってもムダです。後ろで恐ろしい目をして私を睨んでいるお方がいるのでもうあなたにちょっかいは出しませんよ」
周瑜は薄く笑って身を引き、諸葛亮に背を向けた。
「後ほど魯子敬が迎えに来ます。軍議でお会いできるでしょう」
後につづく呂蒙はぎろり、と彼を睨みつけて出ていった。

「やれやれ……。いにしえの美女には幻獣がつくというがあれは狂犬だ」
諸葛亮はいつしか周瑜に惹かれている自分に気づき、苦笑する。
女にはいつでも美しさより賢さを求める傾向にあったがこれまで自分で引いた合格点に達する者に会ったことはなかった。
それに、意外に自分が面食いであったことも発見できた。
「存外、私も常人と大差ないものだ。少々自分を買いかぶりすぎていたか」
そう自嘲する。
劉備に書く手紙に周瑜のことを書こうと思っていたが、気が変わった。


「どうしてあんなヤツに言いたい事を言わせたままになさるんです」
呂蒙は憤慨して言った。
「そうやっておまえが怒ってくれているだけで私は満足だよ」
周瑜は涼しげに笑った。
「あの男は危険です。あなたになにをするか、わかったもんじゃありませんよ」
呂蒙は真剣だった。
周瑜はまだ笑っていた。
「あなたはいつだってそうやってごまかそうとなさる。それがもとで大変な目に遭われたことをお忘れか」
「ああ、そうだったね。そんなこともあったかな」
「……そんなんだから心配なんですよ。もう絶対お一人で行動しないでくださいよ」
「気をつけるよ」
呂蒙は信用できない、といった顔だった。
周瑜は自分のことをあまり話さない。それは秘密を持っているからだ。
あのときのことを思い出すと今でも顔から血の気が引く思いだった。



呂蒙が孫軍に仕えるようになって、数年たった頃、孫策に紹介されたのが周瑜だった。
その頃は、きれいな男だな、と思っていただけだった。
孫策がいつも周瑜を気にかけていたのには気づいていた。
周瑜が病弱だということは聞き及んでいたし、月に一度は必ず数日寝込んでいたことも知っていた。


あれはまだ孫策が健在だったころ、孫策の父の仇でもある黄祖を討つため江夏の沙羨城に攻め込んだ時だった。
隣で馬を走らせていた周瑜の顔が蒼白だったことに気づき、馬を寄せて大丈夫か、と聞いた。
周瑜はにこりと笑うだけで答えなかった。
そのうち乱戦になり、砦に攻め入り、呂蒙は敵陣を切り崩して血路を開いていった。
いつしか隣にいたはずの周瑜の姿が見えなくなっていた。
そしてふと目に入った、落馬寸前の白銀の鎧。
間違いない、周瑜があそこにいる。

馬の腹を蹴り、駆けつけるとかろうじて周瑜は馬の背に掴まり落馬を免れていた。
「公瑾殿!どこかお怪我を負われたか?!」
こちらを振り向いた時の顔。
呂蒙には忘れられなかった。
人の顔があんなに白くなるものだろうか。
唇も血の気が引いて真っ青だった。
周りにはまだ敵兵が残っていた。
それらを片づけ、とにかく周瑜の様子を確認したかった。傷を負ったのならどこかで手当をしなければ、と焦った。
敵の残党を片づけた後、周瑜のいるはずの方向を振り向いた。
既に馬上に無く、馬の陰に横たわっている周瑜を見つけた。
傷を受けて落馬したのかと青くなって、呂蒙は周瑜の名を呼び駆け寄った。
そこへ呂範、徐盛がやってきた。
「どうした!中郎将殿がやられたのか?!」呂範が叫ぶ。
助け起こすとうっすらと目を開けたが、また意識を失った。
呂蒙は周瑜の鎧の脇腹にこすれた跡があるのを見て、刺されたのだと思い、鎧を脱がせ、その下の服の袷を開いた。
「……!?」
そこにいた三人とも、我が目を疑った。
戦の最中で、乾いた喉がゴクリ、と鳴る。
呂範ははっとして、怒鳴った。
「子明!早く服を」
呂蒙もはっと気づき、慌てて周瑜の服の袷を閉じた。
動悸がする。

今、自分たちは、何を見た?

「……どういうことだ、これは」
「中郎将殿が……女……?まさかそんな」
三人、それぞれ異口同音に言った。

今見た光景―
白い肌にふくらむ乳房。白い喉。
……まぎれもなく女の白肌だった。
「何かの間違いでは……?」
徐盛が呟いた。

「今見たことは他言無用だ。いいか」
呂範は他の二人に堅くそう言った。
「……ですが、子衡殿」
「これにはなにか理由があるのだ。ここで話し合っても埒があかん。殿にも報告せねばならん」
「殿はご存じなのでしょうか……その……」徐盛は遠慮がちに言った。
「わからん」
呂範はあっさりと言ってのけた。
「…その前に中郎将殿は本当にケガをされたのでは?ならばはやく手当てを…」
徐盛だけが現実的な心配をしていた。
呂範はそれにうなづき、
「ともかくここは引き上げよう」と言って周瑜の兜を拾い上げた。
呂蒙は呂蒙で、さきほどの白い肌を思い起こして顔が赤くなってしまい、呂範らの話が耳に届いていないようだった。
このまま周瑜を自分が抱いていってもよいものかどうか。
「子明、本陣まで中郎将殿を運べ」
「は、はい」
呂範に命じられ、迷う間もなく呂蒙は周瑜を抱き上げた。
その身体は軽かった。


本陣につくと、気を失った周瑜を抱いて入ってきた呂蒙を皆が驚きの表情で迎えた。
一番驚いていたのは孫策だった。
一瞬顔色を失っていた。
手当をしてあるから大丈夫だということになって、そこにいたほとんどの者が安堵の声をあげた。
呂範はその隙にそっと孫策の傍により、なにごとか耳打ちをした。
「……見たのか?」
「はい。私と、ここにいる二名だけですが」
「……そうか」
「どういうことなのか、ご説明願えませんでしょうか」
呂範の説明を求める訴えにはすぐには答えず、孫策は気を失っている周瑜に一瞥をくれた。
「……馬鹿め、無理しおって」


孫策は沙羨城を落とした。
その一室に周瑜を寝かせ、軍医を呼んで看るように命じ、命に別状がないことを確認すると、その間に残務を片づけた。
残党を掃討し、捕虜の処遇を決めた後、孫策はようやく別室に例の三人を呼んだ。

呂範、呂蒙、徐盛の三名であった。
三名ともおそろしく緊張した面持ちだった。
呂範は孫策陣営の古参の将である。
正直言って、見られたのがこの男で良かった、と孫策は思った。あとの二人はなんといってもまだ若い。
「失礼ながら軍医はこのことをご存じなのでしょうか」
「……ああ。言ってある。あいつは女だからなにかあったら困るからな」
あっさりと周瑜を「女」と言い切ったのを聞いて、三人は顔を見合わせた。

孫策はこれまでのいきさつを語り、このことは秘密にしておいてくれ、と頼んだ。
これまでの周瑜の並ならぬ努力と功績を思い、三人はそれを承諾した。
それぞれに言い分はあったようだが、周瑜のために彼らは秘密を守り、周瑜の力になることに誰も異存はなかった。



孫策は話を終え、周瑜のいる部屋に戻ってきた。
軍医が側におり、周瑜は目を覚ましていたが横たわったままだった。
「申し訳ありません……このような醜態をさらしまして」
「まったくだ。具合が悪いのならはじめっからそう言え。さっきは本当に驚いたんだからな」
「すみません……大丈夫だと思ったんですが」
「おまえはいつもそういうが、こっちの身にもなってみろ、心配で死にそうだ」

それまで周瑜の方に向いていた軍医は孫策に向き直り、お話があります、と言った。


「身篭もられておられるようです。これでは軍に同行するのはきつかったでしょう」
孫策は思いも寄らぬ軍医の言葉に絶句した。



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