甘寧と別れて、徐盛は周瑜を連れて襄陽の都の中をゆっくり歩いていた。
「文嚮、洞庭湖へ行こう。やはり水軍が見たい」
「水軍、ですか」
「先年、曹操は袁紹を破った。今はその痛手が癒えていないが国力と兵力を回復すれば必ず南下してくるだろう。そうなると、長江を越える必要がある。曹操は必ず水軍を必要とするだろう。その為に彼奴はどうすると思う?」
周瑜は馬を降りて徐盛に並び、町中を歩いている。
「荊州の水軍ですか・・・」
「そうだ。今は劉表が生きているからなんとか持っているが、奴ももう年だ。後継者になるべき息子たちが傑出した人物だとは聞いたこともない。まず間違いなく後継者争いが起こるだろう。それをあの曹操が黙ってみていると思うか?」
「いいえ、思いません」
「曹操はいづれ荊州の水軍を手に入れるだろう。その前にこちらとしても手を打つ必要がある」
周瑜は何事かを考えていた。
徐盛はその横顔をじっと見つめた。
それに気づいたのか、周瑜は急に顔を上げ、徐盛を見返す。
「そういえばおまえは徐州の出身だったね。船には乗れるんだろう?」
「はい。12の年まで毎日海に出ておりました」
「そうか、それは頼もしいね。水軍を指揮するのにおまえにも一隊を任せるとしよう」
「は・・・心得ました」心なしか、周瑜の言葉の端が優しい。
お役に立てるのであれば、なんでもいい。
周瑜が水軍を指揮するのであれば自分も船に乗る。それだけのことだ。
襄陽を出て、街道に出たところで徐盛が周瑜のうしろに騎乗しようとしたとき、徐盛の頬をかすめて矢が飛んできた。
「なにっ!?」
矢は馬の前脚の脇に突き刺さった。
「あっ・・・!」
馬は驚いて前脚を跳ね上げ、嘶いた。
周瑜も驚いたが、咄嗟に手綱を握ったのでなんとか振り落とされずにすんだ。
しかし、馬はそのまま急に勢いよく走り出した。
「・・・・!!」
徐盛は馬を追いかけようとしたが、二発めの矢がまたしても飛んできてそれをかわすので精一杯だった。
「誰だ!?」
振り向くと、町の城壁の影からどうみても堅気の者ではない様相の男達が5〜6人でてきた。
矢を放ったのはそのうちの一人であった。
「あの女は俺達がもらう。おまえは邪魔だから死にな」
どうやら襄陽からずっとつけてきたらしい。
徐盛は、無理もない、と思った。
あれだけ目立っては襲ってくださいといわんばかりだ。
(今の話だと他に仲間がいるようだ。早くこいつらを始末して後を追わねば)
徐盛はこんどこそ躊躇なく刀を抜いた。
「どこからでもかかって来い。きさまらのような雑魚ごときに後れをとる俺ではないわ!」
手綱を引いても一向に馬は速度を落とさなかった。
「くっ・・・」
周瑜は女物の衣裳を着ていることを悔やんだ。なんと動きづらいことか。
前方に突然複数の人影が現れた。
「待て!止まれ!」
彼らは走り込んでくる馬を取り囲むようにし、馬の首に投げた縄をかけて無理矢理止めさせた。
その勢いで周瑜は馬から振り落とされた。
その身体を見知らぬ男が受け止める。
周瑜を抱き留めた男はにやにやしながら周瑜を舐めるように見た。
「へへっ、兄貴の言うとおりこりゃ別嬪だ!」
「放してください・・・」
そう周瑜が呟くと、男はますます興奮して言った。
「おお、声も色っぽいな〜」
他の男達も周瑜の傍に集まって品定めを始めた。
「いいか、おまえら手をだすんじゃねえぞ。その女は蔡の旦那へ献上すんだからな」
「でもよ〜こんないい女ちょっといねえぜ。献上するまえに味見してもいいだろ?」
この集団のボスらしき男が周瑜の前に立ち、周瑜の顎を捉えて上を向かせた。
「ふぅん・・・・おめえの言うとおりたしかに別嬪だ。だがこれは金になる。我慢しろ」
「・・・・私に触れるな」
「あん?」
「私に触れるな、と言ったのだ」
周瑜の顎を掴んでいる男は意外そうな顔で周瑜を覗き込んだ。
その途端。
赤が一閃した。
「うわぁっ!」
周瑜は懐に忍ばせていた匕首を居合いのごとく抜き放ち、目の前の男の喉元を斬りつけたのだった。
男の喉から血しぶきが弧を描いて飛び散る。
「兄貴!!」
男はもんどりうって倒れ、全身が痙攣しているように見えた。
その喉からはとめどなく血が泡のように噴き出していた。
周瑜はその美しい頬に少し返り血を浴びた。
「こ、この女・・!」
「よくも兄貴を!」
周瑜は3歩ほど下がって間合いを取った。
男達は頭目を殺されて興奮している。
その手にそれぞれ刀を抜く。
「なめた真似しやがって!ギタギタにしてやる!」
周瑜は四方を囲まれてしまった。
匕首で刀に、それも5人を相手に、動きにくいこの格好で立ち回れるか、周瑜は少し不安だった。
「おい!」
男達の背後から声を掛ける者がいる。
周瑜もそちらに目をやった。
そこには少年がひとり、立っていた。
肩に矛を担いでいる。
若いが威風堂々としていた。
「そこの女。襲われているのか?助けがいるか?」
と声をかける。
「なんだと、小僧!でしゃばるんじゃねえ!」
男の一人が少年に斬りかかった。
少年はそれをやすやすとかわし、矛で男の腕をはたいて刀を落とさせた。
「ちっ」
男たちは周瑜から攻撃の対象を少年に移したようだった。
おかげで周瑜は助かったが、それよりその少年の戦いぶりに目を奪われた。
実に見事に矛を操る。
年の頃は13〜4才くらいであろうか。
最後の一人にとどめを刺したあと、少年は矛についた血を振り払って周瑜に近づいてきた。
「あんた、大丈夫だったか?」
と周瑜に向かって声をかけた。
「ええ。あなたのおかげで助かりました。礼を言います」
そういって優美なしぐさで一礼したので少年は赤くなってぽりぽりと頭の後ろを掻いた。
「い、いや・・・あんたの腕も女にしちゃなかなかだったぜ」
そこへ、遠くから徐盛が走ってくるのが見えた。
全力で走ってきたため、息もできない。
「ご・・ごぶじ・・・ですか・・・!?」
徐盛は周瑜の頬に血が飛んでいるのを見て、慌てた。
「どこか、お怪我でも?」
その様子に周瑜はくすりと笑い、徐盛の肩をぽん、と叩いた。
「いや。これは彼らの返り血だ」
といって足元に転がっている屍を指さした。
「彼が助けてくれたのだよ、文嚮」
周瑜の指さす方向を見ると、矛を持った少年が屍を街道の脇に転がしていた。
「あの少年が・・・?」
少年は遺体を片付けてこちらへやってきた。
「ああしておけば烏や野犬が始末してくれるだろ」
「・・・・・・」徐盛はこの少年をじろり、と見た。
「そなた、名は何という?よければ教えてもらえないか」と周瑜が言う。
「・・俺は丁奉。丁奉承淵という。廬江の出身だ。矛で身を立てようと思って荊州へ来たんだが、がっかりして返るところだ」
「丁奉か。なぜがっかりして返るのだ?」
「俺より強い奴がいない」
丁奉少年はまじめくさってそう言った。
周瑜はそれを微笑んで見つめた。
「文嚮、どう思う?」
問われて、徐盛は素直に応じた。
「この目でその技を見ておりませんので何とも」
「そうか」
徐盛は周瑜に目で合図されたような気がした。
「丁奉とやら。それでは某と立ち合ってみるか」
「・・・あんたが?」
少年の態度はその自信の現れであったにちがいない。
「そうだ。それとも臆したか」
「なんだと!?いいさ、やってやる!だが手加減はしないぞ!」
「おお」
周瑜の見ている前で、徐盛と丁奉の一騎打ちが始まった。
徐盛にとってみれば「一騎打ち」などというシロモノですらなかったが。
(しかし、なかなかに鋭い動きだ)
矛と刀、という立ち合いであったが、十数合打ち合った時点で丁奉が根をあげた。
「ま・・・まいった・・・あんた強いな」
丁奉は肩で息をしている。
それに比べて徐盛は息も乱れてはいない。
「どうだ、文嚮」
「は。逸材かと思います。むざむざ劉表の軍を強くさせる必要はありません」
「そうか」
周瑜はそういって嬉しそうに笑った。
「丁奉。・・字はなんと言ったか?」
「・・・・・承淵だ」
「そうか、では丁承淵、我が軍に来ないか?」
周瑜の申し出に、丁奉はその大きな目をますます大きくして言った。
「あんたの軍・・・って?どういうことだ?あんた女なのに部曲をもってるのかい?」
「丁奉、控えろ。この方は東呉の建威中郎将どのだ。これは襄陽での仮のお姿だ」
えっ、と大きな声で叫んで、再び周瑜の顔をまじまじと見た。
周瑜はくすりと笑って、丁奉少年の前に歩み出た。
「私の名は周公瑾。江東の孫家に仕える身だ。我が軍とはすなわち孫軍のこと。どうだ、従軍する気はないか?」
「そ、孫軍に!?」
丁奉はその申し出にしばらく声も出なかった。
「孫軍には私より強い奴はいくらもいる。武力を磨きたいのなら来るべきだと思うが」
徐盛はさりげなくそう言った。
「・・・・・!!あんたより強い奴が?そ、それなら行く!俺もつれてってくれ!」
周瑜はこの様子を見て微笑んだ。
「文嚮、この者は私が殿に推挙する故、しばらくはおまえが面倒をみてやっておくれ」
「は」
徐盛はうなづいてから、首に縄を掛けられたまま放置されていた馬の傍まで行き、刺さっていた矢を抜いてやった。
徐盛の傍には丁奉が来ており、徐盛にそっと耳打ちした。
「あの人、本当に女じゃないのか?俺、あんなに綺麗な人は初めてみたよ」
徐盛はそれへ笑って応えた。
「あの方は特別だ」