(6)

柴桑の太守をいいつかった徐盛は、孫権が来るまでの間江夏への睨みをきかすことになった。
新たに兵を500もらい、周瑜の指揮する陸軍の方に編成されることになった。

ところでその周瑜は現在留守であった。

一週間ほど前、孫瑜が呉都からやってきて、山越という賊の蜂起を鎮めるために周瑜の力を借りに来たという。
孫瑜は孫権の従兄弟にあたる。現在は丹陽太守となっている。
字を仲異といい、文に秀でた男であった。
行軍中も詩を口ずさむほどで、楽もたしなむ。
先日の周瑜の笛の音を聴いて心酔し、しばらく周瑜宅に通い詰めていたという。
孫瑜が言うには、
「公瑾どのには剣より笛と琴、それに静かな場所ほどお似合いです」ということだそうで、まったくのんびりとしている。
それでも孫瑜の内政の力は評価が高く、彼が治めている地域では人民によく慕われていた。
そんな孫瑜を、周瑜は評価していた。
孫瑜の方はといえば、もう意中の人を見るがごとくひたすら周瑜を崇拝していた。

徐盛はこの青年が嫌いでは無かったが、周瑜にとって益となるかどうかという点では疑問を感じていた。
孫瑜は孫家の者。
つまりは力を持った家臣が増長しないように目付役をつけた、と言った方がよいであろう。
孫瑜が周瑜につくということはそういうことであった。
自分自身ではそういうつもりが無くても。

周瑜が自分の隊を率いて柴桑を留守にしている間、軍の編成は呂蒙と、太守である徐盛にゆだねられた。

その周瑜がいれば、起こらなかったであろう問題が持ち上がったのは周瑜と孫瑜が発った三日後のことであった。

徐盛が柴桑で兵を集めるためにふれを出していた。
東呉では軍人は職業軍人として代々世襲制であるが、当然一時的に兵の数が足りなくなると、しかるべき報酬に引き替え一般から兵を募集する。
それで、この郡で2000人の兵が集まった。
呂蒙はこの2000人の兵をすべて陸軍に配属すると言った。
しかし呂蒙が決めたこの編成に対して水軍が文句をつけたために、陸軍と水軍の争いの様子を呈してきてしまったのだ。
董襲、潘璋ら水軍部隊の者と徐盛たち陸軍部隊とで兵の数を取り合う形になってしまった。
軍議は揉めに揉めた。
「いかに水軍といえど、ずっと船に乗っているわけではあるまいに。途中で陸軍と合流すれば何の問題もない」
とは、呂蒙の言だ。
しかし、董襲らは納得しない。
戦の殆どは水軍の仕事だ、といってはばからない。
膠着しかかった軍議を収拾したのは甘寧だった。

「船にも乗ったことのない新兵が何人いたって戦力なんぞにならないね。戦は天の時と地の利、それから勢いだ。水軍には乗れる兵力に限りがあるんだ。だから兵は強い兵しかいらねえ」

甘寧の言葉は真実であり、説得力もあった。

「必勝の策は都督どのにお任せするとして、俺達はこんなところでくっちゃべっていないで兵の訓練とか他にいっぱいやることはあるはずだろ?」
「甘興覇の言うとおりだ。皆、決定はこれで覆すことはしない。良いですな」
呂蒙の一喝に皆従うしかなかった。
徐盛は甘寧の後について室を出た。
「なあ、あんた、徐・・文嚮っていったか。あんた周都督とはつきあいが長いんだろ?」
「・・・・はい」
「ここの軍はあの人にかかってるんだって、今日改めて思ったな。なぜあの人はあんなに信頼されているんだ?」
「・・・あの知謀と、お人柄によるところが大きいと存じます」
「そうだな、俺もそう思う」
「・・・・だからあの人はあんなに忙しいのか。こないだ来てた、あの孫仲異って将軍も都督どののお力にすがりにきたんだろう?」
「そのようです」
「都督どのもお人がいい。こっちは江夏攻略で忙しいってのに」
「・・・周都督は孫仲異どのとは仲がよろしいのでお断りにはなれないのでしょう」
「都督は主公と折り合いが悪いのか」
「いいえ、決して」
「ならばなぜ、都はこのような次期に孫仲異どのを派遣してきたのだ」
「さて、私のような者にはわかりかねます」
「ふん・・・」
甘寧は興味を失ったように、急に足早に歩いていってしまった。

「あいつのおかげで助かったな」
徐盛のすぐ後ろに呂蒙が来ていた。
「だがこの一件で、あいつの器量がわかった。水軍はあいつに任せても大丈夫だろう」
「・・・ですがひとつ心配があります」
徐盛がそう言うと、
「わかっている。公績のことだろう?」
「はい」
「あいつは陸部隊にまわす。一緒にするわけにはいかんだろう」
「・・しかしそれで納得するでしょうか」
「させるさ」
 
 

間もなく、孫権の本隊が柴桑に到着した。
うやうやしく皆が出迎える。
孫権を城に迎えると、直ちに広間で軍議が行われた。
「公瑾はまだ戻っておらぬのか」
孫権は開口一番にそう言った。
「吉報を持って間もなく戻られると思います。昨日早馬が参りました故」
呂蒙がそう言うと孫権は頷いた。

そうして、甘寧は孫権の前に初めて進み出た。
「おぬしが甘寧興覇か。周瑜から話は聞いておる。おぬしを得られれば、江夏討伐はなったも同然ぞ」
「ありがたい仰せ、いたみいる」
「此度の戦、周瑜の勧めもあって、おぬしに任せようと思う。先鋒の董襲・潘璋らと共に黄祖の首を取って参れ」
「お任せを」
「他に何かあるか?甘興覇。何か希望があるのであれば言って見よ」
「・・・・では、ひとつだけ」
「なんだ」
呂蒙は正直言ってはらはらしていた。
いつも口の悪い甘寧がいつ失礼なことを言い出さないかと。
しかしこれでも甘寧としては最高に敬意を払っているつもりなのであった。

「先年での戦いの折り、俺は呉軍の先鋒の隊長を弓で射殺した。このことを不問にしてほしい」
甘寧がそういうと、その末席に同席していた凌統が立ち上がりかけたが、周りの者におさめられた。
「もちろん、あれは戦であり、今となっては仕方のないことであった。戦とは常にそうしたものだ。・・・それ以上におぬしが活躍してくれると約束してくれれば不問にしよう」
「承知した」
 

「まったく、どうかしています!なぜ、あんなヤツをみんな信用するんです!?」
凌統は激していた。
「主公もそうです・・・!私の父を殺したことを、不問にするなんて!」
軍議を終えた後、甘寧に掴みかかろうとした凌統を呂蒙、徐盛らに押さえられ、そのまま広間から連れ出されて回廊にいた。
「公績!いい加減にしないか」
呂蒙が凌統の右腕を押さえながら叱った。
「あなたには、俺の気持ちなんかわからないんだ!」
凌統は右腕を振り払って呂蒙を睨み付けた。
もう片方の腕も徐盛の手から振りほどき、凌統は回廊を駆けだした。
「おい、待て公績!」
呂蒙の制止も聞かず、回廊を突き当たりまで走って行き、回廊の先の角を曲がったところで、凌統が声をあげた。
「わっ!」
その声に何事かと驚いて二人が駆けつけてみると、回廊の角には凌統と、肩を押さえて戦衣姿の周瑜が立っていた。
凌統はどうやら走っていて周瑜とぶつかったらしい。
「す、すみません、都督・・前をみていなくて」
ばつが悪そうに言う。
徐盛は心配して、周瑜の傍に駆け寄った。
「お怪我はありませんか?今お戻りになられたのですか?」
「ああ、大丈夫だよ。それよりどうかしたのですか?」
凌統は周瑜の顔を見て、急にその前に跪いた。
呂蒙も徐盛もその急な行動に驚いた。
「都督、都督ならわかってくださいますよね!?」
「・・一体なんのことなんだ?」
周瑜はわけが分からず、呂蒙と徐盛の顔を交互に見た。
「・・・甘興覇どののことです」徐盛が口火を切る。
「主公が先年の戦の時の例の件を不問にするとおっしゃられたんです」
呂蒙の言葉を引き継いで、凌統は声を荒げた。
「そんなの、間違っています!あいつは敵で、父の仇なんですよ!」
周瑜はふう、と一息つくと、
「少し、自室で待っていなさい。私はとにかく今戻ったばかりなので先に主公にご報告をせねばならぬ。その後で話を聞こう、公績」と言ってその前を通り過ぎていった。
「は、はい・・・」
徐盛は肩を落として自室の方に向かって歩く凌統をじっと見た。
(甘興覇どののいうとおり、なんでもかんでもがあの方の背に寄りかかってくる・・・。これではあの方の休まる時がないではないか)
「文嚮」
呂蒙に呼ばれて我に返る。
「・・はい」
「おまえ、そんなに怖い顔して公績を見るなよ」
「・・・・・!某はそのような顔をしておりましたか?」
「ああ」
「申し訳ありません・・・・」
 

周瑜の部屋に凌統と入れ違いに徐盛が訪ねてきた。
「いかがなされました」
牀に腰掛けた周瑜に声をかける。
「・・・あの様子では頭ではわかっていても納得はしていないだろう・・・仕方がない、あれはまだ子供だ」
ふう、と溜息をつく。
「お疲れでしょう。少し休まれてはいかがです」
「・・・・いま休んだらこのまま眠ってしまいそうだ」
「眠られたら良いではありませんか」
「・・・・そうだね・・・」
そこへ、孫瑜の声がした。
「周都督どの、仲異です。入ってもよろしいでしょうか」
徐盛はむっとした。
周瑜が声を出そうとした時、そっと手で制止した。
そして、部屋を出て孫瑜の前に立つ。
「孫仲異将軍、周都督は今お休みになられるところです。何か急ぎの用がお有りでしたら某がお伝え致します」
有無を言わせぬ徐盛の応対に孫瑜は少し戸惑ったが、
「そうか、いや、別に大した用事ではない故、また後ほど伺うとしよう」
といって、すごすごと帰っていった。
再び部屋に戻ってみると、周瑜は牀に横たわってすでに寝息を立てていた。
(・・・やはり、お疲れなのだ・・)
徐盛は部屋の中に置いてあった周瑜の袍をとり、横たわる周瑜の上に掛けてやった。
そしてしばらく上から周瑜の寝顔を見つめていたが、やがてそっと踵を返そうとした。
「・・・!」
周瑜の白い手が、去っていこうとする徐盛の手を掴んだ。
「・・・・すまぬが・・・しばらくここにいてくれないか・・?」
「・・・都督・・・しかしお邪魔では」
「おまえがいると安心するんだ・・」
「・・・・・」
徐盛は、周瑜の牀の前に背中を向けて腰を下ろした。
「ここにおります故、ごゆっくりお休みください」
「すまないね・・」
そういうとまた背中越しに寝息が聞こえ始めた。
(この徐盛、だれにも、あなたの眠りを妨げさせはしません・・・ご安心を)
徐盛は自分の脇差しを抜いて、その手入れを始めた。
 

江夏討伐の出立は間近にせまっていた。
 
 
 

(7)へ続く