「伯言。陸康というのはおまえの叔父だったな」

いつか、聞かれるであろうとは思っていた。
「はい・・・・それが何か」

ここ南郡城に居留している間、陸遜は呂蒙や周瑜と幾度か話をする機会に恵まれた。
「討逆将軍・・・殿の今は亡き兄上が、廬江郡太守だったおまえの叔父、陸康を斬ったということはもちろん知っているのだろうね」

周瑜はいつもの独特の穏やかな言い方で話し始めた。
その凛とした声はまるで楽を聴いているかのような錯覚を覚える。
まるで術にでもかかったかのように、抵抗できなくなる。

「はい。もちろん存じております」
幾分、緊張した声がでてしまった、と思った。
「私はその当時、父を亡くして叔父のもとへ身を寄せておりました。袁術との関係が悪化したことを受け、従兄弟たちと呉へ逃げ延びました」
「うむ。その頃おまえはいくつだった?」
「13です」
「・・・・叔父の仇を討とうとは思わなかったか?」
周瑜の紫がかった瞳は、陸遜の魂までを射抜いた。
切れ長の、美しいとしか言いようのない目で見つめられて、怖気づかない者がいるとしたらよほどの強者であろう。

「・・・正直なところ、そう思ったこともございます」
年下の従兄弟、陸康の次男陸績を連れての道中、叔父の死を聞かされた。
自分が大きくなってから思ったことであったがー叔父は太守としては平凡で、自分の利益を護ることのみに熱心な男であった。
「ですが、江東は治めるべき方に治められたというべきです。叔父が有能でないことはわかっておりました。いづれにせよ、戦乱にあって無事ではすみませんでしたでしょう」
陸遜は正座した膝に両手を握ったままで話続けた。
「仇討ち、などという小事にとらわれていては到底大局を見ることはかないません。孫家に未来を託そうと思ったのは自分の意思です」
「・・・・だが陸家は江東の名家、呉の四姓といわれる名門だ。身内を殺されてそれですむのか?」
周瑜の口元にかすかな微笑みが見て取れる。
この人は、何もかもわかっていて、自分に確認させようとしているのだ。
「私は私、家柄などはあとからついてくるものです。それに、名門というけれど・・・この戦乱の只中にあって、それが何の意味を持つでしょう。そのようなことは都督にも覚えがあるはずだと思いますが」
周瑜は苦笑した。
「・・・・おまえは正しいよ。陸議」

陸遜は息を呑んだ。
「・・・都督は・・・・何でもご存知なのですね・・・」
「そうでもないよ」
周瑜はなぞめいた微笑みをたたえた。
「私が今の名に変えたのは、孫家に仕えると決めたからです。それとともに過去の陸家のしがらみを断ち切ろうと思ったのです」
「よくわかった、伯言。試すようなことを言って悪かったね。これからもその忠誠を孫呉のために尽くしておくれ」
「・・・・・もちろんです。・・・都督こそ名門周家のお方でしょう?どうして孫家に・・・?」
周瑜と陸遜の目が合った。
先に目を伏せたのは周瑜の方だったが。
「私と討逆様は幼馴染で、義兄弟だというのが理由だよ」

それを聞いていた呂蒙はもちろんそれだけではないことは知っていた。



「・・・・時に、陸儁というのはおまえの従兄弟の一人か」
陸遜は少々驚いた。
「・・・よくご存知で。私の年長の従兄弟でございました」
「どうされたのか」
「病死いたしました。・・・都督は儁従兄をご存知で?」
「ふふ、・・・まあ、ね。もう、遠い昔のことだよ・・・」
周瑜の目がふっと、遠くなる。

それを見て、周瑜の傍に座っていた呂蒙は少し腰を浮かせた。
呂蒙は周瑜がこういう目をすると時々無性に不安になる。
そのまま遠くに行ってしまって戻ってこないのではないか、と。

周瑜はほお杖をついて、何もない空間を見やった。



その想いは、かの人が健在であった時代へ遥かな時を超えて周瑜自身を召還したかのようであった。





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