(9) 深遠 


 

陸儁に送られて、周瑜は部屋に戻った。

「では、私は外で護衛の兵たちとあなたの身辺をお守り致します。どうか、安心してお休みください」
陸儁は、名家の跡取りらしい優雅な物腰で周瑜に一礼をし、部屋を後にした。

一人になった周瑜は、深いため息をもらした。

(・・・少し見ない間に・・・随分、男らしくおなりだった・・・)

周瑜は衣裳を脱ぎ、夜着に着替える間、先ほど合った孫策のことを思い出していた。

女の格好をした自分を見て、どう思っただろう・・・?
それにしても。
どんな格好をしても、あの方にはばれてしまうのだな、と苦笑した。

そして寝台に入ろうとした時、外の方でなにやら音がした。

「・・・・来たか」

周瑜は持ってきた衣裳箱の中にそっと潜ませていたものを取り出した。

 
 
 

「くせ者っ!」

周瑜の泊まる房への回廊に兵をおいていた陸儁の部隊が、不信者を発見した。
回廊をまっすぐ歩く大柄の男。
軽鎧姿であった。

「待て!こちらは周家の姫が泊まっておられる房であるぞ。何故そのような無礼を働く?」
陸儁が声を張り上げた。
しかし、男は構わず前に進んでいく。

「仕方がない、斬れ!」
陸儁の号令と共に兵たちは一斉に抜刀する。
それへ一瞥をくれてから、男も抜刀する。
斬りかかる兵を一度にねじ伏せ、容赦なく斬り捨てながら奥へと進む。

「くそ・・!ここから先はいかせぬぞ!」
陸儁が刀を抜いて立ちはだかる。
「・・・・どけ」
初めて男が口を開いた。

斬りかかる陸儁を片手で受け流し、男は構わずに離房に向かった。
「くっ!」
再び、陸儁が向かおうとしたとき、男は振り向き様に彼にむかって刀を振り下ろした。
「ぐうっ・・・!」
血は出なかった。
男の刀はどうやら片刃だったようだ。いわゆる峰打ちというものであったが、その衝撃はかなりのものであったらしく、陸儁はもんどりうって倒れた。

邪魔者がいなくなって、男は刀を鞘にしまい、周瑜のいる部屋にたどりついた。
「・・・・・ごめん」
それでも声をかけて部屋に入ったのは、武人の端くれだからであろうか。

男が部屋のなかにずかずかと入り、いるはずの女を捜す。
奥の扉は寝室への入り口のはずだ。
おそらくそこにいるのだろうと、男は寝室の扉を開けた。
暗闇が飛び込んできた。
と、同時に男は硬直した。
目の前には牡丹のあでやかな絵の描かれた衝立がうっすらと見える。
しかしそこから顔を動かすことは出来なかった。
その首に突きつけられた切っ先が、ほんの少し動くだけで簡単に鮮血を吸うことになろう。

おそらくは部屋の隅に置かれているであろう灯籠の灯りだけでは剣を突きつけている相手の顔を見ることもできぬ。

男は瞬時に悟った。
この者、できる。

男は、ほんの少し喉を反らして、声を出した。

「・・・おぬし、何者だ・・・?陸家の者か・・・?」

しばらく返答はなかった。
が、やがて薄暗い部屋の中、すぐ傍から聞こえてきた、少し高い声。

「・・・おぬしの名を、訊こうか」

「・・・・楊広・・・だ・・」

男か女かもわからぬ。
しかし、この殺気が女のものであるはずがない。

「楊広・・・張勲の宿将か。袁術に言われてここへ来たのだな」

「・・・お、おぬしこそ・・だれだ・・?こ、ここは周家の娘の寝室であろう・・・?なぜここに・・・」
「娘はいない。私が逃がした。おぬしがおとなしく帰れば命は助けてやろう」

「・・・・わ、わかった・・・」

「そのまま後ろを向かず部屋から出ろ。そしてまっすぐ回廊を戻れ。回廊を走るおぬしの背を数百本の矢が狙っていると知れ」
凛、とした声音に楊広は慄然とした。
「我が周家の兵は陸家の者とは違うぞ」

言われたとおりに、楊広は部屋を後ずさりしながら出た。

そこまできて、楊広はいきなり腰の刀を抜いて、振り返った。
と、同時に小型の戟が飛んできて、楊広の右肩に突き刺さった。

「ううっ!!」楊広は呻いた。
「愚か者め。私の言うことを聞かぬとは、命知らずよ」
そう言いながら、暗闇にうっすらと姿を現した。

「せっかく命を助けてやろうと思ったのに」
暗闇に浮かび上がる白い衣裳。顔はよく見えないが、ほっそりとしている。
その手に、刀が握られている。

「う・・・く、くそっ!」
楊広は突き刺さった戟を抜いてその場に放り、その場から逃げ出した。

回廊を駆け去っていく背中を追おうともせず、見送るのは誰あろう周瑜であった。
 

刀をしまい、上着を羽織り、周瑜は回廊に倒れている陸儁を助け起こした。
陸儁はすぐに目を覚ましたが、峰打ちされた箇所がひどく痛むらしく、おそらく肋骨を折っているのではないかと思われた。
「・・・面目ございません、邑殿・・・あなたをお守りするどころかこのような醜態をさらしてしまいました」
「いいえ、とんでもございません。あなたがそうやって戦ってくださっている間に私はなんとか隠れて曲者をやり過ごすことができたのです」
陸儁に肩を貸し、自分の部屋の牀台に横たえた。
「邑殿・・・」
「傷が痛みますのね?私、叔父のところへいってお薬をいただいて参ります」
「いや、お一人では・・・うっ!」
「大丈夫ですわ。でも今宵は物騒ゆえ叔父のところで寝かせていただくことに致しますね」
「ああ・・・それがよい・・また曲者が出るかもしれぬゆえ・・」
周瑜は陸儁を残し、叔父の房へと向かった。
回廊を歩いていると、向こうから誰かが歩いてくる。
はっ、と緊張する。

灯りのない回廊で立ち止まり、相手を見極めようとした。

相手は手に灯りを持っていた。

ほのかな灯りが、男の顔を浮かび上がらせる。
それで周瑜には充分だった。

「・・・そこにいるのは・・・公瑾か?」
返答の代わりに息を呑む。
「どうした、こんな暗い中をどこへ行く?」
「・・・・・」
「また、だんまりか。俺はおまえの所へ行こうと思っていたんだ」
「・・・・どうして・・・」

周瑜の声を久しぶりに聞いた気がする、と孫策は思った。

「伯符さまこそ、どうしてここにいるんですか・・・」
「俺は景兄と一緒に袁術に挨拶に来たんだ。でもまさかここでおまえに会えるとは思っていなかったがな」
以前より、背が伸びている。
周瑜はそのために目線を上に上げなければならなかった。
「・・・・おまえ、女に戻ったんだな・・・」
孫策は少し寂しいような、そんな感情の入り交じった言い方をした。

「さっきのヤツ・・・おまえの婚約者だっていってたけど・・・あれは本当なのか?」
「正確には婚約者のうちの一人、です・・・・叔父上の世話ですが、私が袁術に呼び出されたので護衛のために来ていただいたのです」
「・・・・袁術に、呼び出されたってのか?おまえが」
「ええ。おそらく後宮にでも入れるつもりだったのでしょう」
「・・・・!それで、どうするんだ、おまえ」
孫策は灯りを周瑜の顔が見える位置まで持っていき、心配そうに言った。
「先ほど、刺客に襲われ、陸儁殿が負傷されました。それを口実に私も病と称して戻ります」
「・・・・袁術の刺客か?おまえを攫おうと・・・?」
「ええ、おそらく・・・。ですが、ここへ来て、袁術という人物がどういう者なのか、よく知ることができました」
そういって、不敵な笑みを浮かべる。
自分の危機を策士的な利として考えるところは昔と変わっていない。
孫策は灯りを回廊の桟に置くと、両手で周瑜を抱きしめた。

孫策は、なにも言えなかった。
呉景のもとで兵を募り、袁術に対し不平不満を言い、安穏としている自分が目の前の美貌の持ち主に何もしてやれないことが情けなかった。
自分が憶えていたよりずっと華奢で細い身体。
壊れそうなくらい強く抱きしめると、腕の中の周瑜は微かに息を吐いた。

突然の抱擁に、周瑜はためらった。
だがやがて、目を伏せて何かを決意したように唇を噛みながらも、そっと孫策の背中に腕を回して抱き返した。
別れてから一年ちかくになる。
もう埋められない程の変化がお互いにはあった。
それをわかっていながら、孫策はあえて口にした。

「俺と一緒に来い、公瑾。また前みたいに一緒に戦おう」

無言のまましばらくの抱擁の後、周瑜は静かに言った。
 

「伯符さま・・私は明日故郷にもどり、母の喪に服します。1年か・・・2年か・・。そうしたら、もうおそらくお目にかかることは無いと思います」
「公瑾・・・・」
「・・・・・・私が輿入れするときは・・・お知らせ致しますよ・・・」

周瑜は孫策の手をそっと取った。
「覇王におなりください、伯符さま。それだけが、私の願いです」
それだけ言うと、手を離し、すっと夜の闇の中に消えていった。

孫策はその暗闇へ周瑜を掴まえようと手を延ばした。
「公瑾!!」
だが、孫策の手は虚しく闇を掴むだけだった。

「俺は、すぐ一人前になって、必ずおまえを迎えに行く・・・!それまで、どこへも行かずに待っていろよ!」

孫策の声は暗闇に吸い込まれるかのように消えていった。
 
 
 

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