婁から戻る途中、馬を駆けながら呂範はちら、と前方を走る孫策の背を見た。
「どうした、子衡」
「・・・いえ、ちょっと感動していたんですよ」
「さっきの殿と二張の話でか」
「ええ。この世の在り方を話しておられた。やはり、私の見る目は間違っていなかった」
「はははは!」
孫河は笑った。
「今ごろ、気づいたか!遅い、遅い!」
呂範は照れ笑いをした。
「それにしても、周公瑾という男は一体何者なんです?殿の幼馴染と聞いておりますが」
「親友さ。今回のことも、あいつが御膳立てをしたんだろ。あいつが参軍として来てくれたら心強いんだがな」
「なぜ来ないのでしょう」
「さてな。来たいのはヤマヤマなんじゃないか?来ないんじゃなくて来られないんだろう」
「・・・・」
呂範はそのまま何か考え込んでしまった。
「それはそうと、このまえ臣下に加わった陳子烈のことだが、聞いたか?あの小僧、殿の前だと緊張してろくにしゃべれないらしいぞ」
孫河はくっくっ、と笑って言った。
「先に側仕えになった蒋欽や呂蒙たちがな、そういって笑っていたぞ。ひどくどもるんだそうだ」
「ああ、陳武子烈のことですね。たしかに落ちつきがない子ですね、あれは」
「はっはっは!この前もな、殿に練武の相手をしてくれ、と言われて返事をするまでに戦が一回できたほどだというぞ。真っ赤になったままつっ立っていたそうだ」
孫河が思い出してひとしきり笑った。
「・・たしかに弁はたちませんね、あれは。無口と言えば周幼平もそうですが・・」
「だが、腕は立つぞ。あの大きな体と長い腕で繰り出す一撃は強烈だ。子明も若いがいい勝負をするぞ」
「・・・たしかに腕の立つ者は多く集まりましたね」
呂範が何をいいたいのか孫河にはわかっていた。
「そうだ、わかってはいる。知将が足りない。殿も文武兼ね備えた方ではあるが、やはり武の方であるからな」
劉ヨウは、字を正礼といい、その一族は大尉を輩出した名門である。
孝廉に推されるなど博識で、下邑県の長などを歴任し、汚職役人を罷免するなどその性格は清廉潔白で彼の名声も高かった。
もともとは揚州刺史を詔書により拝命していたが、その任地には袁術がいて勢力を伸ばしていたため、彼は寿春に入る事ができなかった。
そのため袁術を避け、曲阿に攻め入ったのである。
劉ヨウは漢王朝の命を賜った官であるがゆえに袁術の横暴を許す事が出来なかった。
「袁術の命を受けている者はことごとく朝廷の敵であると思え!」
そう言って、劉ヨウは袁術の任命した太守である呉景らを兵を出して追い払った。
丹陽に身を落ちつけた劉ヨウは、袁術軍の来襲にそなえ、配下武将である樊能・張英らを長江の河岸に配置した。
袁術はこれを知ると、自らの部下である恵衢を揚州牧に任命し、あくまでも劉ヨウを追い落とそうと考えた。
そこで、孫策が登場するのである。
そのころ、孫賁と呉景は、歴陽の城を根拠に劉ヨウを攻めあぐねていた。
呉景は袁術からすでに任地にいないことを理由に太守の任を解かれ、督軍中郎将に任じられた。
それで、樊能と張英を討てということなのだ。
「景兄、このままでは埒があきません。やはり袁術に増援を頼んでは」
「いや、伯陽。俺はこれ以上やつに借りを作りたくはないのだ。それに・・・おそらく策が黙っていまい」
「伯符ですか。景兄は伯符びいきですものね」孫賁はぼそ、と呟いた。
孫賁は孫策の父、孫羌の長子である。つまり孫策の従兄弟である。字を伯陽といい、孫策よりも当然年長である。
両親を早くに亡くしてからは幼い弟と共に孫堅の子同様に育ってきた。
孫賁にしてみれば、年下の孫策に対しては微妙な感情があるのである。
歴陽には孫策の家族も連れてきている。孫賁も弟の孫輔を連れてきていた。
「袁術から部曲を取り返せば兵の数は間に合いますからね」
横合いからそう言うのは孫香であった。
孫香、字を文陽というこの青年は孫堅のまた従兄弟である孫濡の息子である。
彼は遠く汝南郡の太守を袁術公路から任じられ、呉景はじめ一族に挨拶しに立ち寄ったのだった。
「伯陽は伯符とはあまり気が合わないとみえる」
孫香にキツイ事を言われて、孫賁はそっぽを向いた。
孫堅が亡くなってすぐには孫家のことは孫賁が任されていた。
しかし、結局は反対する孫策の言う事を聞かず、袁術に身を寄せることになった。
その後は自分と呉景は袁術の言いなりになって各地を転戦し、孫策が一族を守る役目を負った。
自分だって、不本意なことはこの上ないのだ。
それは呉景だって同じだろうに、この叔父は一切そういうことを口にしない。
それを、孫賁は口惜しいと思うことがある。
別に孫策が嫌いとかそういうことではない。
孫策には確かに天賦の才があると思う。あの明るさ、人柄、加えて勇猛さ。
もしかしたら、嫉妬しているのかもしれない、とも思って苦笑する。
(そんなことをしている場合か、俺は)
しかし何度か小競り合いがあったが、一向に勝負はつかなかった。
もはや、膠着状態となっていた。
そうしているうちに、ずるずると1年がすぎようとしていた。
孫策は袁術に目通りを願い出た。
それを外の回廊で待っている呂範と孫河がいた。
「大丈夫でしょうか・・」
「大丈夫さ。あれで結構芝居っ気があるんだ」心配げな呂範に孫河は笑ってそう答える。
やがて、孫策が広間から引き上げてくるのが見えた。
二人は孫策に駆けより、心配げに事の成果を訪ねた。
孫策の表情が冴えなかったので、二人は失望しかけたが、
「玉璽の威力はさすがだな」と言って、表情を一転させたので安心した。
「父上の部曲はすべて返してもらう事に成った。その兵を持って、景兄たちに加勢する。江を渡って南を平定するぞ」
孫策はニヤリと笑って爽快に言い放った。
「おお!」
二人共、声を合わせて叫んだ。
そのころ、周瑜と周瑜の叔父は丹陽に移動していた。
袁術に丹陽太守に任じられ、呉景たちの去ったあとの城に赴いた。
しかし、ここで劉ヨウの噂を耳にするのだった。
周瑜はこの劉ヨウという男の言っていることを決して間違っているとは思わなかった。
だが、気になることはいくつかあった。
前年、徐州の陶謙は曹操の父を殺した責任を問われ、攻めこまれていた。その配下にあって、私服を肥やしていた男がいる。
サク融である。
この男の評判はすこぶる悪い。軍の物資を着服することは元より、大義名分を知らぬ男であった。
周瑜がこの男のことを知ったのは、曹操の攻撃を受けた陶謙を見捨てて己の身と私財を蓄えてつくった寺に集まっていた領民一万人を連れて広陵に逃げ込んだことからであった。
以前、張昭救出の際、周瑜に力を貸してくれた広陵太守の趙cは、サク融が領民たちを連れていたので、戦を逃れてきた民を保護してきたものだと思いこみ、厚く遇した。
しかし、このサク融と言う男、あろうことか趙cを殺し、その私財や広陵の城内を略奪し、今、彭城の薛礼の口利きで劉ヨウの食客となっている。
周瑜はこの男がどうしても許せなかった。
この報せを聞いたとき、周瑜らしくもなく、机を拳で叩いて怒りをあらわにしたものだった。
「なんという、無体、無礼、無慈悲な男であるか!」
そしてまた、そのような男を配下においている劉ヨウに対しても、その不信感は拭えなかった。
孫策が劉ヨウを討つのであれば、そのときこそ駆けつけよう、そう思った。
そのために周瑜は用意周到な準備をした。
江を渡っての戦ならば船がいる。兵がいる。食料がいる。
あの孫策のことであろうから、その配下の兵も一層増える事であろう、と考えている時ふと、自分が微笑んでいることに気が付いた。
「待っていてください、ようやくあなたの元へはせ参じるときが近づいてまいりました」
何時の間にか口に出してそう呟いていた。
「・・・なんだかんだいって、戦が好きなのかな、私も。伯符さまのことを言えないな・・」
そういって苦笑する。
「だが、伯符さまのための戦であれば、立ちふさがる者は叩くのみ」
周瑜は覚悟を決めた。
孫策の独立への時が近づいていた。