呉景と孫賁は、入城した孫策たちを出迎えた。
「よく来たな!」
「ご無沙汰しておりました、叔父上」
呉景にうやうやしく拝礼する孫策を見て、孫賁は声をかけた。
「聞いていたより兵の数が増えているな」
「ああ、兵を募りながら移動してきたんだ」
「袁将軍から命令がきている。伯符、俺達は今後おまえの指揮下に入る」
呉景はそう言った。
「叔父上」
孫策は複雑な顔をした。
「袁術の命とはいえ、そうはいっても名目上だけです。実際の部隊の指揮は叔父上が採られるがよろしいかと」
呉景は孫策の顔を見て少し笑った。
「なに、俺に気を遣うことはない。いまや孫家の跡取りはおまえだ。俺は義兄上について出仕したのだから正統な跡取りであるおまえに従わない道理はない」
その脇で、孫賁は口を開いた。
「俺も同じだ。一年もかかって樊能やら張英らをうち破れぬ程度の将でしかない俺を遣ってくれるというのならば、だがな」
その物言いがいかにも孫賁らしい、と孫策は苦笑する。
「まさか。伯陽ほどの戦上手が何を言う。兵力の問題であったのさ」
孫策はそう言って笑う。
そして再び呉景の方に向き直り、口調を改めた。
「ではそうさせていただく。叔父上の兵力を併呑し、一気に樊能・于糜らを叩く」
孫策が広間から出てくると、隣の間に呂範が控えていた。
「あいつは?」
「公瑾殿のことでしょうか。彼なら今陳子烈と話をしておりますが」
「そうか」
「本当に使い物になるのでしょうかね?」
「子烈か?・・・公瑾がそう言うんだからまちがいないんだろう」
「・・・殿は随分と公瑾殿に肩入れをなさるようだ」
「・・・おまえはあいつが気に入らないのか?」
「そうではありません。ただ・・・」
周瑜が孫策を字で呼ぶのを良く思わないものがいる、というのである。
「おまえまでそんなことを言うのか」
「私はそうは思いませんが、まだ誰も公瑾殿の武勇を見ていません。だからきっと舐められているのだと思うのです」
「ふむ」
「それに・・・」
時折、孫策がじっと周瑜を見ているさまは、まるで恋人を見るかのようだな、とも思った。
それゆえにおかしな噂を流すものもいるという。
呂範はそういう者の口を塞ぎ、ことごとく罰していたのだった。
それを聞いて孫策は笑った。
「それは俺に女っ気がないからだろう。あれだけの美貌が傍にいては仕方がない。俺でなくても噂にはなるぞ」
肯定も否定もしなかった。
呂範は多少複雑な思いにかられながらもそれ以上は追求するのをやめた。
周瑜公瑾という男を呂範は誤解していた。
軍にいて目立つことこの上ない美貌の主は、歴陽城に入ってからなおも一層人の口の話題にのぼることになった。
陣中にあっては兵を気遣い、城にあっては部下をねぎらう。
城下にでても、民らに気さくに声をかけ、村娘たちは頬を染めながら拝礼する。
初めにあったとき、冷たい美貌だ、と思った。
しかし、彼を知れば知るほどその人柄に強く惹かれた。
おそらく孫策もそうなのだろう。
そんなことを考えているうちに回廊で陳武と共に歩いてくる周瑜と会った。
「・・・子衡殿」
「公瑾殿、お話は終わったのですか」
「ええ。これからちょっと閲兵に」
周瑜の後ろで大きな体をすこしかがめて彼の言う言葉を一言も逃がさず聞き取ろうとしている陳武の様子が少し滑稽だった。
「・・・閲兵?」
「伯符さまのお許しをいただいたので、ね」
にっこりと笑ってその場を去っていく。
過ぎ去った後にかすかに花の芳香がした。
横江津へ進撃を開始した孫策軍の数は六千を超えていた。
「このまま横江津へ直進して突破、その勢いをかって当利口へ攻め込む」
孫策はそう言うと、陣頭にたって指揮をした。
その戦いの最中、呂範は陳武がいないことに気がついた。
「子烈は?」
隣で馬を駆る呂蒙に訊く。
「なんでも別働隊を指揮しているようですよ」
「別働隊?」
「公瑾殿の指示だそうです」
呂範は怪訝な顔をした。
別働隊だと?なんの意味があるのか。
呂範はふと前方を走る周瑜の背を見た。
「何を考えている・・・?」
その理由をすぐに呂範は知る事になった。
横江津での戦闘の最中、敵陣から怒声が上がったのだ。
「な、なんだ!?」
他の武将達が戸惑っているなか、孫策がニヤリと笑う。
「子烈め、意外に早かったな」
「子烈?」
そばにいた程普がそう問う。
「ああ、陳武に精鋭百騎を与えて敵の背後をつき、営倉を襲わせたのだ」
「おお、そうでありましたか!さすがは殿!」
程普は手放しで褒めちぎった。
「あれは公瑾の献策だ」
「公瑾の・・・」
程普は前線で剣を振るう周瑜を見た。
「よし、正面から突破するぞ!皆、ついて来い!」
「おお!」
敵の宿将、樊能・于糜が捕らえられると、その兵達は次々と投降した。
孫策は彼らを罰することなく自分の兵と同様の待遇を持って招き入れた。
また、軍を去る者に対しても容赦した。
そういったことから、ここでの孫策の評判は上がり、兵の数も膨らんでいった。
「樊能らをなぜ殺さないのか?」
という者がいた。
孫賁である。
「敵の将を生かして置いても意味がない。奴らは我々に寝返る気なぞないぞ」
それに対して孫策はこう言う。
「俺の目的はあくまで劉ヨウだ。配下武将であるやつらにどの程度の忠誠心があるのか、それを見たい。劉ヨウとやらがどの程度の主であるのかを」
孫賁は意外だった。
彼の知っている孫策は、幼い頃から武門に優れた少年であった。容色も優れて良かったがその性格もさっぱりとしていて将来ひとかどの人物になろうことは容易に予測が出来た。だが、謀略という点ではどうだったか。ましてや権謀術数などという言葉はこの少年にはおよそ不似合いに思えた。
「伯陽、公瑾が言うにな、劉ヨウは劉姓を名乗っているだけあって、土着の豪族に顔が利くんだそうだ。父上から兵は受け継いだが地盤を持たぬ俺がこの江東の地を治めていくためにはそういった豪族たちを支配下におく必要があると考える。だからこの戦で勝ったとしても彼らの反感を買うようなことはしたくはないんだ」
孫賁は孫策を改めて見直した。
とうてい自分の及ばぬところに彼はいる。
このとき初めてそう思った。
「わかった。俺はおまえに従う、伯符。いや、これからは殿と呼ばせてもらおう」
この後、続いて当利口をも落とすことになった孫策の軍はこの地でも敵の将・張英を捕虜とした。
「兵はこれで一万、軍馬を二百頭追加で手に入れました」
孫河が報告する。
「一万か」
孫策は満足したように言った。
長江を渡ったところに牛渚というところがある。
劉ヨウは、樊能や張英らにここの守備を任せていたため、牛渚には砦を置き、主に食糧や武器などを格納しておくための邸閣としての機能を果たしていた。
牛渚を占領して拠点とし、秣陵城を攻める。
それが孫策の作戦であった。
「はるばる曲阿までようこそ参られた。あなたのお名前は孔北海殿からかねがね聞いておりましたぞ。同郷のよしみだ、どうかゆっくりしていって欲しい」
曲阿の城で劉ヨウは客人を迎えていた。
「は・・・ありがたきお言葉、感謝致します」
大柄の男は座ったまま供手した。
鎧をつけたままの姿で立ち上がる。
広間から立ち去る姿を確認して、劉ヨウの側近の男は口を開いた。
「あれが、太史慈子義ですか。思ったより若い男ですな」
「孔融のところにいたはずだが、どうやら出奔してきたらしいな。何があったかしらんが」
劉ヨウは自分の顎髭を撫でながら言った。
「客将としてもてなしてやれ。その間はなにかあれば働いて貰うさ」
「彼を召し抱えるおつもりはございませんので?」
「孔融のところから逃げてきた男を雇うわけにもいかんだろう。そんなことをすれば許子将殿の失笑を買う」
許子将、とは人物鑑定の得意な人物である。彼によって鑑定され、認められれば名声を得られるというものである。
側近は相変わらず体裁を気にする男だ、と思ったが口にはしなかった。
「・・・・・しかし、じきに孫策が長江を渡って攻めて参ります。兵の数も膨らんで、その勢いは留まるところをしりません。それに比べて我が軍には有力な武将がおりません。彼を幕僚に加えられれば・・・」
「ならばそれまで引き留めて働かせればよい」
広間を出た太史慈は軍営に向かった。
彼を案内する小姓は軍営の太史慈に与えられた部屋へ案内だけすると、礼をして去っていった。
「・・・・・」
部屋を見回すが、質素なものであった。
孔融のもとにいたときは、待遇をよくしてもらっていたものだが。
劉ヨウという男は太史慈が思っていたのとは少々違う印象を受けた。
彼が聞いていた劉ヨウの評判とは漢室に忠義の厚い仁義の人ということだった。実際、
戦火を逃れてきた士大夫達を手厚く保護したりしている。
だからこそ立ち寄った。
その人物が自分の目に叶うのであれば仕えてみたい、とも密かに思っていた。
彼が孔融の元にいたのは2年たらずであった。
もとはといえば、彼の母親が青州におり、孔融が世話をしてくれていたためにその礼をせねばならないという気持ちから仕えたのであったが。
孔融という男は北海太守の役についていたが、その統治ぶりは芳しくなかった。
太史慈は昔県で役人をしていたため、北海でも市井をよく覗いていた。
彼が見てきたものと言えば、重い賦役、荒れた土地、袖の下を堂々と請求する役人、そして治安の悪い村々であった。
孔融は孔子の子孫というだけあってその名声は全国に知れている。
書物を良く読み、教養も深い。
だが、ひとつだけ欠点があった。
孔融は理想家だった。
つまり彼の統治は現実的ではないということだ。
それでも太史慈は孔融の危機を救ったりしたが、陶謙に援軍を出したことによって、孔融が曹操と敵対することになった。
戦乱は避けられない。
そしてこの戦乱を勝ち抜く力も、治める力も、孔融にはない、と太史慈は判断した。
それが出奔の理由であった。
孔融を助けるとき、指揮を執っていた劉備玄徳という者から自分に仕えないか、と誘いを受けた。
一緒に戦った関羽、張飛という二人の豪傑の戦いぶりは見ていて胸がすく思いだったが、太史慈はその申し出を丁重に断った。
ちょうどそのころ、彼の母親が亡くなったのだ。
彼は喪に服すつもりでしばらくは誰にも仕える気を無くしていたのだ。
これが己の転機、とばかりに江東へとやってきたのだが、曲阿を通る際、劉ヨウは同郷の士であったことから素通りはできまい、と立ち寄ったのだった。
「俺の勝手な思いこみだったな。だが袁術に脅かされているというのでは放ってはおけまい」
ただの通りすがりのはずの彼の運命はこの江東を舞台に動き出そうとしていた。