(17) 不計



サク融の軍が城を出て、一斉に周瑜たちのいる本陣を攻撃してきた。
于茲という勇猛な武将が名乗りをあげ、突撃を開始した。

程普、韓当らがそれにあたり、奇襲を受けて後退を開始した。

サク融は後詰の将として戦場にでており、これに勢いづいて後退する孫軍を追い始めた。

「もう少しだ、もう少し城から引き離して、取り込め」
周瑜は後方にあって、呂範と共同して陣を構えていた。

サク融の軍が囮である韓当らの軍を追い、懐にはいったところで、朱治の軍が後背をついて取り囲むことになっていた。

獲物が網にかかるのを、じっくりと見守っていた。

呂範が前線から戻って報告をした。
「サク融の部隊に陳武がいる。味方と戦っているようだぞ、いいのか?」
周瑜はそれを腕組みして考えていたが、何事か思いついたように手を叩き、
「よし、私が出よう」と言った。
「しかし、混戦しているぞ、大丈夫か?」
「何、大丈夫。もう少しで包囲網が完成します。そうなれば、陳子烈にも裏切り者の汚名を着せずにすみますからね」
呂範は結局周瑜と共に隊を率いて出ることにした。

辺りは引くものと追う者で乱戦状態になっていた。

その中で、周瑜は陳武を見つけた。

そのときであった。

前方の後退する軍の方からひときわ大きな歓声が上がった。
「・・・何だ!?」

耳を澄ませば、聞こえてくる、孫軍の雄叫び。
だれかが鼓舞しているかのような。

「・・・まさか」
周瑜は青くなった。

「孫策が生きていたぞ!」
「なんだと!?」
「そんなバカな!」
「前を見ろ!あの鬼神のごとき戦いぶりを!」

周瑜は呂範を振り返った。
呂範はうなづいて、前方に向かって馬を飛ばした。

(まさか、伯符さま・・!もう少しで包囲網が完成するというときに!)
 
 

「孫伯符、ここにあり!サク融!貴様の首、この俺が貰った!」
赤銅色の鎧に身を包んだ孫策が陣頭に立って、雄叫びをあげていた。
先鋒の于茲の首級を挙げた孫策は勢いづいて突撃してきた敵をなぎ倒し、後退していた軍はそれにつられて反撃に出た。

サク融はこれに驚き、軍の後退を命じた。
しかし、後詰めの朱治の軍がまだ到着していない。
このままではサク融を再びあの強固な城に居座らせてしまうことになる。
 

孫策が現れたと聞いて陳武も驚いていた。
「どういうことだ!?」
馬上で立ちつくす陳武の元へ、周瑜が馬で突進してきた。
「陳武よ!この裏切り者め!」
周瑜の口から裏切り者呼ばわりされた陳武は呆然となった。
樊能らは戦いながら、陳武を見た。
「この私みずから己を成敗してくれる!」
周瑜は言いながら、陳武へと馬を進めた。
周瑜の剣戟を受けながら、陳武はどうして良いのかわからずにいた。
馬を走らせながら剣を合わせ、周瑜は陳武に声をおとして囁いた。

「おまえはこのままサク融を護って陣の薄い北東にむかって突破し、曲阿に行け。そこで私の合図を待て。よいな!」

陳武は一瞬のことに目を見開いたが、すぐに了解し、周瑜の剣戟を押し返した。

「おのれ、孫策が死んだなどとよくも俺を騙して利用したな!」
陳武は大声で怒鳴った。
「うつけめ!今頃気付いたか!」
周瑜も負けずにわざと大声で返した。

そこへ弘咨が飛び込んできた。

それを合図に陳武は周瑜と別れ、樊能らと合流した。
樊能は「曲阿へ言って劉ヨウ殿と合流しよう」と言った。
「承知!」
陳武は孫軍を蹴散らしながら血路を開いていった。
その戦いぶりに張英も感心して続いた。
サク融は撤退しかかったが、陳武が走りこんできてサク融を誘導した。
そして陳武は先頭に立ち、包囲網が出来る前の陣の薄い所を突破していった。

「逃がすか!」
追ってきたのは孫策だった。
後詰めにいた張英がそのすさまじい剣戟をもろに受けることになって落馬した。
陳武はサク融とともにそれにはかまわずまっすぐに馬を駆けて行った。

 

サク融は友軍を見捨てて自軍の隊のみ率いて曲阿へと敗走していった。

そうして残敵を掃討し、秣稜城は孫策たちの手に落ちた。

時の声をあげ、城にあった食糧、武器をそっくりそのまま手に入れた孫軍は浮かれ、その夜は城で酒宴が行われた。
サク融を逃がすことになってしまったものの、城を落としたことの方が大きかった。
この城下は後々、孫権の時代に建業、と名を変えることになる。
「・・・・」
まわりが浮かれている中、周瑜は一人不機嫌だった。
酒宴にも最初こそ出ていたが、すぐに引き上げて与えられた部屋に入ってしまった。

孫河も呂範も、そして孫策も周瑜の不機嫌の理由が何かわかっていた。
広間で酒を飲んでいた諸将たちはだんだんと酔ってきてバラバラに小さな輪になっていた。
孫策も、程普や韓当たちのそばを立って、孫河と呂範の傍にやってきて座った。
じっと孫策の方をみて、呂範が言った。
「謝った方がよくはありませんか?」
「そうですよ、公瑾のやつ、策を台無しにされて怒ってますよ」
孫策は二人の意見を聞いたが、片手に酒の器をもったまま、
「俺が主だぞ!どうして謝らねば成らん?そういうこともあるさ。あいつはなんでも自分の思い通りにいくと思って思いあがっている。たまにはいい薬だ」
と、苦々しげに言った。 
「本気で言ってるんですか」呂範は絶句した。
「なんだ、なにか文句でもあるのか?」
孫策はじろ、と呂範を睨んだ。
孫河は呂範を手で制し、孫策に向かって言った。
「意地をはらないで、さっさと行って来たらどうです。本当は気になってるんでしょう?」
孫策はチッ、と舌打ちして立ちあがった。
「うるさいな。そんなに言うな。行けばいいんだろう?そのかわり、誰も来るなよ」
 
 


燈篭に灯りを入れて部屋を明るくすると、周瑜は卓の上に地図を広げた。
その地図にじっと見いっていると、部屋の扉の向こうから声がする。
「公瑾、俺だ。入るぞ」
周瑜は振り向いて扉から孫策が入ってくるのに一礼をして迎えた。
「何をしていた?」
「・・・曲阿までの道のりを調べておりました」
周瑜は孫策の目を見ない。
「今宵は祝宴だぞ。そんなことは明日にしろ」
孫策は周瑜の傍までくると、その腕を掴んで引き寄せた。
「・・怒っているのか?」
「当たり前でしょう」
周瑜はするどい目で頭一つ分上にある孫策の顔を見上げた。
「・・・・計画を変更せざるを得なくなりました。子烈には悪いことをしてしまった」
孫策は周瑜の両肩に手を置いて正面からその秀麗な顔を見た。
「あいつなら大丈夫だ。おまえが思っているより賢い男だ」
「・・・・わざと、でしょう?」
孫策の目を見返す。
「わざと、私の策をつぶすような真似をなさって、何が目的だったのです」
「悪かったな」
その悪びれないいい方が、周瑜の癇に障った。
「・・・放してください」
周瑜は孫策の手を肩から払いのけようとした。
「教えてやろうか。どうしてだか」
孫策はのけられようとした手で今度は周瑜の背中を抱きかかえるようにして引き寄せた。
その腕の中に飛び込む形になった周瑜は孫策の胸に両手をついた。
「・・・おまえを困らせたかった」
「なんですって!」
腕の中の周瑜があきらかに憤慨しているのがわかって孫策は苦笑した。
「・・・冗談だ。あの状況で俺が出れば最も敵の士気を落とせ、味方に有利になると判断したからだ」
「・・・・」
それは有る意味、当たっており、有効であった。
あの場に陳武がいて指示を出せたのはまことに幸運であった。
「俺はな、こちゃこちゃとした策なんぞにたよらず、サク融の首をこの手で取りたかったんだ」
周瑜はそういう孫策の秀でた額をみた。
そうだった。
この人はそういう人だった。
「おまえの策は完璧だ。だがそう思い通りにはいかぬことを知るのもよかろう?」
理不尽な物のいい方だ、と思う。
そんな言い訳があるだろうか?
周瑜は首を横に振った。
「ならば、私は伯符さまにとって不必要な者となりましょう」
「そうではない。おまえが策を練ってくれたからこそあそこで俺は出た。そうでなくば俺が怪我をしたときに攻めこまれ本当に負けていたかもしれん」
孫策は周瑜の頬に手を当て、顔を包み込むようにした。
「・・・まったく伯符さまにはかないません・・」
周瑜がため息交じりに言う。
「俺とおまえがいて、はじめて事が起こせるのだ。忘れるな」
そう言うと、孫策は活達と笑いながら唇を寄せ、呆れ顔の周瑜の額に口付けを落とした。


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