(25) 嫉妬


 
 

次の日の早朝、早馬が呉へと届いた。
宣城へとやっていた孫権が山越の不服従民に奇襲されたのだ。
「周泰が重傷を負っただと・・・!」
報せを受けた孫策は一軍を出して、退却してくる孫権たちを迎えにやった。

戻ってきてすぐ孫策の前にひれ伏す孫権は半分泣いていた。
「申し訳有りません、兄上」
孫策は最初こそ怒りを露わにしたが、そのあとは一切の表情を押し殺したように低い声で話し出した。
「不服従民がいることは前にも言ったはずだな。おまえの仕事はそれらの者を平定しつつ城を守ることでもあったはずだ。違うか」
「おっしゃるとおりです。・・・私の油断が招いた結果です。どのような罰でも受けます」
「おまえが逃げるために馬に乗るところまで敵が来ていたそうだな」
「・・はい」
「そのように城の奥深くまで敵の侵入を許すとはな。多くの死人がでたのだろう」
「・・・申し訳有りません」
「運ばれてきた周泰を見たが、血で真っ赤に染まっていたな。息があるのが不思議なくらいだ」
孫権は頭を床につけたまま、聞いていた。
「おまえの服に付いている血は、周泰の血だろう」
「・・・はい」
「やつはおまえの変わりに血を流した。おまえがそれをどうとも思わないようなら俺はおまえを見くびっていたということになる」
孫策は自分の前にひれ伏す孫権の背中が小刻みに震えていることに気付いていた。それでもなお、追いつめるように続ける。
「周泰は死ぬかもしれん。おまえは己の未熟さで大切な臣下を殺すのだ」
「ううっ・・・」
孫権は絞り出すようなうめき声をあげた。
「おぼえておけ、権。国は人が造る。君主は人が支える。臣下に背かれるような主にはなるな。おまえのために皆が血をながすような支配者になるな。皆に尽くされる者になれ。そのためにおまえはもっと努力しなければならないはずだ」
孫策は立ち上がってそう言った。
「周泰を見舞え。おまえはあの傷だらけの顔を見るたびに今日のことを思い出すことになろう。それがおまえへの罰だ」
ふいに扉の向こうに目をやった。少年が一人、心配そうな表情でこちらを向いて座っていた。
思わず口元をほころばせる。
孫権の幼なじみでもある朱然だった。
部屋から立ち去るとき、孫策は小声で朱然に語りかけた。
「あの泣き虫を励ましてやってくれないか」
そう言ってからおどろいた表情で見上げる少年の顔をみて、孫策は我ながら甘いな、と苦笑いするのだった。
 

その足で孫策は周泰を見舞った。
大方の者がもうダメだろうと思っていた。
孫策もそうだった。
運ばれて来たとき、周泰が乗せられていた輿板には血の泉が出来ていて、それが地面に滴っていたのを見ている。
部屋の前には蒋欽がうろうろしていた。
その顔には血の気がない。
「・・どうだ」
「は。先ほど中郎将殿が医者と名乗る男を連れて参りましたが・・・」
「公瑾が?」
孫策は意外な顔をした。
周瑜に医者の知り合いなぞいたのか、と思った。
「公瑾も中にいるのか」
「はい。その男と一緒に入られました。手術中とかで誰も入るなと言われております」
「手術?」

周瑜は華佗に付き添って周泰の手術に立ち会っていた。
助手の青年が手伝っていたので特にすることもなかったのだが、華佗の手術の手際を見ていたかったのだ。
「重傷となる傷が十二、小さいのを合わせると百カ所くらいの傷になるな。致命傷になるものがなかったのは幸いじゃ」
華佗はそう言って止血を始めた。
「先生、それでは、助かるのですね?」
「ああ、それは保証する。だが血が流れすぎたせいでしばらくは絶対安静だね」
「よかった・・・」
華佗はうっすらと笑った。
「しかし、気丈なお方だ。私の手術を見て医学でも学ぼうというのかね?」
「・・・ええ。せめて自分の怪我くらいは自分で治せる程度には」
「なるほど。戦場で他の者に肌をさらせないからか」
「・・・おっしゃる通りです」
「だがね・・・お味方を持たれた方がよろしいぞ。一人で背負い込むにはあまりにも大きな秘密じゃて」
「・・・ご助言として承っておきます」
周瑜は表情を変えずに言った。

助手に後を任せて華佗と周瑜が出てきた。
「公瑾」
「伯符さま」
周瑜はそこに孫策がいたことに驚く。
孫策に華佗を紹介し、華佗は頭を下げる。
「あなたが華先生ですか。お名前だけは聞いております」
孫策は華佗を前にへりくだってみせた。
そして周泰を助けてくれた礼を言った。
「華先生はこのあと江南へ向かわれる予定だということです」
周瑜が言うと、孫策は華佗を引きとどめようとした。
だが、
「せっかくのお申し出、いたみ入ります。ですが、私はまだ修行中の身、病人がいれば其処へいって癒すのが務めでございます。誠に天の采配とでも申しましょうか、私がこの怪我人を見ることが出来たのもこうして旅をしておりましたが故のこと。どうか天の命ずるままに私を行かせてくださいますよう・・」
華佗はそう言って孫策の申し出を断った。
「そうですか、それは残念。しかし此度のことは礼を言わせてください」
「それには及びません。私の仕事は病の者を治すこと。当然のことをしたまでです。それに」
華佗は振り返って周瑜を見た。
「ここへ来て、これ以上ない程のもてなしを受けましたし」
周瑜はそれへ、頭を下げて返答した。
「では先生、どうか周幼平殿の術後をよろしくお願い致します」
「それはむろん」

助手に呼ばれた華佗をおいて、周瑜は孫策とともに部屋を後にした。
「先生によれば周幼平殿はしばらくは絶対安静ですが一月もたてばまた剣を振れるでしょうとの見立てです」
「そうか、それは何よりだ。権も安心するだろう。さっきだいぶ脅かしたからな」
周瑜はくす、と笑った。
孫策は部屋に周瑜を迎え入れた。
「それより、宣城には誰を派遣するのです?」
「山越の動きが最近また活発になってきた。宣城を中心に平定してまわらせる必要があるな」
そう言ってから、孫策は急に周瑜の肩を掴んだ。
「伯符さま・・・?」
顔を近づけられて、呼吸が苦しくなる。
吐息がかかるほど、傍に立たれた。
「夕べ、陳武と何があった?」
「・・・何です、急に」
周瑜は慌てた。
「奴め、おまえを送って戻ってきた途端、会稽の前線へ行かせて欲しいと申し出てきた」
「・・・・」
孫策の言葉にふと昨夜の抱擁を思い出した。
あのときの陳武は非常に己を恥じているようだった。
大きな体を小さくたたみ、何度も何度も謝っていた。
「どうした」
「いえ、何でもありません」
「嘘をつけ。何かあったに決まっている。でなければ急に前線へ行きたいなどという訳がない」
「伯符さまがご心配するようなことではありません」
頑なな周瑜の態度に孫策は苛立った。
「・・・・俺に嫉妬させたいのか」
孫策は真顔だった。
「・・・おまえになにかしたんだ。だから奴はおまえから逃げたがっている」
肩を掴む手に力がこもった。
「言えよ。それとも俺に言えないようなことをしていたのか!?」
「伯符さま!なんということを・・・!」
周瑜は孫策の胸を突き飛ばすように押し戻した。
そのせいで孫策の両手は周瑜の肩から離れた。
次の言葉を探すように、お互いの顔を見やった。
そのうちに孫策は顔を逸らせた。
「・・・すまん」
頬が少し赤い。
「おまえと再会してから、俺は・・・少し変なんだ」
周瑜は孫策の横顔を見ながら、少し考えて、口を開いた。
「・・・軽く抱擁されただけです。どうしてあんなことをしたのか、自分でもわからない様子でした」
「抱擁?あいつが、おまえを?」
「・・・ええ。私も少し酔っていましたから、急になにが起こったのか自覚できませんでした」
孫策は周瑜を正面から見つめた。
「・・・・おまえを男だと思っているんだろうな」
「そうでしょうね」
「・・・いくら問いつめても話さない訳だ」
孫策は苦笑した。
「まあ、ちょうどいい機会だ。奴を宣城へ派遣する」
「そうなさいますか」
「ああ・・・だが」
孫策は再び周瑜の肩に手をおいて、抱き寄せた。
「二度と奴をおまえの配下にはおかない。おまえの傍にはいさせない」
「しかし子烈は・・・」
「あれには遊撃部隊として働いてもらう。そのほうが存分に力を振るえよう」
「・・・そうですね・・・」
「おまえのためにも、陳武のためにも、だ。・・・あれは悩んでいるだろうな、己自身のことを。だが真実を告げることはできないのだから仕方があるまい」
孫策の腕に力がこもる。
「夕べ俺がその場にいれば、俺は陳武を斬って捨てていただろう」
「・・・・伯符さま」
孫策はつい先ほど自分が弟に説教したことを思い出して、苦笑する。
「私情に流されるダメな主人だと笑ってもいいぞ」
周瑜は孫策の腕に抱きしめられながら、孫策の激情を少しだけ嬉しいと思った。
「しばらくぶりに逢ったからだろうか・・・やけにおまえが恋しい」
孫策は周瑜の髪に触れた。
「おまえは俺のものだ。・・・忘れるな」
今更なにを、とも思ったがこれ以上強く抱かれたら男として生きる決心が揺らぎそうで、周瑜は抵抗せずにそっと目を伏せた。
 
 
 
 
 

(26)へ