(31)謀略


「中朗将殿、どうかなされたのですか?」

陣舎の前でぼんやりしていると、ふいに呂蒙が声をかけてきた。
「ん?いや、別に・・・どうして?」
「いえ・・・なんだか最近の中朗将殿は以前と少し変わられたように思えまして・・・」
「変わった?・・・どう変わったというのだ?」
周瑜は少しいぶかしむように問いただした。
「いえ・・・あの、うまく言えません・・・すみません」
呂蒙はうつむき加減で赤くなって言った。
「・・・?」



周瑜は孫策に呼ばれて居室に行ったとき、呂蒙の言について訊いてみた。
「・・・・」
孫策は傍らの小机に肘をつき頬杖をついたまま周瑜を見つめていた。
「なにか・・・?」
周瑜がそう言って間を詰めて、やっと口を開いた。
「・・・おまえが女になったから、だろうな」
「・・・は?」
意味がわからない、といった表情だった。
孫策は微笑した。
「・・・・おまえは一段と美しくなった」
「・・・・」周瑜は言葉を失った。
「俺が見てもそう思うんだから、他の奴らにしてみればもっと感じるんだろうな」
孫策の言う意味がわかって、周瑜はほんのりと頬を染めた。

周瑜は数日前、孫策に江東の二喬を娶れと、進言した。
それに反発した孫策は交換条件として周瑜自身を差し出せと言ったのだった。
女としての周瑜を、孫策は求めた。
それは二人だけの秘め事であった。
孫策は、彼女がまだ誰のものにもなっていなかったことを確かめたかったのかもしれなかった。

孫策は満足そうに笑った。
いかにも自分が周瑜に影響を与えたといわんばかりの表情だった。
「・・・そのようなことを言われても・・・どうすればよいのか・・・」
困惑する周瑜に孫策は少しきつい口調で言った。
「勘のいい奴ならすぐに嗅ぎ付けるぞ。おまえのその美しさはもはや男のものではない」
「・・・・・・」
「軍袍を脱ぐのなら今だぞ」
「まさかご冗談を」
周瑜は少し怒ったような口調で言い放った。
「怒るな。俺はおまえのために言っているんだ」
「とてもそうは思えません」
周瑜は孫策とは対照的に少しも笑っていなかった。
「おまえは自分のことに疎すぎる。軍の営舎においておくのが不安になるくらい心配してるんだ。子明をなんとなくおまえにつけているのは、あの子なら大丈夫だという気がしているからなんだがな」
「・・・・呂子明をよく伝令に使っているのはそういうことだったのですか」
周瑜は呆れた調子で言った。
「ですが、今更どうにもできません。気をつけますよ」
「・・・・・ああ」

軽くため息をついて、孫策は目線を変えた。
「上繚討伐をエサに劉勲に使者を出されたのですね」
「ああ・・・、乗ってくれればいいんだけどな」
「子敬が少々心配していました。劉曄が劉勲の元に言ったと・・・」
「ああ、聞いた。劉勲の性格からして、劉曄の忠告なんぞ聞かんと思うがな」
「おっしゃるとおりだと思います。ですが念のため手を打っておきました」
「・・・ふん?さすがだな・・・何をした?」
「使者の一行の中に一人、上繚の宗教信仰者を装わせて混ぜておきました。伯符さまに帰順したということにして、上繚の内部情報を劉勲に語らせます。もちろん私の得た情報と虚偽の報告とを織り交ぜてありますが」
「・・・・おまえが敵でなくてホントに良かったと思うぞ」
「私は伯符さまのためにのみ、ここにおります。・・・では失礼いたします」
周瑜は軽く会釈をして立ち上がろうとした。
「・・・・今夜、来いよ」
孫策の誘いの言葉に、周瑜は視線を送っただけだった。



孫策の室を出るとすぐに、呂蒙がやってきた。
「何だい?子明」
周瑜は振り向いた。
先ほどの孫策の言を思い出したのだ。
「いえ、殿から中朗将殿についているように、と言われていますので」
「ふうん。私について何をせよと?」
周瑜は忌々しげにそう言ってふい、と視線を逸らせた。
「いえ、敵の間者が紛れ込んでいるかもしれないので、身辺を警護するように、と」
「・・そう」
「あの・・・中朗将殿」
「なんだい?」
「俺、次の戦から、中朗将殿の軍に加わるよう命じられました」
「・・・ああ、そうなのか」
「頑張りますから、よろしくお願いします!」
呂蒙は不器用に緊張しながらそう言った。
その様子が少し可笑しくて、周瑜は口元をほころばせた。


「彭沢に兵を伏せる」
軍議で、孫策は地図を開いて見せた。
「上繚に向かった劉勲の隙をついてユ城を抜く。俺たちの急襲を知った劉勲は兵を返してくるだろう。それを伏兵で叩く」
よく通る声ではっきりと作戦を語る孫策は自信に満ちていた。
「伯符さま、劉勲の首はいかがいたします?」
周瑜が口を挟んだ。
劉勲討伐の目的のひとつは袁術の兵を手に入れることでもあった。劉勲を手にかければ反発する者もいるであろう。だが劉勲だけを逃がし、残された兵たちを保護するという名目であれば兵たちは自ら投降してくるであろう。
孫策はうなづいた。
「無理に取る必要は無い。取れるのなら取ればよい。だが逃げるものを追う必要は無い。そのような時間が勿体無い」
そこにいた宿将たちは全員うなづいた。
「伏軍の指揮は伯陽、国儀に頼む」
孫策は自分の従兄弟である孫賁、孫輔に向かってそう言った。
「おお!」二人とも声を出した。
「よし、作戦は決まった」
孫策の声とともにその場にいた全員が立ち上がった。
「いいか、この作戦は電光石火、速さが勝負だ。機動力で攻める。日ごろの調練の見せ所だぞ」
全員が激の声を上げた。



作戦は上々だった。
孫策たちはユ城をすばやく落とし、軍を返してきた劉勲を孫賁たちが待ち伏せし、これを叩いた。
ユ城を攻め落とした時、城を守っていたのは李術という男だった。
彼はまだ若く覇気のある男であった。
周瑜が李術に会った時、ある予感があった。

「周中朗将殿、お会いできて光栄です」
李術は脚の先から頭のてっぺんまでじろじろと舐めるように周瑜を見た。
「中朗将殿は実に美しい方だ。あの喬公の娘たちにも勝るとも及ばない」
男に美しい、などという言葉が褒め言葉だとでも勘違いしているのだろうか。この男は。
周瑜は李術に知らぬ間に拒絶感を感じていた。
周瑜は感じたままのことを孫策に報告した。
「はっはっはっは!」
孫策は大声で笑った。
「そうか、そんなにあいつが嫌か」
「嫌、というか、苦手だと感じました。生理的に」
「あいつ、おまえに色目を使ってきたのか?色事が好きそうに見える」
「・・・そうでしょう。聞くところによると李術は館に女を何人も囲っているようですから」
「しかし劉勲がああしていられたのも李術がしっかり支えていたからだ。ああみえて意外にやり手だ」
「私に楽団をくれると言いましたよ」
周瑜がそういうと孫策は膝を叩いて笑った。
「口説きにかかったか!仕方のない奴だな。しかし使い道はあるぞ」
「使い道・・・?」
「ああ。今はおとなしいがあれはきっと裏切るぞ。そういう相だ」
「そのような男にどのような使い道が?」
「俺は揚州を手に入れたい。そのためにひとつだけ形式的に邪魔があるんだ。わかるな?」
孫策は片目を瞑ってみせた。
「揚州刺史・・・厳象ですか」
「当たりだ」
会稽を落とした孫策には揚州を手に入れるために目の上のたんこぶがひとつあった。
それが曹操が帝の名で置いた揚州刺史・厳象であった。
要するに孫策にとって厳象は邪魔だったのだ。
だが、孫策自身が表立って討伐することは帝に逆らうことになる。

「袁術の真似事をするというのですね?」
周瑜が言うのは、昔袁術の傀儡であった孫策が官位のために各地を転戦していたことだ。それをこんどは李術にさせようというのだ。
「エサは盧江太守だ」
周瑜はくす、と笑った。
「伯符さまもお人が悪い」
「でも俺は袁術とはちがって、李術が厳象を攻めたらちゃんと太守にしてやるつもりだぜ?」
「それはそうです。伯符さまは袁術とは違います。それに李術には伯符さまの器はありません」
「あったりまえだろ。あんな奴を使いこなせなくてどうする。裏切れば討伐してやるさ」
そう言ってひとしきり笑いあった。
「そういえば聞いていなかったな。そんな女好きがなぜ二喬を手に入れようとしなかったのだ?」
「・・・彼の言うことでは二喬はまだ幼いのだそうです。もっと熟女が好みなのだそうで・・・」
孫策はそれを聞いてまた大笑いした。
しかし周瑜は笑ってはいなかった。


また戦が始まる。
今度は周瑜の中でもひそやかな戦が始まる。
孫策が妻を迎える。
自分の仕掛けたこととはいえ、その現実はやはり周瑜にとってはつらいものだった。
今、周瑜は事実上孫策の妻であったのだから。





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