(6) 救出


 

海陵の城は以前はもっと黄海寄りにあった。
黄巾の乱の折り、城主が殺され城は落とされ略奪されたあげく火をつけられ陥落した。
いまの海陵城は江都寄りに新しく陶謙が建てた城である。

韓当が率いるのは無地の旗を掲げた義勇軍500である。
城に陶謙がついたのはその日の朝のことであった。
先だって趙cが城に入り、陶謙に会見を求めた。
周瑜は彼に同行し、副官として城に入った。

趙cが陶謙と話しをしている間、周瑜は周りの目を盗んで地下牢への潜入を試みた。
しかし、見張りがいて近くまでは行けない。
周瑜は回廊で会ったこの城の世話係らしき女ににっこりとほほえみかけた。
女は頬を染めながら
「なにかご用はございますでしょうか」と言って近づいてきた。
周瑜に微笑まれた女は例外なくこのようになる。
複雑な気持ちではあったが周瑜としてはこの方がいろいろと都合が良い事が多かった。
周瑜は懐から小さな箱を取り出した。 中に文が入っていた。
「すまないが、外に私の従者が控えているのでこれをその者に渡してくれないか」
「あ、はい。あの失礼ですがあなたさまは・・・?」
「広陵太守様の副官からだと言っておくれ」
「は、はい」
 
 
 

趙cと陶謙のいる広間に戻ると、陶謙は好色そうな顔で周瑜を見た。
周瑜はそのいやらしい視線に悪寒を憶えた。

最初に城に上がった時、陶謙は周瑜を見て舌なめずりをしたのだった。
周瑜が席を立って部屋を出たとき、陶謙の小姓がすぐさま後を追ってきてこう言ったのだ。
「徐州さまがあなたをご所望しております。官位を授けて差し上げますからどうかここを出られたら射陽へおいでください」
さすがの周瑜もこれにはあきれた。
陶謙はもう60に近い年のはず。
見境がないとはこういうことをいうのか・・・と溜息をついた。

「戻られたか。これからいくつか裁かねばならぬ事がありましてな。よろしければご一緒に」
陶謙は立ち上がると扉を開けた。
その向こうは中庭になっており、そこへ兵が並んで立っていた。
見ていると、奥から一人の男が後ろ手に縛られたまま兵に引っ立てられ歩かされて前に出された。
ひどくやつれて顔色が悪い。
それにあちこち衣服が破れてその間から血がにじんでいるのが見えた。
部屋の中の陶謙の正面に見えるところに座らされた男は、陶謙を睨み付けた。

「その男か。袁術の密偵というのは」
「は。呂範と名乗っておりますがそれも本名かどうか」
兵の答えに周瑜は慄然とする。
この男が呂範か。
ちょうど周瑜と入れ違いに孫策陣営に来たので直接逢ったことはなかった。
随分ひどい拷問を受けたようだ。

「拷問をいたしましたが一向に白状いたしません」
呂範をひったてた兵士が言う。
「ううむ。白状しないとあれば仕方がない。殺してしまえ」
陶謙がそう言うと周瑜はあわてて声をかけた。
「お待ちください、陶徐州様」
「ん?何かな副官殿」
「その者、まことに袁術の手のものならば試してみたいことがございます」
「ほう」
周瑜は中庭に自ら降りて呂範の前にしゃがみ込んだ。
呂範苦しそうな表情のまま、周瑜の美貌を見上げた。
「・・・・?」
周瑜はなんとか時間を稼がねばならないと思っていた。

そのとき、奥から兵士が駆け込んできた。

「た、大変です!正体不明の軍勢が城門に殺到しています!」

「なんだと!?」
「当主を出せと口々に叫んでおります!どういたしますか!?」
「どこの兵だ!?」
「そ、それが・・・旗章を取っており、わかりません」

陶謙は困惑していた。

周瑜は振り向き、趙cに目で合図した。
「陶徐州殿、私が代わりに出向きましょう」
そう言って趙cがすっと立った。
陶謙は破顔した。
「そ・・そうですか、あなたが行ってくださると」
「ええ。どこの兵ともわからぬものに徐州殿がお会いになる必要もありますまい。何か要求があるのでしょう。周、行くぞ」
周瑜は立ち上がり返事をした。
「陶徐州様ではこの者、まだ訊きたいことがありますのでこのまま牢に入れておいてください。後ほど詰問します故」
「おお、わかった」
 
 

「なかなか良いタイミングであったな」
との趙cの問いかけに笑顔で「はい」と周瑜は答えた。
「では太守様、私はここで韓当殿を待ちます故」
「おお、あとは任せておけ」
周瑜を城の回廊に残し、趙cは城門へと向かった。
 

「門を開けい!」
趙cの声に門兵は従う。

ところが門をあけたと同時に無旗の軍馬の一隊が城内になだれ込んできた。

「わあっ」
韓当の率いる軍勢は城内に走り込み縦横無尽に走り抜けた。
城内を攪乱することが目的であった。

「義公殿、こちらです!」
韓当は周瑜を見つけ、馬を降りた。
 

一方、趙cは一旦陶謙の元へ戻った。
陶謙は城内に賊が進入したことに驚愕していた。
「陶徐州殿、賊が要求しているのは金銀宝玉とあなたの首だそうです。今すぐお逃げなさい」
趙cは偽りの演技をした。
「な、なんと!?」
「私の副官が申しておりました。先頭に立っている主将を袁術のところで見たことがあると」
陶謙の顔色が変わった。
「え、袁術の・・・!」
「確証はありませんから、くれぐれも滅多なことを言ってはいけませんぞ」
趙cは厳しい顔で言った。
「すぐにお逃げなさい。幸い私は私兵を城門の外に待たせてあります。彼らをいま副官が呼びに行っています。その間に裏門から」
「おお、かたじけない!恩にきるぞ!趙c殿」
そういって陶謙はそそくさと部屋を出ていこうとした。
「ああ、そうだ徐州殿」
「なんだ!?」
「張昭殿のことですが・・・」
「ああ、貴殿が無事に逃げおおせるのならば連れていってもかまわぬ!」
もうどうでも良い、とばかりに言い去った。
趙cはうなづいた。
「まあ、これで解放してもよい、と了承いただいたということだな」
 

韓当と周瑜は見張りの兵を倒して鍵束をうばい、地下牢へ潜入した。
罪を犯した者達がそこにいるはずだったが、もうすでに処刑されたあとなのか、どの牢も空だった。
「誰か!誰かおらぬか!」
韓当が声を張り上げた。
周瑜は牢を一つずつ覗いていった。

「なにやら騒がしいの」

牢の奥の方から声がした。
その声のする牢の前にきて格子を覗いてみると、男が一人座っていた。

「張昭・・・張子布殿であらせられますか?」
周瑜が問う。

「いかにも。儂が張昭だ。おぬしらはどちらの手の者かな?」
「私達は広陵太守趙c殿の命を受けあなたを助けに参りました。どうぞこちらへ」
周瑜は鍵をあけて格子扉を開いた。
「ほう、趙c殿のお使いか」
男はゆっくり立ち上がって扉の方に歩み寄った。
「おお、そうだ。できれば隣の牢の若者も助けてやってはくださらぬか」
張昭は隣の牢を見やった。
韓当がそちらを見る。
「呂範殿・・・か?」
韓当も呂範とは孫策の元を離れる前に数回逢っただけである。
周瑜が鍵を開けて牢の中に入る。
「・・よかった。気を失っているだけです。ですがかなり衰弱している・・・早く手当をしなければ命にかかわるやもしれません」
韓当は呂範を肩に担ぎ上げた。
「さ、脱出しましょう」
 
 

周瑜は呂範を彼の部下に引き渡して先に戻らせ、韓当に孫策の家族が江都を脱出するまでの指揮を頼み込んだ。
「申し訳有りません。今だって宿営を抜けてこられているのに」
「なにそれは構わぬよ。江向いの偵察に来ている事にしてあるゆえ・・・公瑾殿は一緒に戻られないのか?」
「私は・・・・舒に戻らねばなりません」
「そうか。ご母堂の喪中ということでありましたな」
「・・・・」
「いや、1日も早く若の・・・いや、若殿のお傍に行って差し上げて欲しい」

その様子を見ていた張昭は、周瑜の傍に寄り話しかけた。
「趙c殿からお聞きしましたよ、周瑜殿。こたびのことはすべてあなたの立てた策だとか。お若いのに大した御仁だ」
周瑜は張昭の前で一礼し、
「とんでもございません。太守様のご協力なしではとうていなし得なかった事です」と言った。
「そのように謙遜なさることもご存じとは。いやいや、さすがは周家の若様であられますな」
「本当はもっと心ゆくまでお話していたいのですが・・・」
周瑜はずっと話したいと思っていた張昭を前にひどく残念そうだった。
それを察して張昭は言った。
「私はこれから徐州を出て江南の地へ参ります。これからもお会いできるでしょうし、あなたが望むのならいつ何時なりとお力になりましょうぞ」
これを聞いて周瑜の表情はぱっ、と晴れた。
「ありがたき仰せ、いたみいります。それは是非私の主君となられる方が挙兵される時にお願いにあがりたく存じます」
張昭は周瑜の意外な発言に興味を持ったようであった。
「ほう、周瑜殿のような方が主君と仰ぐお方とは一体どのようなお方なのか楽しみですな。それではそれまで自由気儘に過ごすことといたしましょう」
張昭はそう言って、笑った。
周瑜もしずかに微笑み返した。

 

そうして周瑜は再び叔父の待つ家へ、自分にとっては牢獄にも等しい場所へと戻って行かねばならなかった。
 
 
 
 

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