(7) 木蓮


 

「公瑾!どこへ行っていた!」

本家に戻った周瑜を出迎えたのは叔父の怒声だった。

「申し訳ありません・・・」
「おまえがいない間に大変なことになったぞ」

「は・・?大変なこと、と申しますと?」

叔父は広間に周瑜とふたり向かい合って話をしていた。

「先日袁術の使いがきた」
「袁術の・・・・?」

「陸儁殿が危惧したとおりになってしまった。おまえの噂をどこぞでききつけた袁術の配下の者が上申したらしい」
「・・・・」
「おまえを召し出せと言ってきおった」
周忠はいらいらして言った。

「おまえがぐずぐずしておるから、こんなことになったのだ!」

袁術は元南陽の太守であったが、戦乱の中において移動を余儀なくされ、今は寿春を占拠している。
徐州牧の陶謙とは牽制しあう仲であり、陶謙に嫌われた孫策は今袁術により丹陽太守に任命された叔父の呉景のもとへ行っている。
袁家は四代に渡って三公を輩出した名門中の名門である。
その勢力は大きく、いかに周家といえど反故にはできないものであった。

周瑜は黙ってそれを聞いていた。

「・・・・」
「おまけに周尚に官位を授けるといっておる」
周尚、というのは周瑜の父の弟である。

「わかっておるのか?袁術に召し出されると言うことは、後宮に入れられるということなのだぞ!」
「・・・わかっております」
「おまえはわかっておらん。・・・・いいからさっさと着替えてこい。陸儁殿が来られる」
「・・・陸儁殿が・・・?」
「おまえを心配してだ」
 
 

陸儁が来たのは午後になってからだった。

周瑜はいつかのように邑として振る舞った。

「聞きましたよ、邑殿。大変なことになりましたね」
陸儁は周瑜の正面に座り、語りかけた。
「でも大丈夫です。私があなたを守りますから」
「・・・・でも・・・陸県令さま、どのように?」
「私があなたと先約していたことにすればよろしいのです。そうして父のもとへ・・廬江へ参りましょう」
「廬江へ・・・」
「邑殿、私の妻になってください。必ず幸せにします」
周瑜は陸儁を見つめた。
「返事は早めにください。でないと袁家がまた何か言ってくるかもしれませんから」
 
 
 
 

「呂範が戻ったか!」
孫河は部下からの報告を受けた。
すでに韓当からは早馬をもらい、江都から孫策の家族を無事に移したときいている。
孫策には呂範が無事に家族を迎えて帰ってきたことを告げてある。
だが負傷したことを伝えただけであった。
孫河は自分に与えられた曲阿の屋敷に呂範一家を住まわせ、怪我の介抱もしていた。
「拷問を受けたのか」
「ああ、ひどい目にあった」
「しかしよく無事で戻って来れたな。それに韓義公殿の助けがあったとは、誠に運がいい」
韓当は周瑜のことを話すのを口止めされていたので、遠征に来ていた最中にたまたま助けたのだ、と言った。
「ああ、正直よくわからん。どうやって、助かったのか」
「おまえは助けたとき気を失っていたといっておったな、韓義公殿は」
「ああ、しかし・・・よく憶えていることもある。陶謙に合ったとき、その場に一緒にいたやけに綺麗な男・・・」
「男?」
「ああ、なんというのかな、あれは。もしかしたらあの男が助け船を出してくれたのかもしれん」
「ほう・・・どんな男だ?」
「やけに目立っていた・・・女と見まごうような美男で、色も白く・・・」
孫河はそれを聞いて心当たりが一人しか思い浮かばなかった。
「まさか・・・な」
孫河の脳裏には周瑜の白い貌があったが、彼は故郷にいるはずであった。
 

孫策は呉景らとともに丹陽の城にいた。
従兄弟の孫賁は袁術に命じられて九江へ遠征中であった。
このとき、実質孫軍の実権は呉景が握っていた。
「なあ、景兄。袁術のとこへ挨拶に行くとき、何か気をつけることはあるか?」
「おまえは気が短いからな。できるだけ殊勝にしてろ」
「そう言われてもなあ・・・」
「それよりおまえ、この地での募兵はどうなっている?」
「ああ、まあ、数百ってとこだよ。賁兄が袁術なんかに部曲を預けたりしなきゃあなあ・・・・」
孫策は暗に孫賁を攻めた。
「ばか。今のおまえに三千もの兵を食わしていけるだけの余裕がどこにあるんだ」
「若、今が我慢のしどころですぞ」
そう孫策に言ったのは朱治であった。
朱治は父の代から仕えてきた子飼いの武将であり、 呉景の元へ残っていたのである。

「戦!戦がしたい!」
物騒なことを口走る若者を、朱治は笑ってみていた。
「孫家の男児はやはり勇ましいですな」
「俺は、手柄を立てて官位をもらわねばならないんだ」
「ほう?」
孫策らしくないこの発言に呉景はそのわけを訊いた。
「・・・別に!そうやって一人前にならないと兵もあつまってこないだろ?」
「ふうん?」
孫策には何か考えがあるのだろう、とは思うがあえてそれは訊かなかった。

孫策には決心があった。
出世して力をつけて、周瑜を迎えにいくのだ。
それには戦に勝って、名を上げねば成らない。

呉景は丹陽太守の任についたことへの報告を兼ねて、寿春の袁術の元へ孫策を連れていくことにしたのだった。
 
 
 


「陸家との婚姻が決まったということはきちんと報告した。だが、今度はそれを逆手に取り、祝いの品を用意したからおまえに取りに来いと言うのだ」
周忠は怒りに震えながらそう言った。
「叔父上、落ち着いてください」
周瑜は冷静だった。
「とにかく一度お目通りすれば良いのでしょう?」
「馬鹿者!ただで帰れると思っているのか!おそらくなんだかんだと引き留めてはおまえを拉致して後宮に入れてしまうつもりだ」
「私を拉致、ですか」
「そうだ」
周瑜は女らしからぬ声で笑った。
「それはなかなか面白い」
「笑い事で済むか!」
「・・・叔父上、あまりお怒りになっては血が頭に昇ってしまいますよ」
周忠は人ごとのように言う周瑜に怒りを通り越して呆れていた。
「おまえは・・・自分の価値がわかっておらぬのだ。我が一族ながら贔屓目に見ずとも、おまえがその気になればどのような権力も富も手に入れることができようほどの器量を持つというのに」
「叔父上、ご心配には及びません。袁術のもとへは参りますがちゃんと戻ってくることをお約束致します」
「しかし・・・」
「ご心配でしたら陸儁殿に一緒にきていただくというのではどうでしょう?陸家の護衛をつけてもらえるでしょうし」
「おお、それは良い。是非そうしよう」

周瑜は話が終わると立ち上がり、庭に出た。
輿入れ先がこれで決まったようなものだ。
母親の喪が明けるのを待って、嫁ぐことになるのだろう。

ふと、目を止めると庭にある白木蓮が蕾をつけていた。

「私が嫁ぐことを知ったら・・・あの方はどうなさるだろう?」
周瑜は白い花を見ながら呟いた。

「それとも・・・もう私のことなど忘れてしまったかな・・?」
知らず知らずのうちに周瑜は苦笑していた。

「・・・木蓮のような花に生まれたかったな。そうすれば手折られることもなく・・ただ咲いては散るだけだったものを」

周瑜はしばらくそうして立っていた。
 
「楽天知命、故不憂ー・・・か。じたばたしたところで、仕方が無いか・・・」 
 
 
 
 

(8)へ