(16)恫喝


呂蒙が周瑜の邸を訪れたのは、徐盛が出発した翌日であった。

胡床に腰かけた周瑜を見て、呂蒙も徐盛同様ほっとした。

(良かった…この前よりずっと顔色もいい。それになにより表情が穏和になられた気がする)
呂蒙は周瑜の身の上の事情を知らないので、病が少し良い方に向かっているのだと思い、安堵した。

「そうか、徐文嚮は行ったか」
「はい。いくぶん寂しそうな様子ではありましたが、彼のことです、手柄を立てて帰ってくるでしょう」
「そうだな」
二人の前の卓には小喬が入れてくれた茶が置かれていた。
お互いにそれを手に取ってすこしずつ啜る。

呂蒙はずっと気になっていたことを切り出した。
「あの、公瑾殿」
「ん?」
「その…この前、俺が来た時のことなんですが…」
「…ああ、私が江で泳いだ時のことか」
泳いだ、とは何とも都合の良い物の言いようだが、呂蒙はあえて否定しなかった。

「あれからどのようにお過ごしだったのか、伺ってもよいでしょうか」
周瑜は呂蒙に本当のことを言っていない。
あの徐盛が言うとも思えぬ。
彼に真実を告げたところでどうなることでもない、ということくらいわかっているだろう。
万が一にも呂蒙が真実を知ったところで悩みがひとつ増えるだけだろう。
そんなことをしているより彼にはもっとやるべきことがあるのだ。

「普通に過ごしていたよ。ただ、食事の際の酒は控えている。小喬がうるさいのでね」
そう言って周瑜は笑ったが、呂蒙は笑っていなかった。
本気で心配していたのだろう。
真顔の彼を前にして、ふざけるのをやめよう、と周瑜は思った。
「…あのときは本当に…自分でもどうかしていたとしか思えないんだ。今思えばあれも病のひとつだったのだろうね。病は気の持ち様からというが、本当にそうだと思うよ」
「あの時の公瑾殿は…普通じゃありませんでしたよ、本当に」
「随分取り乱していたしね。おまえも吃驚しただろう」
「ええ、そりゃあもう」
「…もう、あんなことはしないよ、二度と」
それを聞いて、呂蒙はほっとした。
「では今はもう、大丈夫なんですね?」
「うん。あのときはありがとう。心配かけたね」
素直な周瑜を少しも疑わず、呂蒙は心から安堵した。
(良かった、お元気になられて)



「そういえば魯子敬の見舞に行ったとか。様子はどうだった?」
「ひどい有様でした。顔も青黒く痣になっておりまして、体中が痛むと。ですが幸い、腕や足は折れたりはせず、命にかかわるような大きな怪我ではなかったとのことでした。魯子敬殿が言うには、相手も手加減したのだろう、と」
「ふむ。ではしばらくは療養を余儀なくされるわけであるな」
「そうなると思います。魯子敬殿の仕事は従事職ですので当面は厳曼才殿が兼務されることになったようです」
「そうか…まあ、今は大きな戦もないのが幸いか」
呂蒙は飲み終えた茶器を卓に置いて姿勢を正した。

「ところで、公瑾殿にはこたびの魯子敬殿の件について何か考えがあるとか」
「うん?ああ、文嚮に聞いたのか。そういえば犯人の目星はついたのか?」
「いえ、まだですが…」
「誰がやったにせよ、問題は魯子敬が嘗められているということだな」
「……」
呂蒙は自分が思ってもいなかったことを周瑜が指摘したことに驚いていた。
たしかに下士官に闇討ちされるなど、上官としては恥ずべきことである。
「だから同情はするが魯子敬にも原因がある」
周瑜は口元を少し歪めながら笑うように言った。
「そう…ですね」
「周りがどう思おうと己を貫くという姿勢は見上げたものだが、まったく理解されぬままでは人の上には立てぬ。魯子敬は単なる文官ではなく一軍を指揮する立場でもあるのだからね」
「…おっしゃるとおりです」
これでも将軍と呼ばれる身であるが、周瑜の前に出れば一介の書生のように委縮してしまう。
それほどに、この人は考えが深い。
「…自分は、犯人を突き止めることばかり考えておりました。でも、魯子敬殿の方にも問題があるとすればそちらをなんとかしないことには、真に解決したことにならないのですね」
呂蒙の言葉に周瑜は頷いた。

周瑜は呂蒙が伏し目がちになにかを言いたそうにしている様子を見て取った。
「なにか、まだあるのか?」
「は?」
「この一件で、まだなにか知っていることがあるのだろう?」
「あ…いえ」
呂蒙は口ごもって、なかなか答えなかった。
さすがの洞察力だ、と呂蒙は舌を巻く思いだった。
「ふぅん?」
周瑜は挑発的な目で呂蒙を見た。
「なるほど」
「え?」
「まあ、いい。おまえが何を知っているかは知らぬが、ここで言っても私を悩ますことがひとつ増えるだけだと思っているのだろう」
見透かされている、と呂蒙は思った。
「私も見くびられたものだ」と周瑜は笑った。
「そんなつもりでは…」
「おまえが答えようとしないのは、自分でそれをなんとか解決しようと思っているからだ。そうだろう?」
「…はい」
「それで、解決できそうなのかね?」
「…わかりません。今のお話を聞いて、どうすればいいのか、また迷っております」
呂蒙は意を決したように、口元を引き締めた。
「実は、魯子敬殿から託されたものがありまして。諸葛子瑜殿からの竹簡なのですが…、そこにどうやらこたびの犯人の主犯格と思われる者の名が書かれていたのです」
「ほう」
周瑜は興味を持ったようだった。
「なぜ諸葛子瑜殿がそのようなことをご存知だったのか」
「どうやら魯子敬殿に反感を持つ者たちの集まりに参加した者のうちの一人が、魯子敬殿を襲撃するという話をしていて恐ろしくなったとのことで、上司に相談したことから諸葛子瑜殿のお耳に入ったようです」
「なるほど。諸葛子瑜殿は魯子敬に警告していたというわけか」
「少し、遅かったようですが…。もう少し早くに知らせてもらえれば護衛をつけたのに」
「過ぎてしまったことは仕方がない。だが仲間内に裏切るものが出たということは、露見するのも時間の問題だな。もはや伏せておくことは難しいだろう。しばらく泳がせておいてはどうか?向こうから尻尾を出すだろう」
「…そうですね。ですが、私が心配しているのは、犯人がわかって魯子敬殿にいらぬ疑いがかかっていることが殿の知るところとなった時、魯子敬殿がそれで収監されるようなことにならないかということなのです」
呂蒙がもっとも気にしていたのはつまるところ、そこなのである。
周瑜は呂蒙の心配事を見透かしたかのように、言葉を紡いだ。

「実は、先日殿に書簡を送ったのだ」
「え、殿に…?」
「うん。私もこのとおり、今の仕事を続けるのには支障があるからね。私の後任について殿に上訴したのだ」
「後任ですって!?そんな…!」
「何かおかしいか?」
「いえ、後任を決めるには早いと…思います」
「そんなことはない。北に曹操、西に劉備という問題ごとを抱えているのだ。いつ有事が起こっても対処できるようにしておかねばならない。今、戦が起こってもこんな体で私は指揮を執れないからね」
「…それはそうですが…」
そこまで言って、呂蒙ははっ、と気付いた。
それこそが、周瑜が自分に任せてほしい、と言っていたことの本質なのではないか。
「もしや、後任に魯子敬殿を?」
周瑜は頷いた。
周瑜がそのように上訴したのであれば、この一件が露見したといえど、魯粛にかかる疑いは晴れたといっても過言ではない。少なくとも収監されるようなことにはならないはずだ。
「…しかし、いまのこの状況で、皆が納得するでしょうか」
「問題はそこではない。私が上訴して殿に願い出た、という事実が重要なのだよ」
「たしかに、公瑾殿が直接殿に願い出たということであれば、反対する者はいないでしょう。ですが武官の中には不平不満がでるやもしれません」
「そういう連中を黙らせるのはおまえの役目だよ」
「は?自分が…ですか?」
呂蒙は目を丸くした。
「本当はね、私はおまえを後任に充てたかったのだ。だがおまえはまだ将軍職について日が浅く、文官共に付け入る隙を与えてしまう。それではおまえ自身の裁量が生かせないだろう」
「…ですが、俺、いや私には別段魯子敬殿に含むところはありませんが、その後事には賛同しかねます」
「ほう?なぜだね?」
「魯子敬殿が何かにつけて劉備側にいい顔をすることです。あの方が後任となれば、軍の方針は劉備と同盟を結ぶ方向に動くでしょう。俺にはその意味がわからないんです」
「無用な争いをしないように、だろう」
「こっちがそうでも向こうはそのつもりじゃないかもしれない。いいように利用されているようにしか思えません」
呂蒙は前傾姿勢になって激昂した。
周瑜はその呂蒙を手を掲げて、まあ、落ち着け、と制した。
「ではおまえが利用されないように注意すれば良い」
「それはそうするつもりです、しかし私には指揮権がありません」
「魯子敬は私の権限と軍を引き継ぐことになろう。だがいざ戦となれば殿はお前に直接命を下すことになる」
「そ、そのようなことも上訴なさっているのですか」
「当然だ。魯子敬は劉備とは争わないとしているのだろうが、私は違う。できれば荊州の一部を貸し与えるなどせずとっとと追い払ってしまえばよいと思っている」
「それには同感です。ならばなぜ…」
「私にはそれだけの時間がない。そして同じ考えのお前に後事を託すことも、先の理由で今時点では難しい。かといって他に推挙できるだけの武官も文官もおらぬ。用は時間稼ぎだな」
呂蒙は眼を伏せる周瑜を見た。
「それに仁姫の件もある。殿もお辛い立場なのをわかってさしあげねばな。魯子敬はそういうこともちゃんと考えているんだろうよ」
「…はい」
そうだ、劉備勢力への懐柔策として彼に嫁いだ姫のこと。
孫権が可愛がっていた妹姫。
彼女の安全を考えるとたしかに劉備と戦になるのを孫権は好まないだろう。

「いつか、呂子衡殿に言われたことがある。私はずいぶん好戦的に見えるのだそうだ」
「は?」
周瑜が唐突に話を変えたので、呂蒙は少々戸惑った。
「…あ、すいません。ですが、軍人というものはそういうものではないでしょうか」
「うん、国のために戦のことを第一に考える」
「普通ですよ」
「魯子敬という人は少し違うんだ」
「…根っからの軍人じゃないってことですか」
「まあ、そうだね。私が思うに、彼は戦はしないに越したことはないと思っているんだよ。それは私も同感だがね。だがどうしてもてっとり早い方に考えが動くものさ」
「それが軍というものです」
「だが戦ばかりやっていると国は疲弊する。そのために国土を広げて新たな国力を得ようとするのだ」
「勝てば…という話ですよね。負ければ悲惨です」
「ああ、そうだね。負け戦は国を滅ぼす。赤壁の大戦のあと、曹操を撃退はしたが物資や船、そして多くの兵を失ったことは事実だ。魯子敬は回避できる戦はできるだけ回避して少しでも国力を回復したいと思っているのだろう」
「…それが劉備を擁護する理由、ですか」
「あくまで私の考えだがね。魯子敬は少々偏屈なところがあるから自分の本心をあまり言いたがらないが、彼は劉備などよりもずっと民のことを考えている人なのだと思うよ。そういう意味では広い視野を持っている人だ」
「公瑾殿は魯子敬殿のことをよくご存知なのですね」
「良く知らない者を推挙したりはしないよ」
周瑜は微笑して言った。
「だからおまえも彼のことを悪く思わないでほしい。人にはそれぞれの信念があり、やり方があるということだ」
呂蒙は目を伏せて、頭の中で周瑜の言葉を反芻した。

「ものは考えようでな。こちらも二つの勢力を一度に相手にすることは難しい。だからせいぜい魯子敬にはがんばって劉備を抑えてもらい、その間にこちらは曹操に相対すればよい」
「うまく調整していけと?」
「そういうことだ。少なくとも魯粛が指揮している間は劉備との間に戦はさせぬだろうし、彼自身そのように努力するだろうからね。だがそうやってこちらが下手にでると大抵、相手は増長するものだがね」
周瑜はニコリと笑った。
「やがて、私が思っているとおりならば、彼らは蜀を目指すだろう。そうなっても荊州を手放さぬとなれば今度こそこちらも本腰を入れねばならなくなる」
「蜀…というと益州を落とすつもりだと?」
「そうだ。そして天下を三つに分けるつもりなのだろう、あの男は」
周瑜の言うあの男、とはもちろん劉備のことではなく、諸葛亮のことだろう。
諸葛亮-。
呂蒙の脳裏にあの脊の高い、飄々とした姿が浮かび上がった。
思えば、あの男が来てからというもの、周瑜の身の上に様々な災禍が起こったようなものだ。

「…すいません」
呂蒙は謝った。
「俺に、もう少し力があれば、少しはあなたのお役に立てたのに…。悔しくてなりません」
「子明」
「俺にお任せくださるのであれば、魯子敬殿の言うことなぞ聞かず、とっとと劉備を追い払ってしまうのに」
呂蒙は自分の両手を見ながら言った。
その様子を見ながら、周瑜はふっと目を細めた。
「今におまえの出番が来る。それまでは魯子敬を補佐してやってくれないか」
「…はい」
「今も濡須口あたりで小競り合いが続いているだろう。そのうち向こうも本腰を入れてきたら劉備どころではなくなる。…というより、曹軍はその機会を伺っているやもしれん。その逆もしかり、こちらが隙をみせれば劉備とていつ牙をむけてくるやもしれぬ」
「どちらにも孫呉の背後を取らせるつもりはありません。時と場合によっては劉備と結んで曹操を、曹軍と結んで劉備を討ちます」
「すごいね、今からそんなことを考えているんだ」
「名より実です。なんと言われようと、最後に勝てばいいのだと赤壁で思い知りました。なりふり構っている場合でもありませんから」
「期待しているよ」
その笑顔には、呂蒙は逆らえない、と思った。

「…それで、あの、公瑾殿は…このまま隠棲なさってしまわれるおつもりなのですか?」
呂蒙がおそるおそる訊いた。
「さて、それは天の定めによるところか」
周瑜ははかなげに笑った。
「もはや私の出る幕はないよ。おまえはおまえの信じる道を行けば良い」
「公瑾殿…」
「今日、ここでおまえに会えてよかった。おそらくはもう、この後会うことはないであろう」
「えっ…?」
呂蒙は思いもかけぬ周瑜の言葉に、思わず声をあげてしまった。
「私は療養のためにこの後都を離れる。洞庭湖の方へね。そうしたらもうこちらへは戻っては来ないだろう」
「ど、どうしてそんな…!快方に向かわれておられるのでしょう?」
呂蒙は思わず胡床から立ち上がった。
周瑜はゆっくりと首を横に振った。
「自分のことは自分が一番よくわかっている。私はもう、殿のお役には立てないだろう」
「お、俺は、あなたが必要です!まだまだ、教えてもらいたいことがたくさんあります!どうか、そんなことを言うのはやめてください…ッ!」
必死の形相の呂蒙に、周瑜はフッ、と笑った。
「おまえはもう立派にやっているじゃないか。私の教えることなぞ、もうないよ」
「嫌です…!行かないでください!療養なら都でもできるじゃありませんか」
「子明…困らせないでくれないか」
呂蒙は自分が駄々をこねる赤子のように周瑜に甘えていることを自覚している。
孫策の側仕えとして従軍するようになって、周瑜と出会い、師とも仰ぎ尊敬してきたのだ。
「おまえは殿の信頼も厚い。私に代わって殿をお守りしてくれ」
呂蒙は、周瑜が軍に身を置く者として、このまま都にいれば余計につらい思いをするということもわかっていた。

「…ずるいです公瑾殿…」
嗚咽のまじった、絞り出すような声で呂蒙は呟いた。

「何のために戦うのか、と問われたことがある。魯子敬ならば国と民のため、と答えるであろう。・・・私はそんな彼がうらやましいと思ったよ」
「なぜです?殿、ひいては孫呉のために戦ってこられた公瑾殿だってご立派です」
「…私の戦は歪んでいる」
「歪んでいる?」
「そもそもの出発点から歪んでいるんだから、仕方がない」
呂蒙はその言葉を、周瑜が女だということを隠してきたことを指すのだ、と勝手に解釈した。
「…でも、公瑾殿は誰が見ても立派に務めを果たしてこられました。そんなふうにおっしゃらないでください」

周瑜は意地悪そうに微笑んだ。
自分が孫呉のために戦ってきたのは事実だろう。だが、本心は別のところにある。
思わず口走ってしまった今の言質を、呂蒙はいい方に取ってくれた。
呂蒙の心遣いが嬉しかった。それこそが呂蒙という人の美徳なのだ。
だからこそ-。

「そう。私は武人として生きてきた。数多の戦場を駆け、血を流してきたのはすべて孫家のためだ。それができぬとあれば死んだも同じだ。そうであろう?」
呂蒙は返す言葉がなかった。
病ならばきちんと治して復帰してもらえたらいいと思うのに、周瑜はそうしない。
それほどに、重い病なのだろうか…。
そして、軍を辞めるということは、本来あるべき姿に戻るということでもある。
それは喜ぶべきことなのではないのだろうか。
だが、呂蒙の心中は複雑だった。

「子明。あとを頼む」

周瑜の言葉に、呂蒙は目を見開いた。

これきり、もう会えないのだろうか?
本当に?
今にも泣き出しそうになるのをぐっとこらえた。
今、自分はしなければいけないことは-
この人が安心して療養に専念できるようにすることだ。

「はい…お任せください、周将軍」
振り絞るように、声を出した。

呂蒙の言葉を聞いて、周瑜の涼やかな目元が緩み、紅梅のごとき紅唇から笑みが漏れる。
それとは対照的に呂蒙は唇を真一文字に結んだ。
その噛みしめる口の中に何か苦いものが混じったような気がした。




その頃。
「甘興覇殿、折り入ってお話がございます」
「ん?」
城下で甘寧に声をかけてきた者がいた。
「某は徐顧と申します。都官従事の副官をしております」
「その副従事殿が俺になんの用だ?」
甘寧はいぶかしげに振り向いた。
「魯子敬殿のことです」
「ああん?話がみえねーんだが」
「魯子敬殿は病などではございません。彼は天誅を食らったのです」
徐顧の話を聞いて、甘寧は面を引き締めた。
「どういうこった…!?」
「周将軍の暗殺未遂の罪により、です」
「…そんな噂、信じてんのか」
「噂?真実でしょう」
甘寧は顎に手をやって、胡散臭そうに徐顧を見た。

「…で?俺にそんなこと伝えてどうしろってんだ」
「しばらくはこれで魯子敬殿は登城しません。反対する者もいませんから、周将軍に代わって、あの策を甘将軍に実行していただきたいのです」
「それは俺の決めることじゃねえ。お門違いもいいとこだ」
「そこは、甘将軍が殿に上訴なされば…」
「おめえ、なんか勘違いしてんじゃねえか?」
甘寧は徐顧の言葉を遮るように言い放った。
「戦ってのは一介の兵の私利私欲のためにするもんじゃねえんだよ。んなこたぁ、野盗盗賊の類のするこった」
「私利私欲などではない!病床の周将軍の意思を継ごうとしているだけです!」
「それこそ余計な世話じゃねえか。おめえは何か?周将軍の後継者か何かか?あの人の意思を直接でも聞いたことがあるのかよ?」
「そ、それは…」
徐顧は思わぬ反撃を食らってしどろもどろになった。
彼の計算では甘寧はうまくこの話に乗ってくれるはずであった。
甘寧は腰に帯びていた剣をスラリと抜いた。
「わっ…、な、何を…」
徐顧は目の前に剣を突き付けられた。
「てめえ…魯子敬をどうのこうの、言ってたな。もしかして本当に闇討ちなんぞしやがったってのか?ああ?どうなんだ?」
「ひぃっ…」
徐顧は甘寧が短気で、よく人を殺すという評判をきいていた。
だがさすがに士官には手を出さないだろう、と思っていた。
「てめぇは国のことより私欲を優先させたってのか。それが真実ならてめぇのような兵はいらねえんだよ」
甘寧は凄みをきかせ、剣を一閃させた。
「わぁっ!」
徐顧は間一髪で切っ先をかわし、後ろに尻もちをついた。
そしてそのまま踵を返し逃げ去って行った。
甘寧は舌打ちし、剣を収めた。
「なんてこった。ちっと戦がねえと兵の士気も質も落ちるもんなんだな」

それにしても、気にかかる。
本当に魯粛は闇討ちにあったのだろうか。
病と称して登城してこないのは事実だ。
「……」
甘寧は眉間に皺を寄せ、険しい表情のまま歩いて行った。



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