(20)面影
いよいよ明日出発、という時になって不吉な報せが周瑜のもとに舞い込んだ。
報せを運んできたのは周峻だった。
彼は、彼の従弟である周循、つまり周瑜の息子の様子を見に行こうと、小喬の姉の元を訪ねたのであった。
周瑜が療養に出立するにあたり、小喬は息子を姉の元へ預けていたのである。
すると、彼が訪ねたときには気丈に振舞っていたのであったが、帰ろうとする段になって、熱を出して倒れてしまったのだと言う。
医者が呼ばれ、寝かされたのであったが、うわごとに母親を呼ぶので、彼は周瑜邸に戻って報せにきたというのだった。
周瑜は動けぬ自分にかわって、今すぐ循の元へ行くように、と小喬に言った。
彼女はすぐさま姉の邸へと向かい、容体が落ち着いたのを見計らって戻ってきたのは翌日の昼だった。
おそらく一晩中看病していたのだろう、憔悴したように見える彼女を気遣い、出立を一日延ばした周瑜だった。
「すみません、旦那様…」
眠っていなかった小喬は休むように言われて奥の寝所に下がっていたのだが、夕方になって夕餉の支度のために身なりを整えて周瑜の前に現れたとたん、そう謝った。
「何を謝ることがある?おまえはよくやってくれた。明日また循の様子を見に行ってきてほしい」
「でも…出立が遅れてしまいます」
「そのことだが」
小喬は周瑜が口の端をきっ、と結ぶのをみて、嫌な予感を覚えた。
「おまえはここに残って循の面倒をみてほしい」
「…旦那様、でもそれでは…!」
「珠よ。おまえにしか頼めぬことだ。循は私に良くない部分が似て、あまり体が丈夫ではないのをおまえも知っているだろう」
「はい…」
「大病を患ったことがあるわけではないが、昨日のような小さな病でたびたび寝込むことがある。そのようなときは、決まって私が家をあけるとわかっているときだ」
「…きっと、寂しいのですわ」
「うん、それは私も重々、承知している。私だってできればずっと長く傍にいてやりたい。だがそうもいかぬ。そんなときはおまえがずっと傍にいて支えてくれた。私は何より感謝してるのだよ」
「でも、それでは旦那様がお一人になってしまいます」
「私は大丈夫だ。周峻も一緒にいてくれる。身の回りのことはなんとかなる。だが、あの子はまだ子供で、守ってやらねばならぬ義務がある」
周瑜は小喬の手を取って、握り締めた。
「頼む。あの子は周家の長子だ。私の代わりに面倒みてやってくれ」
「…わかりました。あなたがそうまでおっしゃるのなら。でも、あなたのご様子を、必ず知らせてくださいましね」
「ああ、わかっている」
小喬は今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「そんな顔をしないでおくれ。しばしの別れだ。今までだって何度もあったことじゃないか」
「だって…だって。今回は戦ではありませんもの。わ、私がお役に立てることなんか、そうありませんのに…せっかく…」
「珠はいつでも私の役に立ってくれているよ。おまえと循が健やかにいてくれることが私の望みなのだからね」
「…旦那様はいつも、そんな優しいことを言って…ずるいですわ」
泣きながら、小喬は笑顔を見せた。
周瑜はそれを見て少しほっとした。
息子の循は、素直だが少し甘えん坊なところがある。
それも家にいてやれない自分に非があるのだろうと、思う。
出生を表立って明らかにできない以上、息子に対しては周瑜自身は母ではなく父として接してきた。
幼子を乳母に預け、自分はひたすら戦場を駆けた。
家に帰るたびに大きくなっていく我が子を見て、これでよいものかと何度も自問をし続けた。
そのうち我が子でありながら他人のようになってしまうのではなかろうか、と不安にもなった。
自分は子供を愛していないのだろうか、情が薄いのだろうか、と人間的に欠陥があるのではないか、と自分を恥じることすらもあった。
だが、傍にあった小喬がどのように息子を教育したものか、循は周瑜を父として崇め、敬愛し、物心つくころには周瑜自らが学問や剣の振り方などを教えたりするほどに成長をした。
女として母として接する機会はなくとも、家族としてこうして一緒にいられる幸せを噛みしめることができた。
それで良い、と思えるようになったのは他でもない、小喬のおかげだった。
彼女がいてくれて本当に良かった。
「…あの子、この頃旦那様に似てきましたわ」
「嫌なところばかり似てきたんじゃないだろうね?」
「フフ、旦那様に嫌なところなんてありませんわ。お顔立ちのことです」
「そうかい?」
「ええ、鼻すじがすぅーっと通って、色白で」
「色白はよくないな。もう少し外で遊ばせてやらないと」
「外にいても他の子みたいに焼けませんのよ。あの子だけ絵から抜け出たみたいに白いのです」
「そんなところばかり似てしまうものだね」
「それだけじゃありませんわ。学問の塾の先生からも優秀だって褒められましたのよ」
自慢げにそういう彼女はすっかり母親の顔だ、と思う。
彼女に任せておけば、循は大丈夫だ。
周瑜は改めてそう思った。
翌日、周家の船は出立した。
残ることになった小喬は津まで見送りに行くと言っていたが、それよりも循の様子を見に行ってほしいと周瑜に頼まれ、仕方なく邸の門前での別れとなった。
心残りがないといえば嘘になるが、それでも周瑜は小喬と笑顔で別れた。
またいつか、ここへ戻ってくることができるのだろうか-。
小喬には絶対に言えないことをひそかに思った。
天蓋付の輿に乗った周瑜の隣に、周峻が馬を寄せてきた。
「少し寂しいですが、叔母上を残したのはよかったのだと思います」
「私もそう思うよ」
「私がまた様子を見に参りますので、ご安心ください」
「ああ、そうしてくれ」
周瑜を見送って、小喬はすぐに姉の邸へ向かった。
姉の大喬は、孫権の庇護の下、呉都に邸をもらって子供たちと一緒に暮らしていた。
大喬の息子、紹は循よりひとつ年上で、学問も武道も一緒に習わせていた。
孫策の死後に産まれた娘が一人と、その後、戦で親を亡くした孫家の遠縁の子と喬家の子を引き取り、4人の子供を育てている。
小喬が姉に習い、養子を迎えるのはもう少し後になってのことであるが、ともかく、姉の邸にたびたび息子を連れてくるのは、循が寂しくないように同じ年頃の子供同士を遊ばせるのが目的であった。
紹やその子供たちも、父を亡くしている。
小喬は、循には、父が不在とはいっても、その子たちを見れば、決して寂しがってはいけないのだということを教えたかった。
とはいえ、寂しいのは自分も同じなのだといつも思う。
そして今回は、こうして置いていかれてしまって、できうるならば、循と一緒についていきたいと思うのだが、それは周瑜が許さないだろう。
循のためにも、弱い自分を見せてはいけないのだ、と周瑜は思っているのだ。
病に伏せっている姿をとにかく見せたくない。
柴桑に戻ってきて、周瑜が倒れてからは循を姉に預け、家と姉の邸を往復する毎日だった。
周瑜の気持ちがわかるから、それを苦に思ったことはない。
だが、循も心配しているのだ。
あの子も成長していることをわかってやってほしいと思う。
そんなことをつらつらと考えていると、邸の表に小さな人影が見えた。
循が迎えに出ていた。
熱も下がって、勝手に歩いてきたようだ。
小喬の姿をみつけて、にこにこと手を振っている。
周瑜が出立したことを伝えなければ。
またあの子は寂しがるだろうが、周家の男子たるもの、そんなことではいけないのだ。
柴桑から巴丘まで船ならばゆっくり下っても2日の距離である。
荷の積み下ろしがあっても津からはそれほど離れていない。
船の中でゆっくり体を休ませたせいか、巴丘につくころには、周瑜の体調は良くなっていた。
10年前に住んでいた家屋は先に人をやって手入れをさせていた。
周瑜が到着したときには使用人がすでに厨房に火を入れ、部屋の手入れもされていた。
さすがに古くなってはいるが、周瑜とその従者が住むには充分の広さだった。
周峻が、気を利かせて周瑜を寝所へと案内しようとすると、周瑜はそれを断り、少し家の中を見て回りたいと言い出した。
「では夕餉の時間までどうぞお好きなように。私は荷物の積み込みを手伝ってきます」
そう言って、彼は周瑜と別れた。
10年前、土地の持ち主から買い上げた家だ。
ここを出る時、循の乳母をしてくれた村の娘一家を住まわせたのだったが、赤壁まで曹操軍が南下してくると、彼ら一家は家を出て広州の方へ逃げたという。
つまりここ2年ほど、この家は無人だということだった。
懐かしいと思う反面、亡き人のことを思い出させ、切なくなる。
この家で循を産み、そしてあの報せを受けたのだった。
(思えば、あのときから私はもう循の母ではなくなっていたのだな…)
乳飲み子を預けて、孫策の元へ行軍した。
孫策の死。
何者にも代えがたい人の死が、そうさせた。
すべてを投げうっても。
徐盛が止めなければ本当に死んでしまっていたかもしれない。
あのときの自分は、孫策のことしか見えなかった。
そしてその死に絶望した。
その他のすべてのものは色を失った。
彼の血を受け継ぐ者すら目に入らず。
あのときも、人知れず支えてくれたのは小喬だった。
周瑜はそっと、目を閉じる。
未熟であった、あの頃は。
いや、今も、か。
彼女の方がずっと大人で、しっかりしている。
10年前、ここにきたばかりの頃は、本当に幸せだった。
愛する男の子を産み、彼の傍にいられることが夢のようだと思った。
自分のわがままを受け入れてもらえない時は、人知れず姿を消し、誰も知らぬところで子を産み育てる覚悟であった。
だが、孫策はそれを受けいれてくれた。
巴丘に発つ前日、二人だけでの逢瀬を、忘れはしない。
あの優しいまなざしを。面影を。
そしてまた、ここに立っている。
皮肉にも、新たな命を宿して。
今度は、小喬はいない。
自分がしっかりしなければ。
これが天命なのだ、と周瑜は思った。