その日の私は、どうかしていたとしか言いようの無い状態だった
「……………………………………………………ふぅ」
オールド・ファッションド・グラスに注がれた、ミントの香りのするカクテルを口に含み、また、溜め息をひとつ。
「いきなりですね」
「……………………………………………………放っといてよ」
言い方がつっけんどんになるのが自覚されるが、止められない。
『ヴィオ』は軽く肩を竦めると、困ったように眉を顰めて、苦笑を浮かべながらグラス拭きを再開した。
「余計なお世話だとは理解していますけれども………」
『ヴィオ』が拭き終えたグラスを棚に戻しながら言ってくる。
「そんな間柄じゃないと思いますよ」
「……………………………………………………」
ぎろり、と、睨みつける。
怒鳴らないだけマシと思え、としか言いようのない視線だったのを、自覚していた。
「………もう一杯」
「かしこまりました」
しょうがないな、と、言う雰囲気がありありと伝わってくる。
そんな時だった。
彼らが、店にやって来たのは。
月姫カクテル夜話《Golden Friend》
カランカラン………と、ドアベルが鳴る。
「お帰りなさいませ。カクテルバー『ムーンタイム』へようこそおこし下さいました」
落ち着いた雰囲気を見せる樹のドアをくぐると、入り口付近で待機して居たウェイトレスが声を掛けて来た。
………って、
「弓塚さん!?」
「あ、遠野君………」
「あれ? 弓塚、ここでバイトかよ?」
―― 意外だ。
とは言え、実際、前の『作戦』の後、オーナーや『死の如き静寂』さんに呼ばれていたから、何かあったとは思うけど………
ある意味、嬉しい意外さだ。
ウェイトレスとしてのメイド服も、似合ってるし。
………こうやって見ると、アルクやヴィオさんほどじゃないにせよ、シエル先輩並に「ある」なぁ。
「………遠野、ドコ見てんだよ?」
「うるさいな」
有彦がニヤニヤしながらつついてくる。
こほん、と、弓塚さんは、ひとつ、咳払いをすると、
「では、御席へ御案内させて頂きます。私は『メイ』と申します。どうぞ、こちらへ」
そう行って、前に立って歩きだした。
「………『メイ』ねぇ」
「カクテル・ネームだな」
「スタッフは、全員持ってるって話だし」
「そうなのか?」
そして、弓塚さんに案内されたカウンターは………
「よっほ、『ヴィオ』ちゃん、お久しぶり」
「あら、有彦様、お帰りなさい。お久しぶりですね。今日はななこちゃん、お留守番ですか?」
『ヴィオ』 ―― 『ヴァイオレット』のいるカウンターだった。
「ま、たまには男二人、酌み交わしたいときもあるってもんさ」
「そんなこと言って………理由つけて騒ぎたいだけじゃないのか? 有彦は」
「志貴様もお帰りなさいませ。今回は、勝たせて頂いて有り難う御座います」
「………なんだい、それ?」
わからない。
勝つ? 何に?
「以前、お越し頂いたときに、ただお店に来ただけで、随分騒がしかった時があったでしょう?」
「……………………………………………………あー、そう言えば」
レンと二人で来たときだ。
入ってくるなり奥の方から、歓声と悲鳴と怒号が響いて来たんだった。
「………二回目に来たときだっけ」
「はい。その時も、こうしてお相手させて頂きましたね」
「遠野、ちょくちょく寄ってんのか?」
「いや、そう言うほどじゃないけど」
スツールに腰を下ろしながら、答える。
レンと一緒に来た事を知られたら、また何を言われることか。
「で、『勝つ』って事は………賭けか何かか?」
「ええ。志貴様が、どなたとお越しになるか、を賭けておりまして」
しれっと言い放つ『ヴィオ』。
―― そんなのを賭けの対象にしないで欲しい。
「前回は、予想が外れたので負けましたけれど、今回は当たりましたので。出来ましたら、今後も有彦様と一緒に来て頂きたいものですね」
………まさか、腐女子か? 腐女子なのか!?
「はっはっは。誰が好き好んでこんなむさ苦しいヤローと」
「それはこっちの台詞だ有彦。大方ななこちゃんとケンカしたんで家にいづらいだけだろーが?」
内心の動揺を悟られないように、軽口をたたいてみる。
「お前こそ、あれだけ美少女を侍らしといて何が不満だコノヤロウ。とっとと代われ。嫌なら一人くらい寄越せ」
「……………………………………………………」
気が付くと、後ろで弓塚さんが呆気に取られてる。
「見ろ、弓塚さんも呆れてるじゃないか」
こっちに向けられた視線に目をやると、二十代半ばの女性が、俺たちの方を、何か懐かしいものを見るような目で羨ましそうに見ていた。
「……………………………………………………親友、か」
小さく呟く声が、耳を掠めた。
しかし、有彦の莫迦にそんなデリカシーがあるはずもなく、
「お前がふらふらしてるのに問題があるんだろうが。次から次へと手ぇ付けやがって」
「大変なんだぞ。朝から晩までそばに付かれて監視されてみろ。息が詰まるわ」
「それだけ愛されてるって事だろーがよ。何が不満だ」
「だーかーらー。俺の意志がねぇっての。こっちの都合なんて、誰も考えてくれないんだぞ?」
「側にいてくれるだけ羨ましいってんだよコンチクショウ」
結局それかい。
「お前だってななこちゃんいるだろー?」
「ありゃ、女の子なんて言わねーよ。駄馬だ、駄馬」
「言い過ぎじゃないのか? あんな可愛い子を捕まえて」
「………そーやっていつもいつも誰彼となく引っかけてんのか?」
ああ、もう。
誰かこいつに教えてやってくれ。
そんなに羨ましがられるような生活じゃないんだってば。
「『メイ』ちゃん」
『ヴィオ』が、弓塚さんを呼んだ。
「これ、『ソノラ』に」
「あ、はい。かしこまりました」
応えて、メッセージカードを届けに行く。
そんな光景を目の端に収めながら、『ヴィオ』の出してくれたカクテルを口にする。
有彦はやっぱり『カミカゼ』を。
俺は………これもやっぱり『プッシー・フット』を。
……………………………………………………『ヴィオ』。
やっぱり、そういうふうに見えてますか?
………っていうか。
『これ』が俺のカクテル・ネームになったら………嫌だなぁ。
『メイ』………弓塚さんが戻ってくると、ゆったりした『ソノラ』のピアノの曲調が、バラードに変わった。
「……………………………………………………ああ」
少しはなれた席で呑んでいた女性が、大切な何かを思い出したかのように涙ぐむ。
「『It is our destiny』………だっけ」
小さく呟く声が聞こえた。
「『ヴィオ』、この曲………題名分かる?」
「この曲ですか? 『It is our destiny』、邦題を『運命の友情』と」
―― 『運命の友情』
男の人に振られて呑んでるとばかり思ったけど………ちょっと違うみたいだ。
―― そして、『ソノラ』の歌声が響いてきた。
How did we get where we are
「………『運命の友情』………か」
「いい曲だな」
「そうだな」
有彦とふたり、少し、落ち着いた気分になる。
向こうの女性も、先刻に比べれば、落ち着いた気配になっているし。
―― よかった。
「………もう一杯」
「……………………………………………………宜しいのですか?」
「うん。このカクテルは、これで終わりにするわ」
「畏まりました」
バーボンのボトルを出しながら、『ヴィオ』は、ほっとしたような笑みを浮かべた。
相変わらず、泣き腫らした目のすごい顔だけど、先刻までの「険」が取れて、だいぶ柔らかくなってる。
「『ヴィオ』………そのカクテルさ、なんて名前なの?」
気になったので、聞いてみると、
「お教え出来ません。御二人には、特に」
剣もほろろな答えが返ってきた。
若干、苦笑交じりなのは………まぁ、気にしないでおこう。
「「……………………………………………………」」
有彦とふたり、顔を見合わせて、そろって彼女に視線を向ける。
「………聞かない方がいいわよ。あんたたちには、まだ早いし、必要ないから」
酔っ払ったみっともなさはそのままで、視線だけ向けて応えてくれる。
「バーボン、ミントのホワイト………あとひとつ、なんだあれ?」
「………ちょっと………ボトルのラベルが読めないな」
シェーカーの横に並べられたボトルから、調べて見ようと思うけど………
わからない。
彼女が、恐らくはヤケ酒として呑んでいたカクテル。
★さらば友よ『Good-Bye My Friend』★
バーボン………2/3
リカール………1/6
ミント・ホワイト………1/6
シェークして、カクテル・グラス、もしくはオールド・ファッションド・グラスに注ぐ。
「……………………………………………………」
「………また、あの娘に怒られそうね」
「喧嘩するたびに『それ』呑んでたら、ね?」
『ヴィオ』とふたり、苦笑を浮かべる。
「『ヴィオ』、彼らに」
「畏まりました」
「………あっと、後で、私にも」
「はいはい」
ラムとブランデーのボトルを出してカクテルの準備をし始めた『ヴィオ』は、
「『メイ』ちゃん、お湯沸かしてくれる?」
「はい」
弓塚さんが受けて、カウンターに入ってポットを火にかける。
「………卵に………砂糖」
「あと、お湯」
「遠野、わかるか?」
「わからない。………って、わかるほど来てねーし」
ふたりとも、『ヴィオ』の手元に釘付けだ。
「随分、落ち着いてきましたね」
「んー? まあ、悪かったのは私だから、素直に謝るわ」
「そうですね」
「その前に、思いっきり泣きそうだけどね」
「ああ………」
『ヴィオ』と、彼女。ふたり、声がハモる。
「「笑うも酒、泣くも酒。されど、仲良きかな」」
顔を見合わせて、笑う。
彼女の目尻に涙が零れたのは………まぁ、仕方のないことだろう。
カシャカシャと卵を泡立てる『ヴィオ』。
「お湯、沸きました」
弓塚さんの言葉に、
「タンブラー、温めてくれる? みっつね」
「はい」
ホットドリンク用の把手をつけたタンブラーにお湯を注ぎ、温める。
「ナツメッグ用意して」
「擦り降ろすんですね?」
「そ」
オロシガネを前にナツメッグを擦り始めた弓塚さんのピコピコ揺れるツインテールを視界の端に見ながら、グラスを傾ける彼女を、見るでなしに見る。
歳のころは、二十代半ばぐらいか。
今は泣いた後ですごいことになっているが、顔立ちや造作そのものは整っている方だろう。
楕円形の眼鏡に、キツ目の面差し。
長く、背中の辺りで結わえられた、腰辺りまで伸びる黒髪。
パリッとしたスーツ姿。
―― キャリア・ウーマンだろうか。
商社か、その辺りの営業………総合職といった印象を受ける。
アルクほどではないにせよ、シエル先輩以上の体付き。
………って、何でそんなとこ見てるんだよ、俺。
「あんまりジロジロ見んなよ。女の子の泣き顔は見るもんじゃねーの」
「………有彦。変なところで気が回るな、お前」
「てめーがニブイだけだっての」
響くピアノに空白が交じると ――
―― 『ソノラ』が、次の歌を歌い始めた。
He ain't heavy, he's my brother
「………男の子って、いいわね」
「そう?」
「殴り合いやっても、それがもとで仲良くなれるし」
「人によるんじゃない?」
『ヴィオ』とふたり、落ち着いた口調で話をしている。
「………ふたりは、どうだったの?」
彼女は『歌』に感化されたのか、そんなことを聞いてきた。
「あー、やったなぁ」
「河原でよ、くたくたになるまでやったよなぁ」
「給食のプリン食われたこともあったぞ」
「ありゃ、おめー、ボサッとしてるおまえが悪い」
「昔っから意地汚かったよな、お前は」
「お前こそ、昔っから遠慮しまくりで。遠慮する方向が間違ってるっての」
「「「あははははは」」」
そうこうしているうちに、カクテルが出された。
「ふたりの友情に」
そんなことを言ってくる。
「ありがとう」
「ゴチんなります」
俺と有彦、軽くグラスを掲げて乾杯する。
「いつまでも………『仲良く喧嘩しな』」
歌うように言う。
しかし、そのフレーズは ――
「あ、ひょっとして………」
「………これって、まさか………」
「「トムとジェリー?」」
俺と有彦の声がハモる。
「そ。正解」
にやり、と、彼女は笑った。
★トムとジェリー『Tom & Jerry』★
ラム(ダーク)………30ml
ブランデー………15ml
砂糖………2tsp
卵………1個
熱湯………適量
ナツメッグ………少々
卵の卵白と卵黄を別々の容器(小形のボウルかオールド・ファッションド・グラスでもよい)で泡立てる。
泡立てた卵黄に砂糖を加えてツヤが出るまで泡立て、卵白も加える。
これにラムとブランデーを注いでステアし、温めたタンブラーに移す。
熱湯を満たし、軽くステアする。
好みで、擦り降ろしたナツメッグを振りかける。
―― それにしても、すごい顔だ。
涙の跡とか、ブチ切れたそのままでこの店に来て、結構呑んでるみたいだ。
化粧も結構崩れて、すごいことになってるし。
でも、何かふっ切れたのか、さばさばした奇妙な爽やかさがあった。
「………結構、呑みやすいな」
「温まるし」
「心も?」
彼女の方を見て、ニヤリと笑う『ヴィオ』。
「そ。心も」
ニヤリ、と、笑い返す彼女。
そして、何処か遠くを見るような ―― ここに居ない『誰か』を見るような
―― 目をすると、小さく何事か呟いた。