「ああもう、よいよい、忠勝では泣かせるだけじゃ」
「はッ!、申し訳もございませぬ!」
強面の諸将が一同に会する席で、本多忠勝は床に深く額を寄せた。

同じ席につい昨日徳川の養女に入った赤ん坊が列席している。
赤ん坊は徳川家康の膝の上で手を握ったり開いたりしている。
泣いているらしいのだが泣き声をほとんど立てずに泣いている、おとなしいややであった。
あの手この手をつくして泣き止まず、ついには本多忠勝にまで「泣き止ませてみよ」との命令がだされていた。
本多忠勝に抱き上げられた赤ん坊は地上2メートル30センチの位置に突如持ち上げられて、すくみ上がって泣いた。
「だれでもよい、泣き止ませることができる者はおらんのか」
「いないいない、ばあ」と「高い高い」くらいしかあやすレパートリーのない大人たちは顔をあわせて困りはてていた。
「泣く子も黙る」と「泣く子をあやす」は大いに作法が違うらしい。
ふうと家康がため息をついて天井を見上げる。「おお」と短く声をあげて家康は思いついた。

「半蔵。半蔵おりてきなさい」

服部半蔵は天井裏でビクッとなった。
まさか、まさか自分にあやせというのか。たしかに年頃でいけば初老以上の諸将より年が近いがかといって赤ん坊と一番歳が近いら和解できるかといわれればできるはずがない。
しかし主君の呼び出しを無視するわけにもいかず、半蔵は音もなく謁見の間に下りてぬかづいた。
「半蔵、おぬしなにかやってみせよ。忍術でパパッとできるであろう」
忍術でパパッとできるのは人を騙したり、隠れたり、驚かせたりすることだけだ。
諸将の両脇を固めるその中心、主君の目の前、視線の檻に囲まれて若き服部半蔵に逃げ場はなかった。
仕方なくひとさし指をピンと伸ばして、その先にぽっと炎を出して見せた。
すると驚いたことに、赤子が目をぱっちりひらいて泣き止んだ。
「おお!よくやったぞ半蔵」
主君が喜んだことが最も嬉しかった。とか思った瞬間に赤ん坊の手はぎゅっと半蔵の指先を握った。
若き半蔵の背中にぞぞぞっ!と驚愕がかけぬける。
赤子は炎をその手の掴んで、爆発するように泣き出した。
それからは大騒ぎ
主君の娘を害したとすれば死を持って償うところ。
家康はしかし皆の手前半蔵を懲罰房行きには処したが、そのあとは冗談めかして「もうおまえにはあれを娶ってもらわねばなあ」と笑ったくらいである。

かくて、

赤子の手にはおおきな火傷のあとがきざまれた。
いずれは政略結婚に使うだろう娘を、一介の家臣がキズモノにしたのである。
半蔵は以来、主君同様にその姫君によく尽くした。
遊べと言われれば遊んだし、
木の上にのせろと言われれば乗せたし、
かんざしを買ってこいと言われれば買ってきたし、
口布をとれと言われればとったし、
抱っこしろと言われれば抱っこした。
お風呂を一緒に、と言われたときはさすがに断ったものの。
今や半蔵は徳川の忍頭の位におさまり、若き半蔵がキズモノにした赤ん坊は年頃になった。
憂い顔が色っぽいと徳川屋敷に出入りする男たちに評判の姫君に成長していたのである。








りん、と小さな鈴の音がした。
聞き覚えのある音に、服部半蔵はゆっくりと振り返る。
りん、とまた
それは半蔵が贈ったかんざしで、ずっと昔に「京の都へ行ったらなんでもいいから土産を持て」と言われて買ってきたものである。
「久しいの」
言った女は側女を二人従えている。徳川屋敷の北の廊下で、半蔵は黙礼した。
主君の末の姫である。
「ご機嫌麗しく」
「何をしていたの」
半蔵が珍しく普通の袴姿でいるからだろう。
「殿にご報告を儀をすませたところでございます」」
「帰り路か」
「は」
という徳川の姫はきゅっと笑った。「しめしめ」といたずらをたくらむ子供の顔だが、十代半ばは過ぎている。
「では、庭までつれておくれでないか」
「・・・は」
「うん?にごった」
姫君はコロコロと笑った。
「滅相もござませぬ」
「庭へ出るまでだけでよいから、一緒に遊んでおくれ」
様、と側女が小さな声で嗜めた。
「ふたりは先に部屋へ」
はそれだけ二人の側女に言い置くと、南庭の方角へ歩き出してしまった。嗜めにも眉一つ動かさなんだ。
側女たちは袖で口元を隠して半蔵を見ていた。半蔵はただ彼女たちにも黙礼して、のあとに楚々と続いた。



いつまでも
いつまでも遊ぶのよ

この手がある限りおまいは逃げられない
おまいのつけたこの傷がある限りいつまでも遊ぶの

手を引いて
袖を振って
水がはねて
優しくしかられて

おまいのつけたこの傷がある限りおまいはいつまでも遊んでくれる





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