佐和山、秋が終わり北風
前田慶次は、直江兼続の友人で佐和山城主の石田三成のもとに厄介になっていた。
佐和の景色を愛馬、松風で奔放に駆けて帰城した。
城の裏手、広葉樹が生い茂る。落ち葉を踏み鳴らし、松風を厩へ運ぶ。
っと、突然に娘が飛び出してきて松風の前足にぶつかった。娘ははじかれて背中から転び、驚いた松風は前足を高く上げ棹立ちになった。

「危ねっ」

慶次は娘の腕をひっぱる。妙な感覚だった。木のおもちゃか何かをひっぱったような。
松風は頭のいい馬であるからひとたび足をあげただけでそのあとはなんともないふうに落ち着いていた。それを確認してから娘のほうに向き直る。

「大丈夫かい、嬢ちゃ・・・?」

慶次はそこで言葉をとめてしまった。慶次は美人は見慣れたほうであったがそれにしても今目の前で座り込んでいる人は比類なき美しさである。
艶っぽい遊郭の女とも品のいい大名の娘たちとも違う。あるいは東海道で出会った阿国という女性とも違う。尾張一の美女とうたわれるお市の方とも違う。
慶次のような乱暴者が触ったらその瞬間に粉々に砕けてしまいそうな危うさが・・・と、いうのはいくらなんでも慶次の誇張であるが。
しかし肌など日にあたったことがあるのだろうか。陽光に透き通るほどに白い。
浴衣を着ている。寝巻きだろうか。羽織もなしで寒かろうに、
おや素足だ。
娘は瞬きをして驚いた表情で慶次を見上げていた。
言葉の途中で止まってしまった慶次ははっとして「大丈夫かい、お嬢ちゃん」と少々慌て気味に続けた。

「・・・」

娘は何も言わない。
反応さえ返さない。
まさか耳が聞こえないのかと思う。
あ、いや慶次に姿に驚いているのかもしれない。
小さな子供からみたら熊か鬼のように凶悪に見えるに違いない。

「怪我はねえかい」
「はい」
「お、そうかい。そりゃよかった」

会話がつながったことに慶次は一安心した。

「お怪我は」

娘のほうにこう言われて慶次は豪快に笑った。
手を差し出しているのだが娘はその手をとろうとしない。どうしたのかとよく見れば娘の右腕が妙にぷらんとしている。
力ない。

「腕が動かないのです。はじめてのことでどうすればよいのか」

それは馬にぶつかった衝撃ではあるまい。慶次が腕をひっぱった衝撃で肩がはずれてまったらしい。

「おおう!こりゃあすまねえ」

慶次は大慌てで屈み、浴衣の袖をめくりあげた。するとまあなんと枯れ木のように細い腕である。
慶次が腕を掴むとツキノワグマと菜の花ほどの対比である。
娘が男であれば肩を掴んでゴキン!とやって元にもどしてしまうところだが、どうにもゴキン!といったときに他の骨が砕けるのではないかという恐れがある。

「おまえさん、骨は丈夫なほうかい?」
「ほね?」
「身体はその、丈夫そうには見えねえが」
「今日は大丈夫、十四日ぶりに外に出たのです」

これはいよいよ滅多なことができないと慶次は冷や汗をかいた。
どんな剛勇や悪党を相手にしても武者震いできる男がいま、小娘を目の前に怖気づいていた。

「あのな、わかってねえようだから言うけどそれ肩がはずれたんだ。荒っぽく元にもどすのは怖えからおさじに診てもらおうな」
「痛みはありませんが」
「腕が使えなきゃ不便だろう?」
「そう・・・そうでありましょうね。わかりました」

慶次は娘の背中と膝の裏に手を入れて抱き上げる。

「あ、高い」
「おまえさん、もっと飯食ったほうがいいぜ」
「気をつけます」

娘はさびしそうにいった。抱き上げられたことに異存はないらしい。
ぺたと慶次の胸板に触った。

「あなた様はお元気そうでいらっしゃる、たくましい」
「お褒めにあずかり光栄、ってな」
「お名前はなんとおっしゃるのですか」
「俺ァ前田慶次ってんだ、この屋敷の持ち主のダチのダチだ」
「わたくしはと申します。世話をかけます前田殿」

という姓はきいたことがなかった。いや、どこかで聞いたことがあった気もする。

「どこの娘さんだい」

顔を覗き込もうとしたのだが、髪で顔が隠れていた。
声だけが慶次に届く。

「滅んだ里です、八年も昔のこと」

声だけ。
子供のくせに、なんとも大人びたふうに言うのだろう。

「そうかい」

慶次は落ち葉の地面を厳かに踏み鳴らす。紅葉はくすみ、まばらだ。
この見た目だから、織田が滅ぼし、色好みの豊臣の手に渡り、石田三成のもとにあって不思議はない。
松風に乗せてやってもよかったけれど、なんとなく腕の中においておいた。
滅ぶのも生き残るのも戦国のことわり。
娘は動くほうの手で目線の高さにあるもみじをひとつつまんだ。
もみじと比べるといっそう肌の白さが際立つ。
もう秋も終わり。






ちょうどよく整体の先生とやらが石田三成の城を訪れていた。家来たちに整体をほどこしていたところを呼び出して、縁側でひっそりと事情を説明した。の名を聞くと整体師はとんできた。
まずうやうやしく礼をとってから「ご無礼」と一言おいて肩をなおした。
ゴキン
という音にびっくりしたのかはびくんと震えた。

「・・・ああ、腕が動く」
「よろしゅうございました」

痛みもなかったようで、は自分の右手のひらをぐーぱーして初老の男に頭をさげた。

「ありがとう存じます」
「恐れ多いことでございます。・・・その、の御君様」

初老の師の手はわずかに震えていた。

「・・・幾久しく健やかに」

その言葉に平伏した整体師はかしこまりながら逃げるように下がった。
始終を見ていた慶次は尋ねる。

「お国の人かい」

は微笑したようにも見えたし、目を細めて遠くを見つめただけのようにも見えた。
それにしても”おんきみさま”ときたものだ。大きな家の血筋だったのかもしれない。

「・・・腕が治ってよかったな」
「ええ」
「松風も喜んでる」
「松風というのですか、先ほどはぶつかってしまってごめんなさい。痛くはなかった?」

松風はに鼻先を寄せる。

「前田殿」
「慶次でかまわんよ」
「では、慶次殿。撫でてもいいでしょうか」
「俺が松風だったら大歓迎だねえ」

が松風の鼻筋を撫でようとそっと手を伸ばした時である。



殿」



厳しい声がした。

「なにをなさっている」

どすどすと廊下を踏んで早足に近づいてきた。
は慶次が目に明らかに青ざめた。
強張った表情が顔にはりついている。
佐和山城主、石田三成である。
こちらもきれいな顔だ、と慶次は思う。だが不機嫌そうだ。
は縁側に素早く姿勢を正した。

「三成様、申し訳ありません」
「怪我をしたと向こうで聞きました」
「肩が少し、その、もう治していただきました」
「事情はご存知か」

睨むような視線が遠慮なく慶次に向いた。

「わたくしが転んで動けないところをさじのところまで連れてきてくださったのです」
「それは世話をかけました。殿、あなたはいつまでそのような格好で出歩くおつもりです。自覚がないのですか。また素足で」
「申し訳ありません。すぐに戻ります」
「こちらへ」

三成は踵を返した。は慶次に頭を下げると早足に三成を追いかけた。
三成の知り合いだったのか、と慶次は去っていく後姿を見つめた。
妻ではなかろう。恋人にも見えない。年が違いすぎる上にあの態度ときた。
殿と呼んではいるが下女や雑兵に命令するのと同じ態度である。
さらに険がある。
松風がぶるると首を振った。
撫でてもらえなかったのをふてくされるふうだったから慶次は軽く笑って厩へと引いた。



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