島左近は離れに通じる渡り廊下で声を聞いた。

先ほどから探していた主君の声である。この先の離れにいるらしい。
主君、石田三成は抑揚のない無感情な声に辛辣な言の葉をのせるのが常であるから、今聞こえるそれが辛い言葉を並べているのか、普通に話しているのかはたして謎である。

「以前にも具合がよかろうと悪かろうと外にお出になるのは必ず傍仕えをつけるようにと申し上げましたものを、格好もそのように寝巻き同然で、気が知れませんな」

小言らしい。
左近は声をかける機をうかがった。

「今日は、とても身体が軽かったものですから」
「言い訳など聞いていません」
「申し訳ありません」
「・・・」
「殿、こちらにいらっしゃいますか」

障子戸の向こうに左近の声を聞き、三成の小言が止まった。

「左近か」
「豊臣の御使者がご到着です」
「わかった」

すぐに障子が開いて怒気をふりまく三成が出てきた。
左近も続いて立ち上がり、あいたままの障子を閉める。このときにわずかに中を覗いた。
布団のなかで半身をおこしている子供が太ももの上で組んだ指を見つめていた。
肩をおとして。
左近に気づくと苦笑をみせた。左近も苦笑を返す。相も変わらず化け物のように美しい。
思いながら障子を締め切って三成の後ろを歩いた。
案の定、不機嫌な三成はなにひとつ左近に話しかけなかった。



「こちらでお待ちです」
「うむ、隣りで控えておれ」
「は」

障子が開き、閉じられた。
左近は言われたとおり隣室で待機した。
ため息をつく。
は豊臣家の養女であり、豊臣秀吉の定めた石田三成の許婚でもある。
突然許婚と言い渡されて十二歳の子供が三成のもとへやってきたのは、ちょうど五年前。
身体が弱く、来てからずっと城の離れで養生している。
に従う兵は精強だが所詮亡国の残兵、ごく少数である。それらを捨てて地方の名門とでも結んだほうがよほど利口といえる。もしや今回の豊臣からの使者は五年の節目ににかわる縁談でも持ってきたのではあるまいか。
利口な話ではあるが、左近はもろ手をあげては賛成できない。
先ほど見えた苦笑の娘を、左近は目にかけて可愛がっていたのである。






すっと襖が開いた。

「お話はお済みですか」
「ああ」

不機嫌そうである。
使者に気に入らないことを言われたらしい。内容を聞いたところで教えてはもらえないかもしれない。あの無表情から感情の機微が読み取れるようになってきたのだから自分も相当のものであると左近は自慢にできない自負をした。
廊下に出る。
見えてきた空は鈍色雲のぶ厚い、降りだしそうな空である。
今の三成の雰囲気をうつしたようだと左近は思った。三成も空も押し黙って、出来の良い頭をなにかしらの考え事が駆け巡っているらしい。

「秀吉様はなんと」

お前には関係のないことだ、そうくると思われた。しばらくの沈黙で左近があきらめかけたとき三成は言った。



殿は初潮が来ぬそうだ」



左近は思わず立ち止まった。
三成の後ろにいる左近には今の彼の表情を見ることはできない。初潮などという言葉が三成から出たことに驚いたが、それが意味するところはさほどの驚きを秘めてはいない。さっき左近が予想したとおりになるということか。

「子を成せない身体である可能性が高いそうだ。立春まで待って兆しがなければ許婚を解消するとの仰せであった」
「それは・・・なんとも」
「なんということはない。理にかなった話だ。当然の流れで不思議は無い」

多弁過ぎる。左近は思った。三成は動揺しているように左近の目にうつったけれど、錯覚に違いない。そのあとは打って変わって地方情勢のことを二、三はなして三成は執務室に戻った。いつもの三成の態度である。
左近は、離れのほうを振り返った。
気にかかる。
気にせずにおれない。

八年前
家は伊賀とともに織田信長と対立した。それら反抗勢力を殲滅すべく信長が出兵を命じた軍のなかに、大和の筒井家家臣、島左近の姿もあった。
天正伊賀の乱
多勢に無勢で織田軍の圧勝。にもかかわらず、死者は一万を超えた。
虐殺を行ったのである。
左近はその地に立っていた。
刀を持って。



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