船上戦、
曹操には逃げられたものの、火計と奇策により勝利をおさめた呉蜀連合軍は勝利の美酒に酔いしれていた。
呉軍武将、元水賊の甘寧の計らいにより、ついさっきまで戦場だったその場所で宴が催されたのだ。貴を重んじる呉軍は水賊と同じ釜の飯を食うことに最初は難色をしめしたが、酒を呑まれればそれも吹き飛び、船上は太鼓が打ち鳴らされやんややんやと盛り上がる。
夜にたいまつの炎が踊り、戦場だった船は今は喜びの鬨の声、笛太鼓、誰が持っていたのか二胡まで聞こえ始めた。
甘寧に頼まれ水賊達は娼婦を集め、酔った兵らに振舞う。
「さあて、皆々様お立会い!」
手を打って、宴会のただなかで突然に甘寧が立ち上がった。呉蜀のそうそうたる顔ぶれが一斉に振り返る。
凌統だけは舌打ちをして顔をそむける。周瑜のはからいで同席を許されていた陸遜もまた、皆にならった。
「曹魏を打ち払った今日のよき日に、奴らから奪い取った戦利品をご覧にいれる!」
甘寧は酒樽を振りかざし部下に合図をした。
「三国にその名も高き、永六輔姫さまのおなぁりぃー!」
美しい絹衣を纏ったまま、両脇と背後を水賊に捕まれた娘が引き出された。
あがったのは歓声と言うよりはまず酔っ払いの雄たけびだ。シラフを保っている面々のざわめきもさざ波のごとく広がった。
あの寡黙な周泰でさえも思わず手をとめている。
「おぉ、あれがかの姫君か。こりゃあいい!」
黄蓋が大声で笑った。
陸遜はまったく酔っていなかったがその大声は陸遜には届かず、ただその姿かたちを幻でも見るようにぼうっと見つめた。劉備、諸葛亮、孫権、周瑜。このような顔ぶれの中に年若くたいした武勲も無い自分が居ることが畏れ多く、緊張でまったく酔えないでいたのだ。それでも目が離せない。
引き出された女はまだ少女であった。
きっと同い年くらいだと陸遜は思った。
冠は奪われたのか長い髪は床に垂れ、俯いて、形のよい眉をよせている。
大勢の前に引き出され、姫君は後ずさろうとしたが背後の甘寧の胸にぶつかった。
「さて、まずは永の姫さんよお。劉備殿と我らが大将様に酒をおつぎしてこいや」
陸遜は「あ」と思った。
甘寧にどんと背を押され、小さな人は転ぶように膝をついたのである。
陸遜は立ち上がりかけて、それを呂蒙に止められた。
「よせ陸遜」
「まだ子供です」
「劉備は情に厚いと聞く、我らが主も兵の前でいたぶるようなことはなさらぬ」
「・・・ええ」
陸遜は苛立ちを噛み潰して座り直した。膝の上においた拳を握る。
女は甘寧に引っ張りあげられ、ほとんど引きずられるように劉備の前に連れて行かれた。
劉備の前に再び膝をつかされた姫君はすくんでいる。
まわりから早くしろと野次が飛んだ。
劉備が杯を寄せる。
「安心なさい。あなたが魏にいたからといって生まれは遥か西の異国と聞く。命をとる気はないのだよ」
姫君を覗き込むように小声で告げた。
「さ、野次がうるさい。注ぐだけで済む」
少女はゆっくりと劉備の杯に酒を傾けた。こぼれる無色透明の酒が震えている。
終わると「ありがとう」と劉備に礼を述べられた。
「さあさあ、お次は孫権様だぜ」
再び強く引かれてつんのめるように六輔姫は孫権の前に引き出された。
「珠のような肌とはこのことだ。美しい娘よ、部下の乱暴を許せ」
孫権もまた姫君に乱暴をはたらくことはなかった。姫君は首をあいまいに横に振ってから頭を垂れた。とくとくと酒を注ぎ、休む間もなくまた腕を引かれる。
今度は周瑜か、蜀の奇術軍師かと甘寧は視線をめぐらせる。
「孫権殿」
劉備がにこやかに呼びかけた。
「その美しい人、酒をつがせるだけにしては惜しい。誰ぞ年のころの近い勇士にまかせてみてはいかがかな」
盛り上がる兵の手前、甘寧を叱責することは憚られたがこのまま野放しにしておくこともできなかったのだ。
孫権も劉備にうなずき、では、と声をあげた。
「陸遜」
突然に名前を呼ばれ、陸遜は弾かれたように顔をあげた。
見るにも哀れで顔を背けていたのだ。
「姫君を岸までお連れし、心を休ませてさしあげろ」
陸遜は困惑し呂蒙に助けを求める視線を送ると、苦笑いが返された。
行きなさい、と云っている。
「襲うなよー!」
甘寧がふざけて声をあげ、陸遜はカッと赤くなって立ち上がった。
彼はまだ、この手の冗談をかわしきれるほど大人ではなかった。
「陸伯言、承りましてございます」
一刻も早くこの場から少女を救い出したい思いもあいまって、陸遜ははっきりと声をあげた。
足早に甘寧に近づき少女を預かりうけたが、顔も見れない。俯いて横に並び、
「行こう」
とだけ告げた。
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