天幕のなかではおそらく最上級であろう歓迎をうけた。
大の大人がとり囲むなか、は首座に案内され、首座の周りにはちぎった花びらが散りばめられていた。
金糸銀糸の絹織物の羽織が肩からかけられて目の前には豪勢な食事と色鮮やかな果実が並んでいる。
賓客室で会ったこの行商団の長が身体に見合わぬ機敏な動作でへ向かって居住まいを正し、両のこぶしを床の敷布におしあてる。

「姫様、これに集いしはフウナの同胞。王家の忠実なるしもべどもに御座る」

は集った者どもを見渡した。
男たちはみな、より十も二十も年上に見えたが、少年のように瞳を輝かせている。
「いまは行商に身をやつせども、かの日々にナプキ・マルカの神々に誓いし王家への忠誠は露も揺らぐまじ。・・・姫様、よくぞご無事で」
は唇を結んだままゆっくりとうなずいた。
長はイノシシのようなこわもてを一瞬か弱く歪めて苦笑させてから振り払い、ニイッと歯を見せて破顔した。
「さてやものどの!さかずき持てえい!」
怒号のような合図があって、高らかに「姫様に」乾杯した。
踊りだす者、泣きだす者、無事を喜ぶ者、謝る者、歌いだす者、狭くるしく目まぐるしい謁見がひととおり済むと、の杯に白い酒が注がれた。
唇を寄せる。
「ど、どうでございましょう」
とそそぐ手を震わせていた男が、乙女のように肩を強張らせての反応を待っている。
「おなつかしい味でありましょうや・・・?」
男の頭にボカリと長のげんこつが落ちた。。
「ばか者。かのみぎり、姫様はまだこれくらいであらせられた。酒の味なぞ懐かしいものか。姫様、ここ、これに甘い菓子もござりますれば」
には目じりをさげて孫を見るように優しい。は小さな笑みを見せて白い酒を舌にのせた。
強い酒であった。味は慣れなかったが、
「なつかしいにおいです」
「おお・・・おお・・・!おおおっ!!」
酒をついだ男はぼろぼろと涙をこぼして突っ伏し、むせびないた。
「おい大声を出すな!姫様が驚いておいでだっ」
「団長が一番うるさいじゃないですか」
「なにをう!?う・・・あ、いや、姫様。騒々しい連中で申し訳もござりませぬ」
「いや」
「もう二度とわが心のふるさとは返らぬと誰も彼も思うておりましたもので、またこうして姫様のご尊顔を拝していることが皆が皆、夢のように感じ入っておるのです・・・」
よくとおる長の声はきゅうに感慨深いかすれ声になって「姫様」とを呼んだ。
「よっく王妃様に似て」
強い酒でか感動でかどんぐり目を潤わせて、瞳の中でランプの火が揺れていた。
「姫様、姫様、このひとは王妃殿下が初恋なんですよ」
「バ!」
「王妃様が通られたあとの道を一番になぞってにやけていたのを、俺は見ましたからね」
「ち、ちがう!あ、いえ、違うのです姫様、あれはマキビシなんかが落ちていやしないかと安全確認を」
「とおった後に?」
神妙が一転、天幕は明るい笑い声につつまれ、もつられて笑った。






大男どもが泣き濡れても笑っても、なつかしい話は尽きないもの。宴はやはりとっぷり暮れても続いた。
すすみ過ぎた酒にが酔ってうとうとし始めると、同胞は毛布と、のまわりに袖に隠していた宝石や飾りをひとつずつ置いて一礼してから天幕を出て行った。なかには勇気を振り絞って手の甲にくちづけをした者もいたが、は酔いゆえではなくそれを甘んじて受けた。
残ったのは、行商団の団長。いちおう女がひとり何も言わず天幕の入り口近くに座っている。二人きりにして不安にさせまいと長の配慮であろう。
小さくなった炎の影がイノシシ顔の団長の感傷的な表情に克明な影をおとしていた。
「きょうはありがとう。とても楽しかった」
眠気はあるが、は考える力を残していた。
同胞に対してほとんど何も言えなかった、これからも何も言えない、何もできないだろうことを謝りたかったが、それは忠義深い者どもを困らせるだけだろうと知っていたから胸のうちに押しとどめた。
「御身を以って我らを逃がしてくださった陛下のご恩には到底足りませぬ」
声音からは宴のたのしい色が抜けていた。ひたすら真面目に、心からの声である。
「城は炎のうちに墜ち申した。水は毒になり、草も生えませなんだ」
「・・・そうか」
「主を失い行くあてを失い憎しみと復讐の妄執に駆られ我らは闇の中に足を踏み入れてしまった」
男はの手をかたい両手で大事に大事にとり、間近に伏せた。
「積荷は人を殺める道具と爆薬、毒。お許しくださりませ、姫様、お許しを」
怨敵曹操のもとで曹操に快楽を与えながら永らえた小娘の手の甲にかたい額をこすり付けて許せと乞うた。
「同胞をまとめ、よう生きのびてくれた。王と王妃にかわり礼を言う」
許せと泣いてすがるべきはこちらのほうだ。
「大儀であった」
指先にあついしずくが触れた。
「それと、わたくしの立場をよくしてくれようとしたこともありがとう」
「・・・なんのことやら」
手を伸ばしてちくちくするさわり心地の髪をなぜてやると、を捕虜から孫家の姫に仕立てた男はみるみるうちに耳まで赤くした。
ああそういえばといまさらは思い出す。
この人はこわい顔をした門番。ままごとにつきあってくれた。


















***



行商団の長がの手のひらを陸遜へ渡した。
は陸遜を見ても何も言わず、ひとりで立ってはいるものの足元がふいに一、二歩うごいたりしておぼつかない。
男は陸遜に向かって短くなにごとか告げたが言葉はわからない。
陸遜はの身体を支えて男の目を見、ただ一度だけ頷いた。

天幕を離れ、おぶさるかと尋ねたがは首を横に振って歩くことを譲らなかった。
いつか逢引と揶揄されたとおりに差し掛かる。
昼の活気が嘘のように人がいない。
夜は冷えた。
「・・・その羽織はあなたのふるさとの物ですか」
来る時は着ていなかったきれいな羽織をかけて、胸の前で宝石の付いた紐を結んでいる。
月明かりに糸が光って、それは金色か銀色の糸で刺繍された絹のこしらえなのだとわかった。
は答えない。
「綺麗ですね」
ふいにの足が止まった。
両手のひらで顔を覆う。
震える息が聞こえる。



「・・・許して」



手のひらをつたってぽたぽたと水がくだり、足元の土を黒くした。
天幕のなかでは糾弾されたりはしなかっただろうと、陸遜は見たように知っている。あの団長の顔を見たらそれくらいわかる。
声が殺され、感情を身のうちにおさめようと丸まってゆく背に、露わになった細いくびすじに驚きはない。
むしろ陸遜はほっとする心地すら感じていた。
丸まった薄い背に腕をまわし肩にぶつかった小さな頭に頬をすり寄せた。
抱きしめる腕に力をこめるとから熱い息がこぼれ、泣き声が深くなった。
もっと聞きたくて腕にいっそう力をこめる。

このひとはもっとはやくに泣くべきだったと陸遜は思った。

























***



夜中まで起きていて主の帰りを迎えたじいの焦った声も扉で閉て切った。
見慣れた寝台にを横たえると目に手に足に熱い水が沁みて世界は狭くなる。
酔っただけならまだしも、泣きつかれ心も身体も弱りきった女を抱くなど常の陸遜であったらできなかったろう。だがいまは興奮のうちにあり、の身体をまさぐる男の手はとまらない。
行商の男たちに着せられた羽織を真っ先にはぎとろうとすると、は陸遜の性急な手を押さえて懇願するように首を横に振った。
「いやです、旦那様」
「・・・」
「お待ちをっ」
冷たい頬に手をあてて、まだ涙のとまらない目のはしを親指でぬぐう。
「陸遜と」
「りく、そん様・・・」
嫌がっているのに、本当に嫌なのだろうに、熱にうかされた瞳で従順にそう言われたら唇を吸わずにはおれなかった。
獣の息の合間に殿、と何度も呼んで、今夜だけはいけないと思う理性はあっという間に陸遜のあたまのなかでなぐり伏せられる。
「待ってください、陸遜さま、いや」
酒で温まったのやわらかい身体からえもいわれぬ艶かしい匂いがして頭がくらくらする。
「待っ」
「もう待てません」
金糸銀糸の羽織を無理やりに脱がせ、寝台の下に打ち捨てる。
「待て」
言えぬよう舌まで吸って手を帯にかけた。
「待てというに」

スコン

と、竹を割ったような音が自分の頭で、した。
「まだ諸々の手続きが済んでいない。婚儀まであと最低三つきは待ちなさい」
押し倒したまま振り返ると寝台の真横に棍棒を携えた周瑜が立っていた。
陸遜が跳びのいて正座したところで、周瑜はの背を支えて起こし肩には床に落とされていた羽織を拾ってかけてやり、自分の後ろに隠すように立たせた。ため息は軽い。
「若い衝動はしかたのないことだが彼女が政治的な駒に使われていることを忘れるな。あの行商団がいるうちにこの“お姫様”に手を出せば取引が破談になるどころかあのイノシシ殿におまえが殺されかねんぞ」
目を白黒させる陸遜を差し置いて、周瑜はを伴って閨を出て行こうとした。
「それに、おまえたちも衆目に興奮する趣味はないだろう」
周瑜が寝室の扉を開くと、ざざざと人が折り重なってなだれこんだ。
伯母上、姉上、女中衆に下男、馬番、門番。あとじい。
「では姫様参りましょう。陸家の皆様、夜分に失礼した。よい夜を」






周瑜の言ったとおりその後、は三ヶ月間陸家から離された。
その間に、初々しい二人をからかってなのか本気なのかわからない攻勢を周瑜がにかけはじめたのだがそれは、小喬にばれるとまずいので誰の口からもいまは語られない話である。
そんな周瑜の誘惑にも打ち勝っていよいよ迎えたその初夜、最近ぐっと男らしくなった陸遜はしかし服を脱ぐ直前で突然処女のように自分の肉体を隠し、に尋ねられると
「黄蓋殿のようでないから」
などと恥じ入る一幕があったがにはついになんのことかわからなかった。

一方、の方は陸遜の手が帯にかかったとき、帯の内側に結んで肌身離さず持っていた小さな袋に気づかれた。
袋から何の変哲もない小石を取りあげて手のひらに置き、陸遜はじっと見つめてみたがわからない。

「これは何ですか」

石をのせて差し出された陸遜の手のひら
湖面に月がうつるがごとく鮮やかに記憶が心にうつされる。
は石が水を跳ねたのを見たように笑った。

「この石は、」






一番いい石



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