「池で水きりを」
屋敷に戻るや、馬岱とほかの家来もいる前で馬超はを庭の池へ誘った。
唐突である。

外套をお召しのままでか。
並べられ湯気のあがる夕食はどうなさるのか。
なにゆえ水きり。

二人以外が疑問に思う。
しかし当の二人だけは秘密の暗号があったように見つめあい、無言で暮れなずむ庭へ出て行った。
馬岱は猪突猛進の若君がまたなにかおかしな発想をして予測不能の奇妙な行動に出たのではと心配し、追いかけるべきか迷ったが、その足は玄関を出ることなく止まった。
馬超が姫君の肩に自分の外套をかけてやるのを見たからだった。






枯れ葉を浮かべる池の水面には立派な鯉がゆうゆうと泳いでいる。
馬超はそのほとりで手ごろな石を探していた。
は静かに佇んでいる。

どぼん

素っ気無い音をたてて石が池に沈んだ。
西涼育ちの馬超は石を水面に跳ねさす遊びに疎い。
もう一つ拾って投げ方を変えてみるが、

どぼん

「魚がおどろいてしまいます」
「かまわん」
「・・・」
「石」
「はい」
「石をお持ちなのだな。あのときの」



「・・・持っております」
「そうか」

ながい沈黙を置いてから馬超はを振り返った。

「あれは誰から」

じっと見る目に怒りではない熱をこめた。
するとの長いまつげは下を向いて、目をそらされたと思ったが違う。
は帯紐に結んでいた石を取り出して手のひらに乗せると、馬超に差し出した。

「あの夜に若い兵士の方からいただきました」

自分で言っておきながらが気安くその石を自分の目の前にさらしたことに少なからず驚いていた。があの夜と言ったあの夜に、馬超が一本一本力ずくで指をこじ開けて暴いて見たものだ。噛まれもした。
「将軍様だったのかもしれません。お名前も聞き忘れたままになってしまいました」
「それでもあなたは今も肌身離さず持っている」
「・・・」
「愛しておられたのか」
は静かに首を横に振る。
「ふつうなふうに遊んでくださった」
情景を思い出してか、頬がやわらかく微笑んだ。
「身体をひさぐ以外にもわたくしにできることがあると言ってくださいました。あの方はそんなおつもりはなかったのかもしれませんが、誇りを持って生きていいと言われたように思って」

うれしかった

そう続くはずの声は続かない。
馬超が石を奪い取ったのだ。
が顔を上げる。馬超は池に向かって腕を振り上げた。
咄嗟に馬超の袖にすがり袖をひき絞ったが鬼のごとくたくましい腕は全力で引いてもびくともしない。
だめだ、動かない、とめられない。























水音の来ないまま、鯉がまた水面をゆらゆらし始めた。
はおそるおそる顔をあげた。
馬超は確かに激昂している。
「こんな石っ」
次こそ獣のような烈しい声で叫んで石は水に叩き落される。さもなくば握りつぶされる。

「絶対に捨てないぞ!!」

声が波紋を作って鯉が逃げた。

「俺は、捨てない」

力が入りすぎてぶるぶる震えていた腕がゆっくりと下りてくる。
「ごめん・・・っ」
歯をかみ締めて、泣きそうにそう言った。
「あなたにあんなにひどいことをしておいて、縁ある姫だと知った途端に態度を変えて、果てはこの嫉妬を・・・俺は最低最悪だ」
すがりついた袖が届く場所まで下りてきても、放心していたは手をはなすのをわすれた。
痛みに苦しむ馬超を見、袖に痛覚でもあるように錯覚する。
ねじれていた袖をそうっと緩めた。

馬超はの右手を下からすくいとり、そのうえに石を返した。

「これはあなたの大切なものだ」
もう片方の手でふたをした。
「おれはもう奪わない」
包む手が熱い。優しい。
はこの手を知っていた。
熱で震えた夜に。
「あなたから幸いを奪わない。あなたが幸いであるならば俺はなんでもしたいっ。たくさんの友人を作ってここがあなたにとって住みよい場所になって、それで、そのためになら俺はなんでも、なんでも・・・っ」
「・・・」
馬超は涙ぐんでしまって、それが恥ずかしくてごくんと唾と一緒に飲み下す。
はぁ、と熱く小さく一度だけ息をはき、包む手がはなされた。
馬超は背を正す。
「・・・次に、あなたの友人となるのは関索といって関平の義弟です。あれは明るくて爽やかな男でして、しかし優しい性格と見た目に反して武芸には人一倍修練を重ねる真面目なところもあって」
「馬超様」
「心配はいりません。武芸に力をいれるとはいえ」
「馬超様」
「あなたに喧嘩をふっかけたりすることは絶対にない、穏やかな好青年だから次もきっとあなたの良き友人に」

「次は馬超様がいい」

語調を強めたに馬超は言葉をとめた。
目をみはり、息が吸えなくなる。
みはった目を、宝石のように美しい目が力強く見上げている。

「わたくしはもう一度あなたと出会い直したい」

夜に慣れた馬超の目に赤い頬がうつった。
振り絞られた勇気に勇気づけられた。世界がひらく。
ありがとう、ごめん、好きだ。全て一度に言いたくて声がつまった。
だが違う。
いま言うべきは、
馬超はとまっすぐに対面し、気をつけをして胸を張った。



「お、俺は、馬孟起といいますっ!」
と申します」






一対一のしちにんめ  馬超






はじめまして



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