が倒れた直後、隠し通路につながる暖炉の下から跳び出し、レンガに強烈に頭をぶつけたイグニスと、少し遅れてノクトも現れ、グラディオたちと合流した。
離宮にマジックボトル10本分のファイラで火をかけ、生き残っていた全員で地下水路から脱出した。
自分がを背負うといって譲らず、燃える故郷のなごりを振り返ることなくノクトが前だけを向いていたことに、グラディオは不謹慎ではあるがすこしの誇らしさを感じていた。

ガーディナにいたノクトの釣り仲間にトラックを借り、グラディオが護衛につき、動ける者たちはすぐにリード地方を離れた。帝国に人質にされていた少年も見つけ、このあとは帝国の目を逃れるため、一旦クレイン地方へ抜け、メルダシオ協会の本部で王都警護隊のモニカ達と落ち合う手筈になっている。両足を負傷していたコック、そして王女殿下はノクト達とともに近くの標に身を寄せた。
メルダシオ協会本部にたどり着くまでの道中、どうやってあの状態の王都から、城から、加えて、見つかれば真っ先に殺される王族を連れて抜け出せたのか尋ねるとまずは沈黙が応えた。しばらくするとただ一人、年老いた女の召使いが重苦しく口を開いた。たしか、レギス陛下の亡き奥方、アウライア様が存命だった頃、侍女をしていた人だったようにグラディオはその柔和な顔をかすかに覚えていた。

「帝国兵に撃たれて死んだ侍女に姫様のお召し物を着せて、ひと目では判別できなくなるまで顔を撃ちました」

これで時間を稼ぎ、王都の地下に無尽に張り巡らされた秘密の通路を使って脱出した。王女には、彼女は死者へのこの仕打ちを許すまいからと、魔法で眠らせて運んだという。
奇しくも自身が精製した魔法であった。

「そうか」

グラディオは言った。

「大変な思いをしたな」

これを聞くと、老婆はまがった背をさらに曲げ、枯れ枝のような手で自らの顔を覆った。



公務のみならず、王家とアミシティア家との非公式な集まりにおいてもの参加は珍しかった。母に手を引かれていった王城のとなりの公園で、グラディオは同い年のを探したがその日もの姿は見当たらなかった。

「姫様がいないの、どうして?」
「具合が悪いんですって」
「幼稚園にもあんまり来ないよ」
「そう、はやく良くなるようにお祈りしないとね。ほら、ノクティス王子と遊んでいらっしゃい」

たいていはこの調子だが、だからこそ時折、レギスの足元にの姿があった日は、グラディオは楽しかった。
この姫君は見た目と立場に反して好奇心旺盛で、グラディオと一緒になると後ろをついてきて、どこまでも遠くに冒険をしにいく。川に跳び込んだ後に砂場に入り泥だらけになって笑い、転んでも泣かず、木登りはできなかったが高い枝に登ったグラディオを木の下から見上げて、ずっと褒めていた。
子供心に、大人になったらこの人を守るのだと思うと、うれしい心地がしたのを覚えている。そして、夕方を迎える前にはぐったりとして、大人が慌てて運んでいき、グラディオはこっぴどく怒られた。それでもまた遊びたいと思った。
しかし、ある時からの姿を見かけたとしても、がグラディオの冒険についてくることはなくなった。白い屋根と白いティーテーブルの東屋で、淡い色の長いスカート姿で両手を膝の上に重ね、侍女と護衛を後ろに置いて人形のように表情を変えずに座っている。
言葉を交わす機会はなくなり、ノクティス王子のことを「ノクト」と呼ぶようになっても、の事は名前で呼べず冠位でしか呼べなかったのはこのためだ。
ほどなくして、彼女の病は亡き王妃アウライアと同じものであると知り、は静かに王位継承権を退いた。
病気のせいで元気がなくなったのかと思っていたが、大人たちの噂話が理解できるようになってくると、行動を厳しく制限し、感情をおさえつけることに躍起になる教育係が王女についたことも大きな理由だったと知った。
いつだったか、たぶん高校のころだ。あのイグニスも珍しく怒っていた。

「姫様の方があの教育係よりもよほど人格者なのに、何を教わるというんだ」

いま思えば、ノクトに社会性を身につけさせる責務を負っていたイグニスが、一人暮らしをはじめたノクトを甘やかし続けた原因のひとつは、姫の教育係への批判だったのかもしれない。
ついでに言うと、グラディオがノクトに軟弱者のわがまま王子というレッテルを張り付けてフラストレーションを溜めていったのも、なにかにつけて心の中で姫君を引き合いに出してノクトと比較していたからに他ならなかった。
と再びまともに話したのはグラディオが王都警護隊に正式入隊した18歳のときだった。
王家の人間も出席した入隊式のあと、式典会場だった王城を出てから、もらったばかりの隊服の窮屈さにこっそりと上のボタンをあけた。
その年は厳冬で開花が遅れ、今頃になって王城の横の公園の桜は満開を迎えていた。
ふいに強い風が吹いて桜が視界をこまかにさえぎった。

「グラディオラス」

振り返ってぎょっとした。
さきほど式典では二階の席におわしてちょうど姿の見えなかった姫君がそこに立っていて、グラディオを見ていた。後ろにお付きの者もいない。一瞬、姫君によく似た、どこかで手を出した別の女かと我が目を疑った。しかしその布の多い上品な服もうつくしい姿も、グラディオがお付き合いをしてきた数多の女性のいずれとも明らかにちがった。

「入隊おめでとうございます」
「っ姫様、どうしてこんな場所に!」

奇襲された時にも慌てることのない男が、この時はおおいに慌てふためき、くつろげていた襟を握りつぶして肌を隠すとは小さく息をこぼして笑った。

「ここはわたくしの家です」

かわいかった。

「そりゃあ…そうですが、いったいどうなさったんです」
「これを」

は手の平をグラディオに広げて見せた。
赤い花びらの押し花が貼られたしおりがある。

「入隊のお祝いに。もし気に入ったなら使ってください」
「は…はぁ…ありがとうございます」

ほうけた声を発しながら小さなしおりを両手で受け取って見つめ、さらにほうけた。
花などチューリップとたんぽぽくらいしか知らないが、その花の名前だけは知っていた。自分の名前と同じスペルを持つ花だ。
しおりは手作りの風情がある。
最近は話す機会もなかったが、脳みそまで筋肉でできているような見た目をしているという自覚のある男に、こんなしおりを贈るということは、この見た目で中高と読書にハマっていたことまでこの姫君はご存知だったということだ。
それらを理解するとグラディオはやけに冷静に(なるほど)と思い当たった。
俺の初恋はこの人だったのか



とかなんとかいう時もあったなあと、甘酸っぱく思い出している間にトラックは無事、協会本部にたどり着いた。
協会本部にはコル将軍が待っていて、生き残った者たちの帰還を迎えた。

「よく生き残ってくれた」
「無事でよかった」

その強面からは程遠い優しい加減でトラックから下りた者たちの背をひとりひとり撫ぜ、ねぎらいの声をかけ、モーテルのほうへと促していく。モーテルの前には王都警護隊のダスティンも待っていた。
全員をトラックから降ろすと、打って変わって気迫のこもった目と声音でグラディオを見た。

「殿下は」
「生きておいでです。今はノクトたちが治療を。ラストエリクサーもバシャバシャ割って」
「…そうか」

眉根を寄せ、肩をしずかにさげたのをグラディオは見た。
生まれた時から今までその成長を見守ってきた姫君である。実の娘のような感慨があるのだろう。

「モニカはいないんですか?電話は心配しすぎて死にそうな声でしたけど」
「あれは王女殿下付きの任務が多かったから仕方のないことだが、あまりにも冷静さを欠いていたからな。置いてきた」
「そういうことですか。俺はこれから向こうに戻りますが、一緒に来ますか」
「…いや、やめておく。帝国の動きが気になる」
「姫様だってもう大人なんですよ。もう子供の頃みたいに将軍のことを怖がっちゃいませんよ」
「そういうわけで行かないと言っているのではない。俺はお前たちが守護するなら問題ないだろうと」
「はいはい、左様で」
「グラディオラス」

この不死将軍に唯一苦手なものがあるとすればか弱き王女殿下そのひとであった。
まだが赤ん坊のころに、レギスに抱っこを命じられ、抱っこしたところ大泣きされて、どれだけ抱っこの方法を教わり、修正しても泣き止まず、しまいには姫君は泣きすぎて熱を出した。いたずら好きのアウライアの仕掛けもあって同じようなことが二度、三度と続くと、まじめな男は隠れて「ひよこクラブ」を購入し、それを見つかって十年はそのネタでかつての仲間たちにイジられていたのを知っている。以来ずっと、姫君が近くに来るとゴリラの石像みたいになるとも知っている。
ちなみにこの将軍はこの年まで妻をとらなかったからロリコン説、ゲイ説などささやかれているが、グラディオが8歳のときにレギス陛下がこっそりと教えてくれた。

「あやつはアウライアに片思いをしていたんだ」

「はやく忘れて新しい恋を見つければよいのに」と言ったレギスは「まあ、私も人の事は言えないが」と続けてふと表情をやわらげたのをグラディオは見たことがあった。その時はその意味がわからなかったが、今ならわかる。
入隊祝いにもらった押し花のしおりを今も本に差していると、仲間たちに絶対に悟られないようにしなければならなかった。



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