真っ暗な洞窟をジッポライターの明かりを頼りに進んだ。
岩が崩れる音とともに悲鳴のような声が遠くに聞こえ、八戒は来た闇を振り返った。
「大丈夫でしょうか、あの二人」
「肉体労働は猿と河童の専門だ」
「でも、狭くて戦いにくそうでしたし」
「じゃあお前も行ってこい」
「遠慮します。あの狭い空間で混戦になって無傷でいられるのは悟空くらいですよ。悟空の手足を悟浄が避けられているかはわかりませんけど」
三蔵はここに至るまでに何度となくついたため息をまた落とした。
洞窟の入り口で警備の者たちを食い止めている悟空と悟浄が誤って入り口を破壊して閉じ込められる前に、さっさと三仏神所望の品を見つけて撤収したい。
「天井、低くなってきましたね」
黒い岩がむき出しとなった洞窟の天井は、進めば進むほど二人の身長に迫り、手でさぐりながらでないと今にも頭をぶつける高さであった。
「空気もいよいよ淀んできましたし。本当にこんなところにいるんでしょうか。占い師さん」
「おまえが脅して吐かせたんだろうが」
「人聞きの悪い。教えていただいたんです」
つい先刻、この洞窟を覆うように建っている屋敷の主、高定なる男の胸倉をつかんで揺すっていた目出し帽姿の八戒の笑顔が思い出される。

ここ二年程で急速に財を築いた男の屋敷からその背後にいる易者を救い出し、斜陽殿まで連れてくる。それが三仏神の命であった。
「つまり、その易者を誘拐して来いということですか」
三蔵が尋ねると、三仏神は何度か咳払いをし、炎の前に黒い布切れが放り投げられた。
流れ打つ水に投影されたものではなく、どう見ても実体がある。
「それを使うがよい」
怪訝に思いながらも拾いあげてみるとそれは四つの目出し帽と長いローブであった。
平日の真っ昼間に目出し帽と黒いローブに身を包んだ四人組に突如襲撃され、高定の屋敷は大混乱に陥った。個人的な恨みはないが「まあ悪いことでもしなけりゃここまで品無く華美にはなるまい」を合言葉に、屋敷の警備を殴って蹴って張り倒し、屋敷の地下からつながる洞窟に押し入っていまに至る。

「僕たち完全に悪者ですね」
「今更なにいってやがる」
「確かにそうなんですけど、その、占い師さんを従わせるために小さな子供を人質に使って脅していたというのはこの屋敷の主ではないんですよね」
「ああ、それは二番目と三番目の所有者だそうだ。ここは四番目だったか。一番目は神格化されていたそうだが…」
天国から地獄だと、その言葉を三蔵はいわなかった。進むにつれて悪臭が漂い始め、息を吸い込むのもためらわれたのである。
ふと、天井近くの側壁に粗末な燭台があり、短い蝋燭が刺さっているのを見つけた。
目的のものは近いのかもしれない。
ジッポの火を蝋燭にわける。
八戒が短く息をのむ音を聞いた。
「なんだ」
呼びかけても返事はなく、振り返るより先に、三蔵の立つ場所のすぐ横に鉄格子があることに気が付いた。
洞窟の最奥、鉄格子の奥にあったそれは一瞬積まれた藁と見えたが、藁と見えたのは伸びすぎた髪であった。ずたずたの布にくるまり、右の岩壁を背にして膝に顔をうずめる格好で座っている。
かつて、悟空を見つけた時のことが頭をよぎったがあの時とは決定的に違うものがある。
この鉄格子は人間の作ったものだ。
耐えかねる悪臭に袖で鼻を隠す。
―――これが易者
上にそびえるきらびやかな屋敷を見た後だとにわかには信じがたいが、鉄格子の1メートル向こうでこの洞窟は終わっている。
これなのだろう。
「おい、おまえ」
三蔵の呼びかけはただ洞窟に反響しただけで終わった。
「死んでんのか」
悪臭はあれども死臭はない。
「おい」
鉄格子の間から手を差し入れ、肩と思われる箇所を揺すると手に骨の感触があった。
まさかこの格好で白骨化しているのかと、布を引いてみると、汚れているがそこには生の肌があり丸みを帯びた若い女の肩であるように見えた。
占いのほか、どう使われていたのか理解した。
「っ」
突然八戒に押しのけられ三蔵は狭い洞窟の中でしりもちをついた。
「なにしやがんだ!はっか…」
蝋燭の頼りない炎にうつしだされた八戒の表情に三蔵は言葉をとめた。
崩れるようにひざまずき、まなじりを裂けんばかりに見開いて、格子の向こうの女の両の手を強く掴んでいる。
同じ轍をふむことのないように。
「…。八戒」
三蔵が尻を蹴ると八戒は我に返った。
八戒は、顔の前に突き出された鍵を夢想するように暫く見つめてから
「すみません」
消え入る声でいって受け取った。



洞窟の奥から目出し帽の八戒と三蔵が戻り、八戒が彼のローブで簀巻きにした黒い塊を抱えているのを確かめると四人は強行突破で屋敷を脱出した。
その街の最速の交通手段であった馬の縄を切って銃声で散らし、その後3時間30分にわたりジープのアクセルはベタ踏みであった。
舗装されていない赤土の大地に砂塵を撒いて、ジープが猛スピードで駆け抜ける。
若木をなぎ倒して林を突っ切り、絶叫マシンでもこの斜度はあるまいという崖をほとんど浮きながらくだって、あたりが西日に染まり始めた頃、深い松林のおわりでようやくジープが止まった。
八戒はまだアクセルを踏み込んでいたが、ジープの方が根を上げて竜の姿に戻ってしまったのである。
「こ、殺す気か…」
走行中は舌を噛んで死ぬか、車体から放り出されて死ぬかの二つに一つだったためいえなかった恨み言を、いまようやく悟浄がいった。後部座席に放り込まれた簀巻きが車から落ちないように律儀にずっとおさえてやっていたのも悟浄である。
「…いやあ、すみません。仏様の命令とはいえ、僕ら一応犯罪をしたと思うので、急いで逃げなきゃと思うあまり飛ばしすぎました。でもこれで追っ手は完全にまいたと思いますよ」
カラカラ笑ういつもの笑顔にいつもとは違う空気を感じとって、悟浄は口の中でもごもごいったが声にはしなかった。
「今日はここで野宿だ」
「はぁ!?んだとハゲ、聞いてねえぞ」
「ジープがあの状態じゃ仕方ねえだろうが」
どこにも寄らずに行っても長安までは片道8時間かかる道のりだ。行きがそうであったように、帰りもどこかの街に寄って三蔵の経費で豪遊して帰るつもりだったが、夕日に照らされた険しい稜線に取り囲まれているのを見るに、近くに街は期待できそうにない。
悟浄はがっくりと肩をおとした。
「近くに川がありましたから、魚でも取ってきましょうか」
「そのまえに、悟空」
「え、なに」
三蔵の後ろに隠れるように立っていた悟空が、慌てて顔をあげた。
「あれを川で洗って来い。臭くてかなわん」
「…。やだ」
悟空は三蔵の後ろでうつむき、唇を尖らせてぽつりとこぼした。地面に座り込んでいる簀巻きに目をやろうともしない。
「やだじゃねえ、おまえが適任なんだよ」
「…やだ」
「なんだと?」
「やだったらやだったらやだ!」
三蔵の背中にぴったり張りついて駄々をこねる。
「離れろこの猿っ、つべこべいってねえで行ってこい!」
「やだったらやだったらやだったらやだ!」
背後にしがみつかれ、振り回しても離れやしない。
普段食欲と好奇心で動いているといって過言ではない悟空とは思えない反応だが、見たことがないわけでもない。いつだか雪を怖がって寝室から出てこなかった時に似ている。
「しっかたねえなあ。この悟浄様が連れてってやんよ」
「八戒、お前行け」
「あからさまに無視すんじゃねえよハゲ」
いま悪臭を放っているとしても、座席から跳んでいかないように簀巻きの身体をずっと引き留めていた悟浄はすでにその中身に察しがついているようだった。
悟空がこの状態で、悟浄が悟浄である限り、残る選択肢は八戒だけだった。
視線をやる。
「いろいろ無理です」
即答した八戒の笑顔がうすら寒い。
目の前で失った片割れの記憶に苛まれ、混乱冷めやらぬ八戒こそこの4人の中で誰より不適切であると思い当たったが、その結果どういう人選になるのか気づくまでに三蔵はしばらくかかった。



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