今日はアカデミーの授業でナイフでの近距離戦闘訓練をした。
食事で使うナイフとも果物を切るときに使った小さなナイフともちがう。

弧をかく刃は人間を切るための

見ない
知らない



おれは教官にほめられるほどに上手にそれを扱って見せた。
ふと、親友に告げた言葉を思い出す。
プラントと地球で戦争になるわけはないと、おれはそう言った。
その記憶もまだ鮮やかなままにも、あのときの心もそのままに、おれは弧をかくナイフを握っている。
親友に嘘をつくことになるんじゃないだろうか。
このナイフを握ってしまった時点でもう嘘をついてしまったことになるんじゃ

見ない
知らない



これは誰かを守るための訓練なんだ。
MS操作のシミレーションも、射撃の訓練も、応急処置の授業と同じ意味なのだ。

ナイフの授業は億劫だった。

また、教官はたびたび『敵』という想定を口にした。
でもおれはその『てき』というものまだ知らないでいた。
繰り返す。
守るための訓練なんだ。











「ラクス・クラインですわ」

はじめて出会ったプラントの歌姫は、おれの婚約者だそうだ。
婚約者というのに驚き、ラクス・クラインだということに驚き、常識から三歩くらいズレた彼女の言行に戸惑った。
彼女は配膳ロボットのメンテナンスをしてあげたら大喜びをした。
「すごいですわ」と大仰な感嘆の声で笑って、はしゃいで、ロボットと本当の友だちであるかのように話しかけて、
花と芝生に彩られた庭園をかけまわる。
そこにはナイフの訓練も、MSの操縦も、射撃もしたことのない人がいた。
守らなくてはいけないのはこれなのかもしれない、そう思った。
ハロと名付けたロボットをあげると、ラクスはその前よりもいっそう嬉しそうな声をあげて笑った。
見つけた。
おれがナイフの訓練をしている理由にぴったりだ。

父上

母上

親友

安寧の庭

美しい婚約者



ぴったりだ!



おれは守るからだから戦うんだ。
何度も繰り返す
弧をかくナイフも引き金の軽い銃もMSのシミュレーションコックピットも

人間を殺すための
敵から守るために学ぶんだ!

見ない

知らない















ある時ニコルが
「授業が一番役に立つのはきっとこういう時ですね」と言って、
鼻歌を歌いながら、みんなにふるまうリンゴをむいていた。
あのときばかりは救われた。
リンゴの皮は長く連なって、最後まで途切れなかった。
ナイフの近接戦闘訓練のことは決してラクスに話さなかった。けれどこの話だけは彼女に伝えようと思った。
ニコルの言葉はたいてい優しいものだからラクスが喜ぶといい。
いつものように微笑ってくれるといい。
いつものように

いつも



いつだったろう、おれはラクスが笑わなかった日を見たことがある気がした。



街頭の大画面でユニウス7が崩壊するのを見た。
あのコロニーには母がいる。いた。
おれは誰かを守るためのナイフの近接戦闘の授業で一番になったし、MSも一番で、射撃もうまくできたし
それに
だから
なのに

母上はカラの棺にはいって帰ってきた。

棺は冷たい石の下に埋められて、不思議なことに石には母の名前が刻まれたいた。
ぼうっとした。
俺はひどい顔のまま定時定刻、クライン邸を訪問した。

「アスランは軍に入られますの」
「ええ」

ユニウス7におれの母がいたことを知っているラクスはどうしてとは聞かなかった。
ラクスは一瞬、笑っていなかった。

「ラクス?」

声をかけると振りむいた彼女は微笑っていた。
美しい庭とプラントを背景にして。

見ない

知らない





安寧の庭の花びらを引きちぎる風がごうと吹き抜けた。


























目を開けたら、仮眠室の天井。
顔を洗い、オーブから支給された服に着替える。
過去の記憶を夢に見るのもそれを起きてからも覚えているのも不思議な感覚だ。
お腹が減った。

廊下に出たところにカガリがいた。



















エターナルの食堂でアスランの正面の席のカガリは、頬杖をつきながら尋ねる。

「ラクスにさっき会ったんだ、そこで。やっぱまだ忙しそうだったよ」
「そうか」
「でもいつでも笑うんだよな、不思議だ。あいつ」
「そうだな。ラクスは強い」
「強いって、おまえなあ」
「本当のことだよ」
「なあおまえ、ラクスとは婚約者だったんだろ?」
「そうだよ」
「それっていつ決まったんだ?」
「14だったかな」

淡々と応えながらもアスランはきれいに食事をする。

「へえ、おまえ今いくつだよ?」
「16」
「じゃあラクスは?」
「同い年だけど・・・さっきからなんだ、変な質問ばかり」

アスランの口調は無意識に強くなった。
元婚約者についての質問に快く答えられるほどアスランは大人ではなかった。

「いや、別に・・・」

その態度にカガリも少し驚いて、続けようとした質問は呑み込んだ。

「どうでもいいことなら静かに食事をさせてくれ」

その口調に今度はムッとしたカガリは食事を一気に平らげて席をたった。カガリはカガリを無視してゆっくりと
食べるアスランを見下ろす。

「お上品な食べ方だな、おぼっちゃまめ」
「おまえも姫君ならもう少し静かに食べろ」
「私は姫ではない、オーブの国民の代表だ!」
「なおさらだ」
「うるさい!」

カガリはアスランのすねをおもいきり蹴飛ばして食堂を出て行った。

「あらカガリさん、こんにちは」

「よ、よう」

食堂を出たところで誰かに出くわしたらしく、カガリの動揺した声が聞こえた。

「もうお食事はお済みですの?残念ですわ」
「ま、まあな。それじゃ」

カガリの足音が早足で遠くなっていったのを背中で聞いて、アスランはため息をついた。
カガリを怒らせたのは短気をおこした自分のせいだ。あとで謝らないといけないだろう。それに加えて、どうして
多忙らしいのにこういうときに限って遭遇するかな。
ひとり心の中でごちるが、遭遇してしまった多忙な人物はそんなアスランの心境をまったく知らずに「あらあら」と
のんきな声をあげる。

ラクス・クライン。
この戦艦エターナルの総指揮者であり、クライン派の元首にすえられている。

「アスラン、お久しぶりですわ」

同じ艦にいますのに、とラクスは柔和に笑んだ。
ラクスはトレーをアスランの前の席においた。先ほどまでそこにカガリが座っていたことを彼女は知っているの
だろうか、とふと考えて、だからどうしたというのだろう、と思い直した。

「・・・アスラン?」
「あ、いえ。なんでもありません」

ぼうっとしていたのを覗き込むように、ラクスが見ていた。そしてにっこり。

「ちゃんと謝ってきてくださいね」

誰に、と尋ねようとしたアスランにラクスは笑う。

「カガリさんに。泣きそうなお顔をされてましたから」

アスランは弁解しようとして、弁解する言葉がなくて、「ええ」と短く応えた。

「でも、あなたも泣きそうなお顔ですのね」
「そんなことはありません」
「ではお疲れなのではありませんか。ゆっくりと休んでください」
「はあ」

ラクスは子供を慈しむように微笑んだ。

「カガリが変なことを言ったので」
「へんなこと」
「ラクスが笑うのが不思議だみたいに言ったんです」

ラクスは首を傾げた。

「気にしないでください。不思議なのはあいつの思考回路のほうだから」

ラクスはすくっと立ち上がり、また笑う。トレーの食事はきれいになくなっていた。
もともと取った量も少なかったようだが、それにしても女性二人分よりも食べるのが遅いのは気恥ずかしい。

「失礼いたします。ラクス様、お食事中申し訳ありませんが」
「いえ、済みましたから。すぐに戻ります」

ダコスタに入り口のところで呼び出され、ラクスはトレーを片付けた。

「ではアスラン、今度はゆっくりお茶でもいただきましょうね」

小さく会釈されてもアスランは苦笑で返すのが精一杯だった。
結い上げた長い髪が揺れて、遠ざかって、消えた。






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