まとまらない軍議でずいぶん遅くなった。

自室まで戻る途中、静まりかえった刻限に片倉小十郎は物音を聞いた。
ゴトと物が倒れる音だろうか。ぶつかった音だろうか。
一旦足をとめてしばらく耳をすませてみたが特になんの音も無い。気のせいかもしれないが少し気になる。
音の方へ踵を返した。

政宗の妹君の寝室だったと思う部屋の前まできた。
女たちの住まうところは一箇所に固まっていて、そこには滅多なことでは男は足を踏み入れないから地理はあやふやである。
中はまだか弱い灯りあるようだ。
小十郎は廊下を軋ませないよう注意を払って歩き、障子に耳を寄せた。
はたから見れば挙動不審であろうが、そこが政宗の側室の寝室か何かであれば『真っ最中』ということも考えられるから、おいそれと声をかけるわけにもいかないのである。

布擦れの音がした。

やはりそうか、と小十郎は音をたてないように立ち上がり、その場を離れることに

ゴト

と硬質の物が倒れる音がした。

”まずい、火を消せ” ”手をしっかり押さえておけ” 

その小声を聞くや否や、小十郎は懐剣の鞘をはらって室内に飛び込んだ。



男が三人がかりで女を組み敷いている。
倒れた燭台からこぼれた油が床で炎をたて、室内の人影を不気味に照らし出していた。
男らが膝をたたせるより小十郎が一人蹴りつけたほうが早かった。
蹴られた男が柱に背を打ち付けるより小十郎がもう一人を一突きした方が早かった。
ボッという音を残して己の肩から消えた腕を本人が見つけるより、姫の素肌に返り血がほとばしるほうが早かった。

嵐のように二人がなぎ倒され、戦慄した三人目が死に物狂いで振り下ろした刀は小十郎の腕をかすめた。
ことのほか勇敢な反抗となったが、傷つけたはずのその腕がぬうっと伸びて男の首を鷲掴む。
「ぎゃ!」
踏みこんで首から引き倒し、男の背は床を燃やす炎の上に数回叩きつけられた。
男の背中で火が消し止められると、部屋は急に静けさを取り戻した。
のちにその場を検分した者によれば、熊手のような手に掴まれた首は骨が砕けていたそうな。



外からの月明かりが青白く室内を照らし出し、ようやく小十郎の背筋はぞっとした。
横たわった姫君は天を仰ぎ、両手のひらを祈るような格好にしてあらわな乳房の前に組み合わせてた。
手も腹も血塗れているが小十郎の斬った返り血だ。
ほっそりした指は折れるのではないかというほど強く組まれてぶるぶる震えているのに、体中強張ってぴくりともしない。
姫に表情はなかった。
真実恐ろしいことがあったとき、人間は怖がることさえしなくなるらしい。

御前に膝をついてみると息をのむ細い音を聞いた。
「姫様」
恐る恐る呼びかけた時、片腕を斬り落とされた男がおぼれて水をかくように部屋を飛び出していった。
小十郎は大声を張り上げ、ようとして止めた。
また息をのむ音を聞いたからである。
動くもの、聞こえるもの全てが恐ろしいのか。

三度目の息をのむ音を聞くのは覚悟して、体を起こしてやるとやっぱりその音を聞いた。
呆然と見開いていた瞼がわずかに下りたかと思うと、姫君はかたく組み合わせていた両手をはなし、表情はないままで、両手のひらを両耳にあてがった。

「お怪我はありませんか」
「・・・」
「頭を打ったりはしていませんか」
「・・・」
「・・・耳が痛むのですか」
「・・・」
「姫様?」
「・・・」

意識はある、が反応がない。
肩をゆすってやっと目が合った。
不謹慎ながら、襲った阿呆の動機が知れた。
ついこの前まで子供のべべを着ていたと記憶していたのに、しばらく見ないうちになんとたおやかにお成りか。
驚いたあとにおや、とひっかかる。
長い睫に縁取られた双眸は見たことのある誰かに似ている気がした。
いくらか足音が近づいてきた。見回り衆が事に気付いたのだろう。
今は気を失っている賊もいつ目を覚ますとも知れない。姫君をこの場から移すが先決。

「立てまするか」

両手を両耳に押し当てたまま、やはり反応は返らなかったので
「ご無礼」
と言い置いてよいしょと抱き上げた。













「小十郎」

城内がにわかに騒がしくなり、事を聞いた政宗も小十郎のところにやって来た。
小十郎を殺しにきたのかという気迫である。

は」
「この襖の奥で女たちと先生に看てもらっています」
「・・・そうか、無事だと聞いたが」
「ご無事です」

政宗は「そうか」と言うなり殺気は収めたものの、不機嫌そうなままであった。
他にも聞きたいことがあるような、けれど言いたくないようなふてくされた顔である。

「ですが」と小十郎は奥の間に聞こえないよう小声で続けた。ひとつ不審がある。

「驚いて気が動転なさっていたのでしょう。頭を打たれましたかと聞いてもどこか痛いですかと聞いてもうんともすんともおっしゃらなかったので、少々心配ではございますが」

こうやって、と小十郎は姫がしていたように両手で耳を覆って見せた。

「始終耳をふさいで」

政宗は目を見張って黙った。
覚えのある様子だから小十郎が何も言わずに待っていると、政宗は
「ご苦労だった小十郎」
と言ったきり奥の間には入らずに踵を返してしまう。小十郎は慌てて膝を起こした。

「政宗様っ」

廊下の半ばで追いついくが、ぎろ、と鷹のような片目が小十郎を睨んだ。
政宗が何に苛立っているのか小十郎にはさっぱりわからない。
心配なら会えばいい。昔は兄妹ふたりで菓子を食べているところを見た事だってある。
母君さえ抜かして見れば仲の良い兄弟たちだったはずだ。

政宗はふっと苛立ちの色を消して、廊下のはしに視線を落とした。

「お医者に、治療が済んだら報告にくるように言っておいてくれ」
「よろしいのですが、声もかけずに」
「それはよい兄のすることだ」
吐き捨てるようだった。
小十郎は彼女の双眸を思い出した。政宗には似ていない。では誰だ。誰に似て。
小十郎が誰だ誰だと考えている間もじっと政宗を見ていたから、政宗は小十郎の胸をとん、と押して
「おまえ、ついとけ」
と居心地悪そうに言った。
小十郎はそれ以上追いかけず、政宗を呼び止めた腕を下ろした。
そうか

(姫様の瞳は小次郎様そっくりだ)

政宗が殺めた政宗の弟に。



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