ぎくしゃくするのも致し方ないのか、と小十郎はため息をついた。
政宗は父を撃った。畠山義継らに拉致され畠山一行もろともに一斉射撃を行った。
政宗は毒殺を謀った母・義姫を斬ろうとした。が、弟の小次郎がそれを庇い彼を斬った。
義姫は故郷に去った。
百にしてみれば
父が死に
兄が死に
母が消え
死んだ二人は長兄が殺したということになる。
大殿の葬儀で見た百はまだ子供用のにび色をした喪服を着ていた。唇を引き結んだ政宗の横にちょこんと座っていた気がするが小十郎は政宗の胸中を思いやるので精一杯で、幼い姫のことなど気に留めたことはなかった。
そうこう考えているうちに、おさじが出てきて話をきいた。
「なんともないだと!」
医者はまずいことでも言ったのかと真っ青になった。小十郎はよほど怖い顔をしたらしい。
「みみみ右の御頬を打たれたご様子ですがさささ幸い軽傷であらせられまして、一晩二晩できれいになるかと」
「耳は?」
「耳?」
「聞こえているのか」
「はあ。わたくしめが問診いたしましても、きちんきちんとお答えになってらっしゃいましたのでお耳はなんともないかと存じますが」
ともかく姫君はご無事で、今は侍女に伴われて湯浴みに行ったという。
腑に落ちない。
いや、伊達家の家臣として、嫁入り前の大事な御身が無事でひとまずよかったと言うべきなのだろう。
翌日のこと。
城の鍛錬場は今日も今日とて痛い音がひっきりなしである。
「次だ、次はいねえのか」
小十郎が鬼の気迫で剣術指南をしている最中であった。
指南されるほうは壁際に並んで肩をすくめ、鬼と眼が合わないようにだけ気をつけている。
ひとりのリーゼントがもう一人のリーゼントをひじでつついた。
「おまえ行けよ。今日チョーシいいってさっき言ってたじゃねえか」
「ヤダっつの。だってなんか、今日の小十郎様荒れてねえか」
「いやいつもあんな感じだろ」
「いやいやいつもよりなんかこう、ウサバラシっぽい感じが」
「そこの二人!なにコソコソくっちゃべってやがんだ。前でろ!」
「ひぃ!」
コソコソ話の二人が体を寄せ合って震え上がったとき、道場が突然ざわついた。
「無駄口をたたくな!」
振り返りざまに雷を落とす、が小十郎も他の者達と同様に目を丸くした。
鍛錬場の戸口に伊達家の姫が佇んでいるではないか。
姫は珍しそうに道場の天井や壁に目をやっていた。両手を正面に上品にかさねている。
小十郎はガバとその場に伏せた。
しかし道場にいる下位の者たちは直接顔を見ることも畏れ多い女性である、誰だあの美人はという具合に穴が空くほど見ながら口をぽかんとあけている。
姫の後ろからぬっと老婆が顔を出した。
「そなたら!姫様を前に頭が高・・・」
注意しようと身を乗り出した侍女長の老婆は言い終わる前にうっと鼻を抑えた。道場は男臭かったらしい。
「びべさば、やばりごのようなばしょ、おべばびびばぶべぎでばござびばぜぬ」
(姫様、やはりこのような場所におでましになるべきではございませぬ)
「用があるのはわたくしです、さがってもかまいませんよ」
「ひ、姫様をこのようなところに置い・・・うっ」
「まあ、お気を確かに」
「しっかりしてくださいませ」
老婆がついに卒倒した。
若い侍女ふたりが侍女長の体をささえ、姫君に一礼すると速やかに退出した。
侍女らを見送って、唖然としている場内に姫君が再び視線を戻した。
「片倉小十郎殿がこちらにおいでと聞きました。呼んでいただけますか」
「は、私でございます」
「そうですか。わたくしは道場に入る作法を知らぬゆえ、おもてで時間をいただきたいのですが」
美しい、がまるで能面でもつけているようにちっとも表情を変えない姫だと小十郎は思った。
「昨日はそなたに救われた。ありがとう」
道場を出て少し行った渡り廊下で、姫は深々と家臣に頭をさげた。
「もったいないお言葉でございます」
小十郎は眉根を寄せて困った。目の前で頭をさげるのは主家の姫だ。
渡り廊下は母屋の方からも道場の方角からもさえぎるものがなく、誰かに見られたらどう思われるか。
顔をお上げくださいと言うのも忘れてひとしきり困惑し、手入れの行き届いた姫の長い髪がするりと肩からこぼるのに見とれた。
長い立礼のあと、体をまっすぐにした百の目はやはり亡き弟君に、百にしてみれば亡き兄君に似ていた。
ところで、礼だけ言いにこんなところまで来たのだろうか。
主家の者であるからには呼びつけるなりなんなりしてよいし、すべきである。
「それと」と姫君は兄弟によく似た目を小十郎へ合わせた。
「きのうの者ども、本当は義姉上に狼藉をはたらこうとしていたようですから、仲間がいれば仕返しにまた来るやもしれません。内々に北の丸の警備をあつくするようはからって欲しいのですがそなたに頼めるでしょうか」
「は・・・?」
「そなたに頼むのが筋違いであれば城の守護を取り仕切る者に伝えておくれ」
全て言い終わったとばかりに去ろうとしたのを小十郎が引き止める。聞き捨てならない。北の丸といえば政宗の正室である。
「それは一体、姫様がなぜそのようなことを」
能面の姫が瞬きをして、
「きのう、くせ者どもがわたくしに言うたのです」
「なんと」
「おまえは愛姫かとわたくしに尋ねて、わたくしがそうじゃと返すと、命をとりにきたと」
「なんと!それはまことでございまするか」
「まことじゃ」
「おまえは”めご姫”か」
「・・・そうじゃ、うぬらはなにようか」
「お命を頂戴しに来た、ついでに貞操も」
「おまえの旦那がうちのカシラの女を寝取ったらしくってね」
「お返しに奥方様をどうにかしてこいと言われたわけだ。まあ女つっても遊郭のお手練れ様だから遊女にマジになっちまったカシラの逆恨みっちゃあ逆恨みだ」
「美人でなけりゃすっぱり殺そうと思ったけど、まことに重畳」
「悪くおもうな」
「見ろよ、気が強いように見えたって手が冷たくなってやがる。めんこいじゃあないか」
「さあお口をあけてくださいよ」
「怖いのかい、怖いのだろう。悲鳴をあげてみてくださいな奥様。そうしたら助平なことをする前に喉元をこいつでザバッとやって差し上げよう」
「高貴な女というのは痛いのがお好きかねえ」
「・・・」
「姫様?」
気のせいが、姫君は自分の片袖をきゅっと握りこんだように見えた。うつむいた能面に前髪の影がおちる。
「・・・いえ、義姉上は身重の御身ゆえ不安がらせてはなりません。 ことを内密に、と思」
能面から滔々と感情なく紡がれていた言葉が止まる。
口に手があてがわれたかと思うと百はその場にうずくまって地面に嘔吐した。
「いかがなさいましたっ」
小十郎はぎょっとして廊下に膝をついた。
覗きこみ、見たのは能面ではなかった。
苦しげに眉根を寄せて、細い指の隙間からは胃液だけがぼたぼたと地面に零れ落ちていった。
「誰か、誰かおらぬか!」
声を張りあげ、すぐに姫に意識を戻す。
小十郎は自らの手を百の口元にひろげた。吐しゃ物は小十郎の手を汚したが大したことではない。
それよりも地面に胃液を落とすのがさも悪いことであるかのように百が必死に手のひらですくおうとしている姿が目に痛かったのである。
涙のにじんだ目が小十郎を見た。
丸く小さく強張る背が震える。
背をさする。
コツコツと背骨の感触。
ゴホゴホと姫が咳き込む。
胃液しか吐かない。
食事はしていないのだろうか。
「まあ百様!」
先ほど道場から離れていた二人の侍女と侍女長の老婆が駆けつけた。
「姫様、大丈夫ですか」
「ばあやが参りましたよ、さあお部屋にもどりましょう」
言うが早いか、縮んだ老婆は自分よりも背のある百を赤子を抱くように抱えあげた。
侍女のひとりはもっていた手ぬぐいを百に持たせるがそれはそのまま、トンと小十郎の腹に押し付けられる。
小十郎が胃液に濡れた手と彼女の背を撫でていた手を仰向けに差し出すと、その上に手ぬぐいが落とされた。
宝刀を授かるようにこうべをたれて受け取り、遠ざかる足音を聞いていた。
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