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本作は映画『ローマの休日』のパロディーです。設定、セリフ等を一部引用しております。
ローマの休日に愛をこめて

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ドイツ、州議会選、メリケン政権、上院、過半数割れ、可能性
アジア歴訪、親善、王女、新宿、ホテル、ご滞在、あさって、帰国
現地時間16日夜、アイスランド、火山、再び噴火、火山灰、南下

大きな取引の始末までついた。
案件のクローズを四木という男と握手で確認してから、折原臨也はマンションへの帰路についたのだった。
ちょうど終電を過ぎたこの時間では新宿駅前でタクシー待ちの長蛇の列に並ぶよりも歩いて帰ったほうが早い。そう考えて夜間はことさら人通りの少ない道を歩いていた。
夜にも明るいケータイの画面上にはニューストピックスが流れる。そのキーワードだけを読み取ってつまらなさに嘆息した。

報道されるような情報にたいした情報はない。
唯一まじめに見るのは天気予報くらいかな。
さて、明日の天気でも・・・

というかすでに日付がかわった今は明日にあたるわけだが。だいたい25時って何?どこまでが昨日の続きでどこからが明日なわけ?夜が終われば明日なのかい。じゃあ夜が終わるのはいつ?朝はいつから?朝マックがはじまる時間が朝だって?それはどうかな。都内の24時間営業のマックで朝マックがなん時からかというと基本的には朝5時だけどまれに4時からのところもある。つまり朝の定義というのは都内だけでも・・・

人間の自分勝手な時間観念を頭の中で皮肉りながら、タクシーとはすれ違えないままマンション近くまでたどり着いた。

前方、バス停に設置された二人掛けのベンチにただならぬ美女が横たわっていた。
バス運行時間はとっくに終わっている。

「まだ週の半ばだというのにいい飲みっぷりで」

嘲りと侮蔑をこめて通り過ぎ、三歩行ってから二歩戻る。
二度見した。






***

時をわずかにさかのぼる。

王女はベッドの上で立ち上がり、自分の体を包む上質なネグリジェを返り見ていた。
気に入らず「パジャマを着てみたいわ」とお側付きの伯爵夫人に願い出た。

「さようなものはございません」

伯爵夫人はピシャリと封じる。

「世の中にはシャツ一枚で寝る方も、裸で寝る方もいるのですよ」

食い下がる王女に応じず、伯爵夫人は巨大なシティービューに分厚いカーテンを引いた。
新宿の夜景が閉ざされる。
王女は諦めてベッドに足をいれることにした。ブラッシングするその栗色の髪はすべらかに長く、CG加工されたような艶をたたえている。

アジア各国を巡ってきた親善訪問もここ、日本で最後である。ここまで休みなく多忙なスケジュールをこなしてきた。
あさってには帰国の途につくというのに王女の心は晴れやかではなかった。

伯爵夫人は老眼用のめがねをかけると、ベッドの傍らで手帳をひらいた。

「明日のご予定を申し上げます」

王女の頬にかげがさす。

「スケジュールですが、8時半に大使館員と朝食。9時に自動車ショー視察、自動車が贈られます」
「“光栄です”」

流暢な日本語でたおやかに呟く。

「ご辞退あそばせ」
「“結構です”」

「10時半に製薬会社見学、オーガニックスキンケアセットが贈られます」
「“結構です”」
「お受けあそばせ」
「・・・“光栄です”」
「次に小学校の児童達に、この前と同じ演説を」
「国交促進の?」
「はい、次に」

手帳から目をはなさずに伯爵夫人は続けようとした。

「児童達に?」

彼女もまた疲れているのであろう、夫人ははっとして

「別の演説です」
「若者の未来、のほう?」
「そちらでございます。11時45分から休憩、・・・失礼いたしました、記者会見です」
「品位をもって優雅に、ね」
「13時に外交官と昼食。服は白いレース、花束は」
「小さなピンクのバラ」

王女は伯爵夫人の言葉を先読みで言い当てて見せた。つまらなそうに。
伯爵夫人はささやかな皮肉など意にも介さず、崖から流れ打つ水のごとく滔々とスケジュールを読み上げ続ける。

「15時5分に額の贈呈」
「“光栄です”」

「16時10分に警察音楽隊の演奏会」
「“ごきげんよう”」
「次に迎賓館で」
「“光栄です”」
「その後」
「”光栄です”」
「次に」

「やめて!」

叫んだ。
突然髪を振り乱し、「やめて!もうたくさん!やめて!」と繰り返して打ち震えた。
王女の錯乱に仰天し、伯爵夫人はなんとかなだめようと試みた。しかし王女に声は届かない。声を荒げ、涙を流し、ベッドを叩いた。

「あぁ王女様、すぐに侍医長を呼んでまいります」
「呼ばなくて結構です。このまま死んでしまえばいいのだわ!」
「そのような滅相なことを」
「ほうっておいてくださいっ」
「お気をしずめて」
「出て行って!」
「・・・侍医長を」

これが始めてではないが、今日は特に取り付く島もない。
最近の王女は過密なスケジュールとストレスから神経衰弱傾向にあったのだった。

やがて伯爵夫人が侍医長と、親善使節団の代表である将軍を伴って戻ってきた。侍医長が鎮静効果のある注射を打った頃には、すでに王女はだいぶ落ち着きをとりもどし、己の幼さを恥じる様子さえ見せていた。

「姫様、これでしばらくすれば気分も落ち着きます」
「・・・ドクターワトソン。ごめんなさい、わたくし、取り乱すなんて」
「今夜は思うまま安静にすごされるのがよろしいでしょう。なにかほかにご要望はありますか」
「・・・いいえ、もう心配はいりません。せっかくフルーツをいただきましたが食べられそうにありませんのでワゴンは下げてくださって結構です」

寝室には食事を運ぶためのワゴンがある。白い布のかかったこのワゴンの上には、伯爵夫人が気を使って注文したフルーツ盛り合わせが手付かずのまま残っていた。

「承知いたしました。ホテルの者にすぐに取りにこさせましょう」
「退がって結構。おやすみなさい伯爵夫人、おやすみなさいドクターワトソン、将軍も」
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさいませ」

夫人の手で、天蓋から垂れ下がるカーテンを括っていた絹紐がほどかれた。






三人が出て行ったことを音で確認すると、王女は横たわっていた体をさっと起こした。
ベッドを跳び降り大急ぎで着替える。

最上級絹で作られた無地の白ブラウス
仕立てのよすぎるAラインのスカート
シンプルかつ時代遅れかつ高額な靴

脱いだネグリジェはまるめてベッドの中に放り込んだ。枕とネグリジェで人間の寝ているカタチを形成し、ベッドを取り囲むカーテンをぴったりと閉じた。

やがて、

王女の眠る部屋に伯爵夫人がホテルマンを引き連れて静かに入ってきた。
ホテルマンは始終無言でルームサービス用のワゴンを運び出し、ホテル最上階プレジデンシャルスイートを出たところで伯爵夫人に一礼して別れた。エレベーターホールにはシークレットサービスらしき黒スーツの男性が二人、門を守るケルベロス石像のごとく立っていた。
物言わぬ彼らにも一応の会釈をしてホテルマンはエレベーターにのりこんだ。エレベーターでほっと息をつく。
厨房までたどりつくとワゴンがずらり並ぶ一角に並べて置いた。

「あれ?注文間違いですか?」

スプーン拭き担当の新米コックがひょっこり顔をだす。
彼以外のコックは仕事帰りのサラリーマン達のお夜食注文に応じるべく、忙しく鍋を振るっていた。

「いやあ例の王女様のだよ。召し上がらないんだそうだ。あとで片しておいてくれ」
「はい、こっちのスプーン拭き終わったら。そのへん置いておいてください」
「頼むな。あーもったいねえ」

ホテルマンはぶつくさ言いながら別の仕事に戻っていく。と、新米コックのそばにある備え付け電話が鳴った。
ルーム番号とともに宿泊者の名前がモニタに表示される。

「はい、跡部様。ルームサービスでございます。はい、ローストビーフヨークシャープディング添えでございますね」

スプーン拭きのコックは良い声を作り電話に応じた。
新米とはいえ仕事熱心な彼であるからスプーン拭きひとつ、注文のお電話ひとつにも丁寧に対応していく。
そのため、ワゴンの白い布の中から王女殿下が現れて、搬入用の裏口へ出て行ったとは気づかなかった。






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