「波江さん、は帰ってるよねえ・・・」

玄関で、帰宅済みの優秀な秘書の名を呟く。

「まあそのほうが都合がいいか」

背にゴス、と人間の頭部があたった。
振り返れば立ったまま目を閉じて彼女は眠っていた。手を引くとかろうじて夢遊病患者のように歩くが、ベンチでもマンションのエントランスでもエレベーターでもこのような意識の明滅を繰り返している。泥酔状態という表現がふさわしい。
しかし酒のにおいはない。肌の色もそうだ。人工光のもとで見れば酒酔い状態とはとても思えない白磁の肌。
酒でないならドラッグだろうか。

「入って。あ、靴はここで脱いでもらえるかな。Take off」

ぽや、と胞子が浮くように目を覚まして、こっくんと頷いた。
折原臨也は靴を脱ぐ彼女を見下ろした。
彼女は脱いだ靴を持ったまま10秒ほど停止し、おもむろに靴箱へ靴をしまった。臨也は笑いをこらえた。
見れば見るほど来日中のかの王女殿下そっくりだ。単なるソックリさんであるとしても使い道がないわけではない。だからこそ連れてきた。

「はい、スリッパ」
「“光栄です”」

流暢な日本語であった。上品で、とても偉そう。
スリッパを廊下に置いてやっても彼女は部屋にあがろうとしない。姿勢正しく手を前に結んで、玄関に素足で佇んでいた。
はて、なにをしているのか。

「あ」

思いついてこちらから手のひらを差し出してみる。

「お手をどうぞ、姫君」

ゆっくりうなずき、手を重ねてご入室あそばされた。
使い道への夢が一気にひろがった。






***

来客用のソファーに案内した。
座る姿も美しいのに、黙っていると目が閉じていき右へ左へふらついた。

「ずいぶん眠そうだね、大丈夫?」

喉の渇きを感じて冷蔵庫をひらいた臨也が尋ねる。冷蔵庫はからっぽ。冷凍庫は氷だけ。しかたなく、先日気まぐれに通販したなんとか酒造のコシノカンバイとかいう酒をグラスにそそいだ。

「わたくしにも同じものを」
「だめだ」
「なぜですの」
「なにかキめてるなら酒はよしたほうがいいからさ」
「・・・どうぞ、おかけになって」

思い出したように、臨也がソファーに腰掛けることを許した。

「ありがたき幸せ」

臨也は滑稽に肩をすくめて酒をあおった。許されたソファーではなく仕事用の椅子に座る。

「ちょっと待ってて。調べもの。すぐ終わるから」

半分目が閉じている彼女は特になにも言わず、頭を揺らすのを続けた。
メイン端末、サブ端末、サブ端末のサブ端末。これら3つのモニタに向かい、臨也はにやける口を閉じておくよう努めながら軽やかにキーボードをたたく。1つのキーボードでソフトウェア的に操作対象を切り替えているため、臨也の指の動きに合わせて3つのモニタがめまぐるしく動き出した。



さすがにまだ騒ぎにはなっていないか。

ものの3分で確認作業は終わった。
当然といえば当然。第一王位継承者が外国で行方不明になったなんて国家の緊急事態だ。彼女の関係者は今頃大あらわだろうか。ホテルの監視カメラを確認したいが事を公にするわけにはいかない。日本政府へ伝えるべきか。いや、なにより先に、祖国におわす国王陛下へこの事態(大失態!)の報告をしなければ・・・ガクブル、みたいな?

「失礼、調べ物は終わ・・・おやおや」

モニタの横から顔を出すと、すでに王女殿下はソファーで横になって眠っていた。
目の前に立ってみても起きやしない。

「ここでなくても、ベッドを譲るよ」
「こうえいです」

むにゃむにゃ言った。寝違えそうな姿勢である。本人も苦しかったのか、狭いソファーで寝返りをうった。
落っこちそうになったのを慌てて受け止める。

「ごくろう」
「いえ、わが身の僥倖でございます」

そのまま抱え上げ、足で寝室をあけてベッドに移した。
なるべく衝撃のないように下ろしたつもりだったが王女は目をひらいた。
完全に覚醒してしまったろうか。

「きがえなくては」
「そうだね」

笑って同意した。
もうしばらく悲鳴をあげられたりすることはなさそうだ。安心してウォークインクローゼットをひらく。

「絹のネグリジェを」
「ネグリジェはあいにく持ち合わせがないな。ワイシャツでいい?ていうか、日本語うまいね」
「はるはあけぼの」
「へえ」

清少納言、枕草子さえご存知らしい。さすがに王女様、学がおありだ。

「ようよう白くなり行くはえぎわ」
「生え際じゃなくて山ぎわかな。はいこれ」

こんなこともあろうかと用意していた新品のワイシャツ(XL)を差し出す。
ちなみに言えば臨也はMサイズがぴったり合うが、言うのは野暮というものだ。

「ワイシャツ・・・!」

受け取ると、王女はねむたそうながらもフワッと顔を明るくした。
ワイシャツを抱きしめる。

「着ていいのですね、一枚で」

王女は感激している。

「あー・・・、うん」

貸そうと思って掴んでいたスウェットの下を後ろ手にクローゼットへ押し戻した。

「ではドレスを脱ぐのを手伝ってください」

王女は腕を水平に伸ばしてそうのたまった。
思わず御意っちゃいそうになったが、御意ると不適切なことが起こって王族の仲間入りする恐れがあったため、

「それはご自分で」

と申し上げた。

「・・・そうですか。ええ、そう、わたくしは一人でもできますのに、習慣とは恐ろしいものですわ。当然の根底をたずねる力を、うばって」

王女はくびれた腰を締めていたベルトをはずし始めた。

「ご高説ごもっとも、でもちょっと待って」

次いでブラウスのボタンを下からはずしていく。
まだ臨也が同じ部屋にいるというのに。

「・・・5分だけ向こうにいるよ」

ため息して臨也は自分の寝室を出て行った。






***

5分後といわず歯磨きとシャワーまでしっかり済ませてから、わくわく・・・いや、恐る恐る中を覗きこむと王女殿下はすでに臨也のベッドを我が物としてぐっすり眠っていた。

ベッドに腰掛け、ひとまずケータイで一枚撮影した。
この赤いケータイはもちろん撮影時に音が出ないように改造済みだ。
盗撮用?なにをバカなことを言ってるの。ネットを探せばいくらでも見つかるのに自分で撮影するリスクを犯す必要があるかい?
それにしても、腰までかかっている毛布のせいで全身見えないことが残念だ。

自分もベッドに横になる。
同じ目線になってからもう一枚近影を撮影した。
さすが写真映りがいい。
保存、と。

ケータイをどかすと画面で撮影したよりも顔が近かった。
長い睫
きめの細かい肌
お・れ・のワイシャツ
みずみずしい唇
艶のよい髪
すこやかな寝息をたてて・・・

うっとり見つめる。
ひとりの女性として見るだけでもたいそう魅力があるが折原臨也の頭の中を少し覗いてみれば・・・



シズちゃんに押し付けてそこに敏腕情報屋から情報を買った王女さま親衛隊が殺到、立派な軍隊を持ってる王国なんだから拳銃くらい使ってくれるだろう。アハ、シズちゃん死んじゃうかな!
むしろシズちゃんが殺られてくれないで親衛隊がボコられたほうがおおごとか。国際問題だもの。シズちゃん狙ってミサイル打ち込まれるかもだね。うーん、それも面白そうだけどあんまり国家のお偉方が出張る事態になると俺がイニシアチブをとりづらくなるんだよなあ。
あ!それじゃあこの前ガセネタを売りつけようとしたあの人をつぶしてみようか。
いっそ邪魔な連中を一網打尽にするくらいの破壊力はあるかも。
うん?どうも地味だ。
あとは・・・新聞社に売る?金しか得るものがないのはつまらない。
贄川にすっぱ抜かせてやるというのはどうか。贄川シンデレラストーリー!
ほかにもほかにも!あれやこれやどれやそれやこれやあれや
あーもう、楽しみすぎる!
勃起しそう!



臨也は明日のディズニーランドに思いを馳せる子供のように寝おちした。



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